第一章(4)

 警察署での事情聴取の後、俺は舞さんを彼女の自宅へ送ることにした。マネージャーが担当の俳優に送ってもらうなど言語道断だと舞さんは言っていたが、むしろ俺がお願いをした。あんな事件があったばかりだ。マネージャーとはいえ若い女性を夜道で一人にして、何かあったら俺はもう恥ずかしくてヒーローを名乗ることができなくなる。


 夜の八時。適当なところでタクシーを捕まえようとしたが、人通りが少ない道だからかなかなか見つからない。遠回りになるが大通りに行こうとした時、俺は異変に気付いた。舞さんの手を引く。


「末星さん……?」


 舞さんが恥ずかしがっているが、俺は構わずに舞さんの手を握る。やましい気持ちはない。そんなことを考えている場合ではない。


「舞さん。俺達、つけられてる」


 男が俺達のことを追っている。深くフートを被った男だ。夕方に未来視症候群が暴れていた現場にいた男と風貌ふうぼうがかなり似ている。追って来ているのは一人だけのようだ。ただのファンだと思わない方がいいだろう。足音の出し方に素人臭さを感じなかった。しかも相手はわざと俺に気づかせたふしもある。


 反対に俺は、映画で尾行をくシーンを演じた者の、実際にこういう状況に出くわしたことは今まで一度もなかった。映画のように、段々と人気のない所に誘い込まれているように感じる。そう感じていても俺はそれに逆らうことができない。

 やがて行き止まりに来てしまった。そこで男がはっきりと姿を現す。


「スパイ映画に出ていても、実際に尾行を撒くのは苦手なようだな」


 そして男はフードを取る。三十代前後の男性だ。黒髪のリーゼントで、彫りの深い顔をしている。今の時代ではあまり見ないようなファッションだ。


「よお、璃音末星。悪いがちょっと面を貸してくれよ」


 俺は即座に戦闘の構えを取る。すると男は両手を前に出してそのままぶるぶると振る。


「警戒すんなよ。危害を加えるつもりはねぇ。俺はお前さんと話をしたいだけだ」

「そうか。サインが欲しいなら色紙をくれれば――」

「お前さん、未来視症候群だろ?」


 どうやら話を聞かざるを得なくなったようだ。この男は俺に関する秘密を知っている。もしかしたら俺が知りたいことも――。


「なんで知ってんだって顔だな」

「分かった。話をしてもいい。けど、先にこの人を家に帰させてくれ」

「だから別に何もしねぇって……。折角だからその子も混ぜてやれよ」


 俺は舞さんを見てみる。少しでも怯えているようならば、舞さんを連れて逃げようかとも考えたが、意外にも舞さんは気丈に振舞っていた。


「私なら大丈夫です。私もあの人の話を聞いてみたいです」


 舞さんにそう言われてしまえば俺も引き下がるわけにはいかない。この男が怪しい動きを見せたらすぐに逃げると考えつつも、俺は男に頷いてみせた。すると男は満足したかのように笑みを浮かべる。


「その気になったようだな。俺は駒戸新こまどあらた。よろしくな」

「あらた? 新しいと書いて【新】なのか?」

「そうだ。良い名前だろ。ちゃんと親につけてもらった名前だぜ」


 新はまだ三十歳前後だろう。この世界では若年層だ。もうこの男が生まれた頃には、子供の名前には終末を連想させる言葉を入れる風潮があったはずだ。俺の【末星】なんかは良い例だ。舞さんも【仕舞い】から取ったらしいと本人が語っていた。


