第一章(5)

 俺が主役として出演している映画が未来視症候群を引き起こしている。新はそう言った。もちろん信じたくないが、事実であることを前提に話を進めた方がいいだろう。


「舞さん。君は大丈夫なのか?」


 俺はすかさず訊く。俺のマネージャーである舞さんも、俺の映画は何度も観ているはずだ。新の話が正しいのならば、彼女も未来視症候群に罹患していても不思議ではない。

 俺はそう心配したけど、舞さんに怯えた様子はない。


「はい、私にはそんな症状はありません」

「まあ、末星の映画を観た奴全員が未来を視てたら、世界はもっと悲惨なことになってるぜ。嬢ちゃんみたいに何の影響もない奴が大半で、ちょっと敏感なやつが引っかかってしまっただけって話さ」


 新がそう言うけど、未来視症候群にはただの病気で片づけられない問題がある。


「でも、実際に未来を視て死者や行方不明者がいるんだろ?」

「おいおいおい。そんなもん、死んでない奴、いなくなってない奴がほとんどだろ。実際に死んだ奴、いなくなった奴にしたって因果関係は証明されてない」


 それはそうだ。俺も分かった上で敢えて言ってみただけだ。未来視症候群という疾患はあっても、本当に未来視をしているわけではない。

 ところが新はこう付け加える。


「ただし、この未来視症候群にはターゲットがいて、そいつだけは本当に未来を見せられている可能性がある」

「俺だな」


 俺がそう言うと、新は笑みを浮かべながら首肯する。そういう展開になるのだろうなと覚悟はしていた。


「あんたはそれをわざわざ教えに来てくれたのか」

「まあ、そういうことになるな。もう分かっていると思うけど、俺はいわゆるレジスタンスなんだ。だから【巻き戻り】に関係するようなことはいろいろ調査しているってわけだ。そしてお前さんに辿り着いた」


 今まで未来視症候群の話をしていただけなのに、急に【巻き戻り】の話になったようと感じる。話が段々ときな臭くなってきた。


「俺を狙っているのは、政府か、それとも他の国か?」

「まさか――。俺がそこら辺のレジスタンス気取りのように、政府が巻き戻りを引き起こしているとでも言いたいのか?」


 意外な返答だった。舞さんも少し驚いた様子を見せている。レジスタンスを自称するからには、新は政府と争っているとばかり思っていた。


「違うのか? じゃあ、【巻き戻り】を阻止する側か?」

「ああ、政府はどちらかというと味方だ。いや、敵の敵って言う方が正しいな。表では世界の【巻き戻り】を受け入れろなんて言ってるが、裏では【巻き戻り】を阻止するための対策をちゃんと立てている。成功する可能性もそれなり高いらしいぜ」


 政府の機密情報をどうして新が知っているのかはともかく、新が言いたいことは分かってきた。俺に接触してきた理由としてはこっちの方が大きいだろう。


「けど、その対策を邪魔する勢力がいて、俺が出ている映画の関係者にその勢力の人間がいるってことだな」

「その通り。話が分かるねぇ」


 そう言って、新は一枚の写真を取り出して、俺に見せた。あるバーのテーブル席で二人の男が向かい合って座っている。新が片方の男を指差してこう訊く。


御荘院文後みしょういんぶんご。知っているな?」

「もちろんだ」


 脚本家。彼も【終末の世代】だ。現在撮影している映画の脚本も務めている。元は小説家であったらしいが、映画界にその才能を認められ、脚本家として活躍するようになったようだ。新が名前を挙げる前に、俺は彼のことが話題になると思っていた。


「文後のことはよく知っている。【コントラディクション】と【アキト・スミス】も彼の脚本だ。特に、【コントラディクション】は文後の小説が原作だったな」


 未来視症候群を引き起こしている三つの映画の内、二つの映画の脚本を担当している。しかし文後が関わっていない【アルティメットカンフーマスター】は未来視症候群の発生装置としては実験段階だったかもしれないことを考慮すると、本命の映画は全て担当していることになる。これを偶然とは言いがたい。


