第一章 終末の世代

第一章(1)

 二千二百六年六月某日。快晴。絶好のアクション日和だ。


 これから爆弾が爆発する大通りを走り抜け、逃げ遅れた子供を助けつつ、橋の崩落した箇所を飛び越えるシーンの撮影が行われる。危険が伴う撮影になるが、俺にとっては当たり前の出来事だ。むしろ久々のアクションシーンで、早く撮りたくてうずうずしている。


「アクション」


 号令と共に俺は走り出す。まずは、街で敵の組織と戦っていたが第三勢力によって引き起こされた爆発によって退避を余儀なくされたというシーンだ。俺が大通りに走り、後を追うように後ろでは小規模な爆発が何度も起こされている。


 走っている途中で、六歳くらいの子供が立ちすくんで泣いているのを見る。これが逃げ遅れた子供だ。俺はその子供を抱えて走る。後ろの地面は既に爆発で崩れており、前に進むしかない。


 しかし進む先にある橋は崩落している。このシーンの前の戦闘で爆破されたということになっている。向こう側までは約七メートル離れている。


 俺は助走をつけて迷わずに跳んだ。そして途中で子供を高く前へ放り投げた。俺は受け身を取りつつ何とか向こう側までたどり着いた。

 床は見た目や設定と違って柔らかい素材でできているが、それでも痛い。そんなことより、すぐに起き上がり、放り投げた子供をキャッチする。そしてそのまま橋を走り抜けた。


 橋の向こう側では爆発が収まり、俺は安全を確認する。そして子供を地面に下ろす。


「カット」


 監督の声と共に、拍手と歓声が巻き起こる。このシーンの撮影は無事に成功したようだ。俺も肩の力を抜く。そして監督と握手を交わした。


「まさか本当に通しで成功させるなんて、やっぱり君は素晴らしいよ」


 本来は爆発から逃げるシーンと子供を連れて橋の崩落した部分を飛び越えるシーンは別で撮られる予定だったが、一度だけ繋げて撮影しようと俺が提案したのだ。そもそも爆発のシーンは一度しかできないので、繋げて撮るチャンスは一度だけだ。失敗してもいいように調整してもらっているとはいえ、何が何でも成功させたかった。


「ありがとうございます。でも俺というよりみなさんのお陰ですよ」


 俺は高く手を掲げて拍手をしながら周りを見渡す。謙虚というわけではなく本当にそうだと思っている。映画は俺だけのものではない。俺はただ主役というだけのことだ。監督や脚本、他のキャスト、カメラマンや様々な分野のスタッフがいて初めて成り立つ仕事だ。


 橋でのシーンが無事に撮られたということで、今日の撮影はこれで終了だ。簡単なミーティングの後、解散となった。すぐに長い茶色の髪をなびかせたスーツ姿の女性が俺の方に来る。


「末星さん。お疲れ様です」


 マネージャーの菊須舞きくすまいさんだ。管理栄養士とマッサージ師も担当してくれている。人口が激減した現在、一人の人間が様々な役割を果たすことは珍しくはない。といっても舞さんのようなどの分野でもかなり優秀な人はめったにいないと思う。


「ああ、舞さん。あとでマッサージを頼めるかな」

「ええ、分かりました」


 俺は撮影現場から立ち去ろうとする。スタッフやキャストが俺に気づき、丁寧にお辞儀をする。


「末星さん。お疲れ様でした」

「お疲れ様でした」


 俺も頭を下げながら通り過ぎていく。挨拶が一通り終わり、周りに人が少なくなってきた時、舞さんがこんなことを言い出した。


「以前から思っていましたけど、末星さんって、とても律儀ですよね。アンドロイドにも丁寧に挨拶するなんて――。やはり共演者と感じるものなのですか?」


 アクション映画の撮影におけるキャストは人間だけではない。アンドロイド、つまり人間を模した機械がその中に混じっている。現代では、アクションシーンにおいて主人公に倒される役のほとんどがアンドロイドだ。人間と違って、本当に殴っても構わないし、極端に言えば壊してしまっても構わない。アクション映画にとっては便利な道具だ。


