第一章(3)

 四十五年後の西暦二千二百五十二年、世界は巻き戻る。それが世間に信じられている理由は二つある。


 一つは、科学的に証明されたからだ。


 二十二世紀半ば、宇宙の探査時にある事故が起きた。太陽系の外縁で謎のエネルギーの帯が発見される。その調査の際、有人探査機の一つが突如姿を消した。一か月後、その有人探査機の部品と思われるものがいくつも発見された。

 また、有人探査機が消えたとされる時間でこのような音声記録が残っている。最初は何語なのか分からなかったが、逆再生すると意味が理解できるものとなった。


『時間が戻っていく……』


 それから無人探査機で何度も実験を行ったことで、くだんの帯が宇宙の収縮を引き起こすブレーンだと判明したらしい。そのブレーンの内側では物質はエントロピーを失い、状態が巻き戻るとのことだ。

 無人探査機は製造される前の部品に戻った。有人探査機に乗っていた飛行士も生まれる前の状態に戻ってしまったのだろう。音声記録は進むにつれて飛行士の声が幼くなっていったらしい。


 ブレーンは徐々に大きくなっていて、やがて太陽系を包み込み、時間を巻き戻し切った後にビックバンを引き起こすとされている。二千二百五十二年がその年だと計算されてしまった。これが科学的な証明である。


 そしてもう一つは、未来が視えるという人間が世界で何人も確認されているからだ。


 未来視症候群。


 名称の通り、未来で自分の身に起こる出来事が急に分かるようになるという症状である。二十三世紀に入るとその症状が次々と確認されるようになった。その未来は大抵、自分が死ぬような内容であり、そのため精神を病んでしまう人が多いそうだ。

 そんな症状だけならば病人の戯言たわごとということで片づけられるだろうが、未来視症候群の患者が実際に死亡したり行方不明になったりするので、本当に未来を視ていたのかと疑われるようになった。


 ビックバンとは違い、未来視症候群については科学的に立証されておらず、政府も疾患についての冷静な対処を呼び掛けている。それでも患者の死亡事例があるため、信じ込んでしまっている者も少なくはない。未来視を神の啓示だと宣う新興宗教もあるくらいだ。


 さて、今は夕方、打ち合わせの後に事務所へ帰るため、俺は舞さんと一緒に街中を歩いていた。その目の前に、未来視症候群の罹患者りかんしゃだと思われる男性がいる。四十代くらいの痩身だ。手にはナイフを持っていて、乱雑に振り回している。


「どこだ。俺を殺すつもりなんだろ。どこにいる?」


 未来視症候群の罹患者を見るのは初めてだが、典型的な罹患者のように見える。自分が死ぬ未来を視たようだ。非常に錯乱しており、いつ他人に切りかかってもおかしくない状態だ。


「舞さん。下がっていて」

「え……。逃げましょうよ」


 舞さんは俺の身を案じてくれたのだろう。しかしあれくらいならば何とかなる。


「あの男を止めないと。死傷者が出るかもしれない」

「わ、分かりました……」


 舞さんは引き下がってくれた。そこまで心配しなくても制圧は簡単だと思う。男は鍛えているようにも見えず、ナイフの扱いも慣れていないようだ。撮影用アンドロイドの動きに合わせることの方が難しい。

 とはいえ制圧より先に、警察官が来るまでの時間稼ぎを考える。俺は男の前に出る。十メートルくらい離れたところから話しかけた。


「落ち着いて。ナイフを置いてください」


 すると男がナイフをこちらに向けてきた。


「お前か。お前が政府の差し金か」

「一体何を言っているんですか? 俺は政府の人間じゃない」


 男の未来には政府の人間が映っていたのだろう。だからといって本当に政府の人間がこの男を殺すわけはないと思う。


「とぼけるな。レジスタンスである俺をほうむりに来たんだろ。【巻き戻り】を阻止させないために。そんなことさせるか。お前らに時間を戻させるわけにはいかない」


【巻き戻り】が公表されてから、世界中でこの男のような反社会的活動を行うやからが増えた。面倒なことに、政府が時間を巻き戻すのを阻止する勢力もあれば、実は政府は【巻き戻り】に対処していると考え、それを阻止しようとする勢力もある。

