午後4時09分

男の仕事は運命の仕分け人で、いわゆる神様の一人だという。


今日起こる事故の運命を、雲上うんじょうニュース番組で知ったじいちゃんは、運命仕分けセンターに駆け込んで、生きている時に貯めたポイントを僕の為に使ってくれていると言うのだ。


「今回だけじゃないですよ」

仕分け人の持っている帳面は分厚かった。


不幸中の幸いって、そうやって起きていたのか。

「じゃ、もしかしていままでの…」

男は続きも聞かずに言った。

「はい、そうですよ」


今まで起きた最悪なことは、最悪なことじゃ無い。


「子孫代々有効な永久ポイントです。雲の上では代々のご先祖たちがポイントを届けにやってきますよ。当の本人は、災いが軽減されているなんて、ちっとも気付きませんけどね」


男は、年季の入った仕分け帳をしみじみと眺めて言った。

「知ってましたか?ご先祖はね、代々遡ると何百万人にもなるんですよ」


僕はたくさんの先祖に見守られているのだ。


「最悪だなんて口で言えている最悪は、大丈夫ということです。さて、もうすぐ陽が沈みますよ」

僕と男は、雲のふちへと歩いた。



地上を見下ろすと、薄暗い空と街が見える。

小さな家々の窓にあたたかい明かりが灯り始めていた。

車や人々が家路に急いでいる。

事故の交差点には赤い車が停まっていて、数人の警察官が僕を探していた。



僕はまさに雲隠れ中。

地上に戻ったら、事故現場だ。

でも大事故じゃ無い。


「僕もじいちゃんみたいに、ポイントいっぱい貯めます」


「そうですね。息子さんもお孫さんもひ孫さんも夜叉孫さんも、あなたのポイントで幸せにできる。仕分け書を拾って頂き助かりましたよ」


そして男は笑って言った。

「心ばかりですが、お礼まで。またいつか雲の上で」



突然、パパーンとけたたましいクラクションの音。

地上だ。

僕は運転席に座って、交差点の真ん中に戻っていた。


交差点で赤い車に行く手を遮られた軽トラは、ヘッドライトを何度も点灯し、早く行けとクラクションを鳴らした。

その脇から突進してきたのは、僕の車にぶつかった黒い原付バイクの若者だ。


「バカヤロー、停まってねーでさっさと行けよ!」


ヘルメットの中から怒鳴りながら、僕の車の鼻先を通り過ぎていった。

時計は4時09分をまわったところだ。


車窓から空を見上げると、雲の上から男が手を振っているのが見えた。


「ありがとう!」

僕は会釈して、こみ上げる驚きと喜びを抑えながら、速やかにその交差点を右折した。


県道を走ってくるダンプカーとすれ違いざま、運転手と目があった。

眠気を覚まそうと、缶コーヒー片手に運転している。

彼も無事に家に辿り着く事だろう。


時計を見ると午後4時13分だった。



家に着いて赤い車のエンジンを切ると、僕の帰りを待ち詫びていた息子が玄関先にケーキケーキと走ってきた。

台所から美味しそうな匂いがする。


珍しくエプロン姿の妻も出てきて、ブロッコリーと檸檬を受け取り、僕の顔を覗き込んだ。


「何かいいことでもあったの?」


妻が穏やかに笑っている。

「あなたの笑顔、久しぶりに見たわ」



そうか。

僕は、ずいぶん長い間笑顔を失っていたことに自分で気づいていなかった。

そして今日、笑顔を取り戻した。

息子の誕生日に、自分が生まれ変わるとは。


この大きな空の下で、じいちゃんに見守られていた。 

僕の命は前にも先にもずっと繋がっていて、ひとりきりの人間なんか誰一人いないんだと。


心地よい風が頭を優しく撫でていった。

胸のあたりがじんわりと温かくて、いまにも涙がこぼれ落ちそうだ。


遥か遠くまで広がる夕暮れの空に、やわらかな雲がいくつも浮かんでいた。

                        








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

運命の仕分け人 中里 蓮 @rrrennn

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