回想2――高校一年生、冬
「た、高幡さん、おはよう」
「……」
そんなことがあって以来、私が話しかけると高幡さんは露骨に嫌な顔をするようになった。
まあそれはそうだろうと思う。
彼女からすれば、はっきり拒絶したはずの相手に付きまとわれているということなのだから。
「……」
しかし私はめげなかった。それどころか、今までよりももっと積極的に話しかけるようになった。委員会活動があるときだけじゃなく、別にこれといった用事のないとき――朝のHR前の時間とか、昼休みに一人でお昼を食べているときとか、帰ろうとして荷物をまとめている放課後とか――そういうときにも声をかけるようになった。
無視されても、嫌な顔をされても、めげずに。
自分のことでありながら、これは私にとって実に意外なことだった。
自他ともに認めるのんびり屋である私は、他人との争い事を好まない。相手と関係がこじれてしまったのなら、そのこじれを時間がほどいてくれるのを待つ、というのがいつもの私のやり方で、今回みたいに積極的にそのこじれに向かっていく、ということは本来しないはずなのだ。
だから意外だった。
そして高幡さんにとってはもっと意外だったようだ。
何回目かの無視と嫌な顔を乗り越えて「よければ一緒に帰らない?」なんてつい口走ってしまった委員会終わりの放課後。早くも日が沈みかけている十二月の校門の前にて。
「もう、いい加減にして」
私はついにその逆鱗に触れてしまったようだった。
「話しかけないでってちゃんと言ったでしょ、それなのにどうして付きまとうの、何度も何度も、ほんとうに、き――」
――気持ち悪い。
彼女の口からそう言われたとき、私は自分の胸に言葉の刃が――まるで皮を剥いたばかりの果物にナイフを突き立てたように――さくり、と音を立てて刺さったのを感じた。
そして同時に、同じ刃が高幡さんの方にも刺さっているのがわかった。
それはたぶん、私よりも深い所に、深々と。
「……」
高幡さんは言葉を発した口を開いたまま、唖然とした表情をしていた。
たったいま自分の口から出てしまったばかりの言葉が信じられない、というような表情。
そんな数秒の沈黙のあと、高幡さんは踵を返して駆け出した。
「ま、まって」
私はそれを追いかける。
学校前の通り、みんなが驚いて振り向いたりしてたけど、そんなことを気にしている余裕はなかった。
走り出す直前に、その目から大きな涙がこぼれたのが見えたからだった。
坂道の多いこの街を、走って、走って、こんなに走ったの小学生の持久走のとき以来なんじゃないかな、なんて場違いなことを考えながら、それでも走って、やがて道の下り坂に差し掛かったところで、彼女が転んだ。
「た、高幡さん」
息を切らしながら、うつ伏せになったまま動かない彼女の元へと向かう。
「……みないで」
嗚咽と息切れの混じった声で拒絶しながら、高幡さんはまだ泣いていた。
助け起こそうと身体に回した私の手を振りほどこうとしてくる。
私はもうどうしたらいいのかわからない。
いつの間にか知らない路地まで走ってきていたようで、周りには誰もいない。それがいいことなのかどうかはもう私にはわからなかった。こんな恥ずかしい場面を他人に見られないで済むけど、こんなどうしようもない場面を自分で何とかしなくてはならない。
ああ、こんなときどうすればいいんだっけ。
敢えてのんびりする?いやいや、そんなことができるわけない。
でもここには私しかいないのだ。
とにかく落ち着かせたい――その一心で私はその身体に抱きついていた。
「やめて、はなして、はなしてよ」
高幡さんはなおも抵抗してくる。
それでも私が意地でも離さないでいると、だんだんその力が弱まってくるのがわかった。
「……」
「……」
抱き締めた背中から伝わってくる呼吸が落ち着いてくるのを確認して、私は身体を離した。
高幡さんはもう逃げなかった。
私はその正面に回って様子を確認する。
と、なんだか見覚えのある傷が彼女の膝に見えた。右の膝。体育の時間に私が怪我をした所と同じ箇所。血がだらだらと出ている。
こんな風に同じ場所を同じように怪我しても、他人の傷の方が痛そうに見えるのはどうしてだろう。
「て、手当てしなきゃ」
「……いいからもう、放っておいて」
「そういうわけにいかないよ、どこか水がある場所、公園とか探さなきゃ」
「……」
おろおろしている私をよそに、高幡さんは立ち上がろうとした。膝が痛むのか、身体がよろめいている。慌てて肩を支えると、今度は拒絶されなかった。
「
「家?」
「……私の家、そこなら救急箱とかあるから」
「……行ってもいいの?」
「……来ないでって言っても、どうせついてくるんでしょ」
「……まあ、うん」
「……じゃあ、いいよ」
高幡さんは諦めたようにそう言った。
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