 この男は前者であるようだ。もしかしたら未来視症候群ではなく、ただ気が狂っただけなのかもしれない。


「とにかく落ち着いて。政府は世界を巻き戻したいわけじゃないでしょう」


 あくまで【巻き戻り】は自然現象として起こるものであって、政府はそれを止められないだけだ。この男の言い方だと、政府は自発的に世界の時間を戻そうとしていることになる。


「そう言っているんだ。お前らは何かを隠しているのだろう」


 もはや何を言っても通じないようだ。警察官はまだ来ない。このまま時間稼ぎをするべきか考えているところに、男が突進してきた。


「お前らの好きにさせるかぁぁああああ」


 男は腰の位置にナイフを構えている。真っすぐ俺の腹部を刺すように直進しているだけだ。俺は一瞬左側を見た。約三十メートル先まで誰もいない。


 俺は右から横蹴りを繰り出す。男の手首に直撃してナイフが弾かれていった。


 それから男の背後に回り、彼の両腕を巻き込むように腕を通す。そのまま彼を下敷きにするように倒れ込む。すると男がもがきながらこんなことを言い出した。


「お前、見たことある顔だと思ったら、璃音末星だな。お前みたいな奴は、【巻き戻り】なんて大歓迎だろうな。永遠にスーパースターの人生を送れるもんな」


 男の言うことを俺は否定する気はない。その通りとしか言いようがないからだ。うらやむ気持ちも分からないわけではない。


【巻き戻り】は人によっては残酷な仕打ちだ。

 誰もが幸せな生涯を送れるわけではない。中には理不尽に命を奪われた者、権力に抗えず奴隷のような扱いを受け続けた者もいる。


 そしてそれは今生きている人に限ったことではない。【巻き戻り】が起これば世界は宇宙ができる前まで巻き戻ると言われている。つまり今まで生きていた生物で悲惨な末路を辿った者は全て、その末路を繰り返さなければならない。永遠に救われないのだ。


「君の言いたいことは分かる」

「分かるわけねぇだろ。お前みたいな天才に」


 そう言われたが分かる。彼は未来視症候群だ。きっと自分が殺される未来を視てしまったのだろう。そんな運命を永遠と繰り返さなければいけない運命に抗いたいのだが、もうなす術がないと思ってしまったに違いない。


「どれだけ世界が残酷でも立ち向かわない理由にはならないだろ」


 こんな青臭いセリフを実際に言うとは思わなかった。映画の登場人物としては何度も言った。こんな言葉に意味はあるのかと思ったことも何度かあったが、実際に窮地に立った人を前にして、他に言葉が思い浮かばなかった。

 気のかない言葉だが、間違ってはいないと思う。たとえ未来が決まっていて、それが最悪なものだったとしても、俺達にできることはそれくらいしかない。


 俺の想いを受け取ってくれたのか、男は暴れるのを止めた。


「ちくしょおおおおおお」


 叫び声とは裏腹に、身体の力は抜けていた。そこでようやく警察官が到着して、俺は彼らに男のことを任せることにした。


 警察官が男を連行した後、俺達は別の警察官に案内されてパトカーに乗った。近くの警察署で事情聴取を受けるためだ。念のため舞さんもついて来てくれることになった。

 パトカーの中で舞さんが不機嫌そうな顔をしながら話しかけてきた。無茶をしたことを叱られると思ったがそうではないみたいだ。


「あの方は、本当に未来が視えていたのでしょうか?」

「さあ、違うかもしれないね」


 彼が本当に未来を視ていたのかどうかはどうでもいい。何を視ようが結局決まった未来などあり得ないと俺は思っている。


「そうですよね。本当は未来視症候群なんてないっていう話ですし……」

「そうだね」


 舞さんに対して、俺は自分の気持ちをいつわった。確かに決まった未来などないし、そもそもあの男は未来視症候群ではないかもしれない。しかし未来視症候群は本当に存在すると思っている。


 なぜなら俺自身が、自分が死ぬ未来を視たことがあるからだ。


 アクションシーンの撮影中、俺は銃に撃たれて死ぬことになるらしい。

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