 撮影の直後なので、調整や修理をされているアンドロイドも現場にちらほらいたようだ。それらも人間と同じように挨拶をしていた。

 とはいえ俺はアンドロイドのことを共演者だとは思っていない。


「そういうのじゃないよ」


 アンドロイドはアンドロイドだ。人間ではない。ただの物体に礼儀を重んじる必要はないと俺も思っている。撮影中でなければアンドロイドはその両頬にランプが付くので、やろうと思えば人間だけに挨拶することはできる。

 それでもアンドロイドにも挨拶するのは理由があるのだ。


「俺が売れ出した頃、アンドロイドを多用した映画の撮影で、周りがみんなアンドロイドだと勘違いして、挨拶せずに黙って現場から帰ったことがあったんだ。そしたらキャストやスタッフにちゃんと挨拶しろ、少し売れたからって図に乗るなって怒られてさ……」

「そういうことだったのですね」


 舞さんは笑う。今では笑い話にできるが、当時の俺は相当焦ったものだ。生意気だと思われたくないので、人間かアンドロイドに関わらず挨拶は欠かさないようにしている。

 人間の代用として作られたので当然なのだが、アンドロイドの見た目は人間そのものだ。両頬のランプが付いていない時は人間にしか見えない。動きも人間と変わりない。

 とはいえ俺にも思うところがある。


「だったらアンドロイドに挨拶の機能なんてわざわざつけなくていいと思うけどね。撮影外はそのまま機能停止していればいいのに――」

「でもそうしたら、本物の人間に無視されたとか、じっと見られているとか、感じるらしいですよ」


 そんなことを話しながら歩き、もうすぐ撮影所を出ようとしたところで、一体のアンドロイドが俺の前に来た。


「お疲れ様です」


 さっきの撮影で子供の役を演じたアンドロイドだ。撮影中のそれは、助けを待っているシーンでは泣きわめいていた。

 助けたシーンの後のこともよく覚えている。撮影自体は爆発のシーンより前に行われた。橋の先ではその子供の母親らしき人物が待っており、子供が母親のところに行く前に、一度俺の方を見て笑顔を向けるというシーンだ。


「お兄ちゃん。ありがとう」


 あの時のそれは、本当に小さな子供なのか、小さな頃の自分はきっとこんな風に笑っていたと錯覚してしまう程だ。それくらいあどけない子供の笑顔を再現していた。


 しかし俺は知っている。この子供の正体はただのアンドロイドだ。上に投げ飛ばして万が一地面に叩きつけられたとしても、少しのパーツの交換で使えるものに戻る。投げられるために実際の子供よりも軽くなるように調整された小道具だ。


 今のそれは、綺麗に整った姿勢で礼儀正しく頭を下げている。少なくとも俺はこんな大人がするようなお辞儀を小さな子供の時にしたことがない。気持ち悪いとは思わなかったが、強烈な違和感を覚える。

 俺は何も言わずにそのアンドロイドの横を通り過ぎた。


「えっ……。あっ……。お疲れ様です」


 舞さんが慌てたように挨拶を返して、俺の横に追いつく。そしてこんなことを訊いてきた。


「どうしてあの子には挨拶をしないのですか?」

「あれには必要ないだろ」


 そうだ。あのアンドロイドには何も言う必要がない。撮影外で何も声を返さなかったところで生じる問題は何もない。舞さんも分かっているはずだ。


「あれは絶対に人間じゃないから」


 今からの四十六年後に世界は巻き戻る。そのため世界はある時期をさかいに子供を産まないことを決めた。先の世代に生まれた人間が短い人生を強いられないために――。


 俺や舞さんのような満年齢二十四歳の人間は、まだ子供を産むことが許された時代の最後の年に生まれた。【終末の世代】と呼ばれている。


 つまり世間的には、この世界には人間の子供は存在しないことになる。

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