第二章 終末の文化

第二章(1)

 新作映画の撮影が順調に進む中、脚本家の御荘院文後みしょういんぶんごが撮影現場に訪れる。彼は基本的に現場には来ず、特にアクションシーンの時に顔を見せたことはない。アクションシーンに関しては素人の自分が口出しできないと言っていた。それでも今日は会話がメインになるシーンの撮影が多いので、確認しておきたいとのことだ。


 文後のことを探る絶好の機会だ。と思っていたのだが、撮影現場では文後に怪しい動きは見られなかった。それでも何の収穫も得られないわけではないはずだ。

 とりあえず文後の動機を探ろうと考える。【巻き戻り】を望むような要因が彼にあるのだろうか――。極端なことを言えば、たとえ文後がリウァインダーと繋がりがあったとしても、文後が利用されているだけという可能性も捨てきれない。


 撮影が終わり、俺は文後を探す。といっても彼はすぐ近くで見学していたようで、すぐに見つかった。


「やあ、文後」

「末星。撮影を見ていたよ。調子が良いみたいだね」


 文後に怪しまれないように、できるだけ自然に振舞ふるまおうとしているが上手くできているか不安になる。映画の中での演技はマシになったはずだけど、現実で演技することには自信がない。


「ありがとう。どうだ? 君が書いた物語通りに俺は動けているか?」


 まずは変に詮索せず、普段通りに会話してみる。


「完璧だ。僕のイメージ通り、いやそれ以上だ。今回も君は僕の脚本なんて軽々と超えてくるね」


 文後らしくない、含みのある言い方だ。【コントラディクション】や【アキト・スミス】の撮影の時でも何回か話したが、こんなにネガティブな文後を見るのは初めてだ。


「君の脚本があるから、俺は良いアクションができるし、みんなも良い映像を撮れるんだ。違うか?」


 俺は心の底からそう思っている。ちゃんと褒めているはずなのだが、文後の表情はあまり晴れない。


「そう思ってくれているのはありがたい。僕もできる限り最高の仕事をしているつもりだ。けど、脚本というものは慣れないんだよな……」


 やはり文後には紙の小説にまだ未練があるのだなと感じる。

 文後は【終末の世代】の、そして最後の小説家だった。十六歳で小説家としてデビューした。デビュー作【コントラディクション】は同人誌として文芸のイベントで販売されていたようなものだったが、またたく間に話題となり、一時は小説ブームの再来かとも思われていた。


 しかしその名声は長く続かなかった。確かに【コントラディクション】は設定の斬新さやストーリーの珍しさが注目され、映画化や体験型ゲーム化で一気に話題になった。それでも実際は、原作小説の人気はあまり伸びず、小説家としての御荘院文後は全く目立っていなかった。【コントラディクション】という作品を知っていても、その原作小説を読んだことがない、知らない人が大半だろう。


「末星は紙の小説を読んだことがあるかい?」

「いいや。ない」


 少し考えてみて、文後に対しては失礼な答えではないかということに気づいた。


「すまない。【コントラディクション】も、あの時期は特に忙しくて、原作はデバイスで済ませたんだ。結局、紙の本で読むことを忘れていた」

「いいよ。そんな気を遣わなくても」


 そして文後は悲しそうにこんなことを言う。


「仕方ないよ。君はアクションスターだ。そうでなくても、小説を読む人なんてほとんどいなくなったからね」


 創作物に限らず、長い文章を目で追うことは少ない。音声情報を直接脳内に伝えるサイレントデバイスが媒体の主流になっている。映画の台本もそうだ。


 今の時代、紙で作られた本など流通していない。百年前くらいまでは紙の書籍はまだ主流だったらしいが、今では電子媒体では残せないような機密情報の記すためにしか使われていない。

 もうこの先の時代で、小説家が職業として成り立つことはないだろう。


「できることなら小説家を続けたかったな」


 それはそうだろう。俺だってアクション俳優ができなくなることを想像したくない。それが老いや実力不足ということで引退するのならば納得はできるだろうが、文後の場合はただ時代に合わないというだけで自分の道を閉ざされてしまった。

 それでも御荘院文後の価値がなくなったわけではないはずだ。


「さっきも言ったけど、素晴らしい脚本だ。脚本家じゃ満足いかないのか?」


 俺がそう言うと、文後はおかしそうに笑った。


「別に脚本の仕事に不満があるわけじゃない。むしろ感謝しているよ。小説家として食べていけなくなった僕に、また物語を作る機会を与えてくれたんだから。今では、君の映画の脚本ができたことに誇りを持っているよ」


 それで良かったとはならないだろう。全てが嘘ではないだろうが、文後は無理をしているように見える。

 そこで俺は思いついた。文後を慰めようとか、考えを改めさせようとかそういう意図はない。純粋に俺がそうしたいと思っただけだ。


「なあ、文後。君の小説はどうしたら手に入る? 例えば【コントラディクション】とか。この撮影が終わったら、是非読んでみたい」

「通販はまだ続いているから買えるけど、君が読みたいと言うのなら送るよ。他にあと何冊か君におすすめの本もある」


 文後はそう言うが、それでは俺の気が済まない。


「プロの小説家の作品だろ。それならば相応の対価を支払わないと」

「気にしないでくれ。僕は、より多くの人が小説を読んでくれればそれでいいよ」


 無理に金を支払うのも悪い気がしたので、文後の厚意に甘えることにする。


「ありがとう。今回の撮影が終わったらしばらく休暇を取る予定だから、その時に必ず読むよ。楽しみにしている」


 俺はそう言いつつもむなしさを感じていた。たとえ俺一人が小説を読み始め、小説を好きになり、小説の素晴らしさを広めようとしても、小説の消失は止められない。できれば消えてほしくないと思ったとしても、時代が進み、表現方法が進化していけば、時代に取り残されたものは消えていく運命にある。


 これがアクション映画だと考えれば胸が痛い。生の人間のアクションがなくなり、アンドロイドが全てを担う時代が数十年後にやって来る。俺はその時代を絶対に受け入れられると自信を持って言えない。


 文後は一足先に、その虚しさと戦っている。だからこんな言葉を出すのだろう。


「こんなことを言うと不謹慎かもしれないけど、世界が巻き戻ることが少し嬉しいんだ」


 言いたい気持ちは分かるが、言ってほしくはなかった。


「小説が消えることがなくなるから」


 予想はしていた。小説という文化が消失する未来を文後が受け入れられるだろうかという疑問はあった。今の一言で確信に変わる。文後には【巻き戻り】を推進する動機がある。


「そうかもしれないね」


 俺がそう応じると、文後は苦笑いを浮かべる。


「つまらない話をしてしまったね。君の映画、期待しているよ」

「俺も、君の小説を楽しみにしている」


 こうして文後は去って行った。文後とはこれからも仲良くしていきたい。リウァインダーとの関わりがあるなんて、俺や新の勘違いであってほしい。しかしその願いさえもろくも崩れていった。通信機が鳴る。


「新だ。今、大丈夫か?」


 俺は周りを確認した。目に見える範囲に文後はいない。遠くにスタッフが数名歩いているが、小さな声を聞かれるような距離ではない。俺は「大丈夫だ」と返答した。


「俺の部下が御荘院文後に関する新しい情報を掴んだ。今夜リウァインダーと思われる男と密会するらしい。俺達はそれを調べるつもりだが、お前さんも来るか?」

「もちろんだ。詳しい場所と時間を送ってくれ」


 未来へ進むための、小説を消すことになる作戦が始まろうとしていた。

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