 反対に、未来を連想させるような言葉を入れないようにする風潮もあった。世界はその世代で終わるにもかかわらず、未来に希望を持つべきではないということだ。

 そんな名前を持ち、自分でもその名前を誇りに思っているということは、【巻き戻り】を阻止するタイプのレジスタンスと見て間違いないだろう。


 さて、俺が未来視症候群であることを新は知っていた。ということはこういうことになりはしないだろうか。


「あんたは未来視症候群なのか?」

「違うな。けど俺はこの世界が巻き戻っていることを知っている」


 たいして意味はないかもしれないが、巻き戻っていると聞いてすぐに思いついたことを訊いてみる。


「じゃあ、今のこの世界は何回目なんだ?」

「そんなの知らねぇよ。でも、この世界が二回目以降だってことは確かだ」


 あまり期待していたような答えではなく、そんな態度が出てしまっていたのか、新が怪訝そうに俺を見つめる。


「なんだよ。俺、変なこと言ったか?」

「いや、てっきり何万回も繰り返しているみたいなことを言うと思っていた……」


 俺がそう言うと、新は明らかに馬鹿にしたような眼で俺を見る。いや、割と本気でそう思ったのだが――。


「SF映画の観すぎだろ」

「いや、そういう話の映画に出たことがあったから……」


 デビューしたての頃に出演した低予算の映画だ。同じ日を何度も繰り返し、その記憶を保ち続けている男を演じた。監督の想定以上にアクションシーンに迫力がついて話題になり、俺が有名になるきっかけとなった映画だ。

 新が愉快そうに笑う。どうやらあの映画を知っていたようだ。


「そう言えばそうだったな。あの頃のお前さんは、アクションは一流だけど、セリフは大根だって言われてたっけ」

「勘弁してくれ。当時、結構気にしていたんだぞ」


 それまで筋肉トレーニングやアクションの特訓しかしてこなかったのが、ボイストレーニングや台本の読み込みに時間を費やすようになったものだ。その甲斐もあって、今では演技に関する不評はあまり聞かない。


「話を戻そう。俺は確かに、この世界が本当に巻き戻っていることを知っている。けど、知っているだけだ。この先の出来事についての記憶があるというわけではない」


 新はそう言うが、俺には腑に落ちないことがある。


「けど、あんたは俺が未来視症候群だって知っているじゃないか。俺はそんなこと誰にも打ち明けたことがない」


 知らないはずのことを知っているということは、やはり未来を視ているのかと疑ったが、どうやら違うようだ。新が首を横に振る。


「特にお前さんは、その可能性が非常に高いと思っただけだ。順を追って話す」


 俺は大人しく聞くことにする。未来視症候群に原因があるのなら素直に知りたい。


「未来視症候群。あれは単なる妄想じゃなくて、科学的に証明されている症状だ。けど巻き戻りによる未来の記憶じゃない。何者かが意図的に引き起こした精神異常だ。俺の方の組織でも、未来視症候群の罹患者りかんしゃが何人かいる。そいつらを調べてみるとあることが分かった」


 未来視症候群には法則性があるということらしい。信じがたいことだが、とりあえず黙って新の話を聞いてみる。


「未来視症候群の罹患者は、とある映像をよく観ていたようだ。もちろんそれを観ている奴が全て罹患したわけじゃないが、それでも観る種類や回数が多い方が、その傾向が強かった。逆にその映像を全く観たことがなくて罹患したって奴は俺の知る限りではいないな。そういう奴ってあんまりいないと思うけど」


 新の話によると、未来視症候群を引き起こす映像は複数存在して、それらは多くの人に見られているようだ。


「その映像って何だ?」

「直近のものだと【コントラディクション】」


 何のことかと一瞬思ったが、すぐに気付いた。そしてそれが勘違いか、ただの偶然であることを願った。


「あと、【アキト・スミス】」


 勘違いでも偶然でもなかった。俺はただ息をむことしかできない。


「その前だと【アルティメットカンフーロード】だな。けどこれは影響が少ないらしい。まだ試験段階だったのかもな。確認できたのはこの三つだ」

「末星さん……。これって……」


 舞さんが不安そうな声で我に返る。なるほど、それは確かに、多くの人が観たことがあって、特に俺が全ての種類を頻繁に観るような映像であるはずだ。

 新がその答えを言う。


「そうだ。全部、お前さんの主演作だ」

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