「未来視症候群にも関係あるだろうが、今の問題はそこじゃない」


 新がもう片方の男を指差す。


「この男はリウァインダーの構成員だ。まあ、名前くらいは知ってるな」

「ああ。【巻き戻り】を神聖視している過激派のレジスタンスだろ」


 さすがに知っている。レジスタンスの中では最も危険だと言われている組織だ。政府の建物を襲撃して死傷者を出すような事件を何度か起こしている。


「政府の【巻き戻り】対策を妨害することに関わっているかもしれない。俺達はこれを阻止して、リウァインダーのしっぽを掴みたい」


 文後が危険な組織と繋がりがあるとは信じたくない。写真の中の男がリウァインダーの構成員である証拠などない。しかし俺は否定しようとは思わなかった。疑っていないわけでもない。ただ、自分の眼で確かめようと決めた。


「だから御荘院文後の取引の阻止に協力してほしい。もちろん危ないことは頼まない。もし御荘院が撮影現場に来たら、関係者と怪しいやり取りをしていないか見張っていてほしい。それだけだ」


 撮影現場にいる俺なら探りやすいだろう。文後が現場に来る日程もよく知っている。確かに危ないこともない。簡単な仕事だ。しかしやる気を出したわけではない。


「俺が協力したとして、俺に何のメリットがある? 俺は別に、世界が巻き戻っても構わないと思っているぞ」

「嘘だな」


 もちろん俺は嘘をついていない。【巻き戻り】なんて起きてほしくないと願っているわけではない。それでも新は自信ありげに断言する。


「お前さんはそんなこと思っちゃいねぇよ」


 俺は言い返せなくなった。新に心の内を見透みすかされているような気がする。本当は【巻き戻り】なんて望んでいない自分がそこにいると錯覚してしまう。


 俺は自分で言っていたではないか。次の世代で俺を超えるような人が出てこないのは寂しいと――。もしかしたらいつかのインタビューでそんな話をして、新がそれを知っていたのかもしれない。

 俺が黙っていると、新が話を続ける。


「それに忘れたのか? お前さんは狙われている。未来視も本当にしているようだし、自分が危ないって感じているんだろ? だから俺達がお前さんを護衛する。けっしてお前さんを死なせやしねぇよ。なんたって、お前さんは俺達のラストスターだからな」


 俺の身の危険や文後のことを知らせてくれたのだ。胡散臭い男だけど、とりあえずは味方だと考えていいだろう。


「分かった。文後のことについてはとりあえず協力する。けど、その後に【巻き戻り】を阻止するかどうかは、自分の命が安全になった後で決めることにする」

「お前さん達、子供は欲しくないのか?」


 新が急に話題を変えてきた。なるほど、新がなぜ【巻き戻り】を阻止しようとしているのに、政府にあらがっているのかが分かった。子供を作らないという政府の方針に反しているからだ。


「その子供には、短い生涯を強いることになるんだぞ」

「【巻き戻り】を起こさなかったら関係ねぇ。そうだろ」


 理屈ではそうだが、世界を巻き戻らなくすることなんて保証できないだろう。そう反論しようしたが、その前に新が舞さんの方を向く。


「嬢ちゃんもそう思うだろ。これで堂々とスーパースターと交際宣言できるぜ」

「お前。俺達はそんな関係じゃない」


 舞さんが口に出すより先に俺が否定した。舞さんは美人過ぎるマネージャーということでメディアに取り上げられたことがある。だからたまに言われるんだ。俺と舞さんが恋人関係なのではないかと――。根も葉もない噂を流されるのは嫌いだ。


「はいはい。ちょっとからかってみただけだよ。ったく、頭が固いな」


 そう言いながら、新は小さな箱を俺に投げた。受け取って開けてみると、中にはイヤホンマイクと通信機、そして車のスマートキーらしきものがある。


「通信機の説明データは箱の底のコードにある。必要な時はそれで連絡するからずっと持っておいてくれ。あと車を貸してやるから嬢ちゃんを送ってやりな」


 そして新は背を向ける。少し愉快そうに口元を緩めているようにも見えた。


「じゃあな。一緒に世界を【巻き戻り】から救おうぜ」


 どこまでも勝手な男だと俺は呆れながらも、去り際の台詞には言い返すことができなかった。

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