回想1――高校一年生、春から秋にかけて


 高幡さんと私が付き合い始めたのは、彼女の髪が今よりも長かった、高校一年生の冬のことだった。だからそれからもう丸一年も経ったことになる。まったく驚いたことに、告白してきたのは向こうからだった。

 高幡さんは成績がすごくいい。

 具体的に言うと、一応進学校と分類されているこの高校の校内テストで毎回学年一位を取ってしまうぐらい。

 そして愛想がすこぶる悪い。

 具体的に言うと、挨拶をされても返さないどころか、その相手を睨み付けてしまうぐらい。

 まあその当然の帰結として、入学して早々彼女には「いけすかないやつ」というレッテルを貼られてしまうこととなった(彼女は見た目もきれいなので、もしかしたらその嫉妬も含まれているかもなあ、なんて私は考えている)。

 しかし高幡さんはそんな風に一人になりながらも、りん、としていた。

 そして私はそんな様子を大勢の一人として眺めながら、すごいなあ、と思っていた。

 その振る舞いはたしかに「いけすかない」、かもしれないけど、あんな風に他人のことなんか気にしないで堂々としていられる勇気は、流れに逆らって生きることのできない私にはないものだよなあ、と思っていたのだ。


 まあとにかく、そんな感じでクラスで孤立していた高幡さんだけど、私とは時々話すことがあった。放課後の保健委員会での活動が一緒だったのだ。

 「健やかな成長」とやらをスローガンとして掲げているうちの高校の保健委員会は、その理念に違わぬ精力的な活動をしていて、週に一回は必ず会議がある(多いときは二回もある)。

 忙しいらしい――その噂は新入生たちの間にも広まっていて、だから皆から敬遠されていた。そしてそんなことは露ほども知らない上に部活動にも入っていなかった私と、その時点でクラスから浮いていて、同じく部活動に入っていなかった高幡さんが選ばれてしまったというわけだ。

 しかしその記念すべき一回目の委員会活動に、高幡さんは来なかった。

 なかなか来ないなあ、と空席の椅子を眺めていたらいつの間にか会議が始まっていて、あ、あれ?と戸惑っているうちに終わって、他のクラスの生徒が揃っているなかを、私は気まずい思いで過ごしたのだ。

 だから二回目からは、りん、とした様子でさっさと帰ろうとするその背中を私が慌てて呼びに行くようになった。


「高幡さん、待って、待って」

「……」

「ほら、今日委員会あるよ、一緒にいこう?」

「……」


 私が何を言っても高幡さんは無言のままだったけど、呼び掛けるとちゃんと会議に来てくれた。そうして委員会に参加するとなると、掲示物の製作とか、欠席した生徒の状況把握とか、そういう(面倒くさい)活動も意外とちゃんとこなしてくれた。


(無愛想だけど、思ったよりも真面目なのかもなあ……)


 という風に私は彼女のことを考えるようになっていった。


 でも私が一番彼女のことを「いけすかなくなく」思ったきっかけは、そろそろ秋の気配が漂い始めた一年生の二学期の、とある体育の時間のこと。

 グラウンドで走り幅跳びに挑戦しようとして、その前の助走で思いっきり転ぶ、という小学生みたいな醜態をさらしたとき。別のグループにいたはずの高幡さんがいつの間にか駆けつけてきて、保健室に連れていってくれたのだ。

 しかも保険医の先生が不在だったので、擦りむいた膝の手当てまでしてくれた。


「ご、ごめんね」

「……いい」


 私も保健委員だから――とそっけなく、しかし丁寧に傷当てパットを貼ってくれるその様子を見て、私は、


(やっぱりいけすかなくない、なあ)


 と思ったのだ。


「……」

「……」

「……ね、ねえ、高幡さんはさ」

「……なに」

「えっと、その……」


 どうして他の人とそんなに距離をおくの?――とは訊けなかった。

 例え彼女が実はすごく優しい人で、なにか理由があってそうしているんじゃないか、と私がもう思っていたとしても。


「あ、頭、いいよね」

「……は?」

「いやほら、この前の期末試験も一位だったでしょ」


 自分で話しかけたくせに話題に困ってしまった私がそういうと、誉められたはずの高幡さんは、全然嬉しくなさそうに目を細めた。

 それを見て私は、どきりとした。

 彼女のその様子は、まるでなにか、思い出したくないなにかをむりやり引っ張り出されたかのように――苦々しげで、そしてなんだかちょっと、傷ついたようにも見えたのだ。

 そしてもしかしたらそれは、私が傷つけたのかもしれなかった。


「頭がよくてもね、性格がこんなのじゃいいことないよ」


 高幡さんはそう自嘲した。


「貴女みたいにな方が、よっぽど有能な人間だよ」

「いい人?」

「そうでしょ?他に友達がいるのに、私みたいなのにもわざわざ仲良くしてくれるんだから」


 棘のある言い方だ。

 ちょっとわざとらしくも聞こえてしまうくらい。


「別に、そういう訳じゃないけど……」

「じゃあ、どういう訳なの?」


 高幡さんはそんなことを訊いてくる。私はまた言葉に詰まってしまう。

 どういう訳、って言われても、そんなことを考えたこともなかった。

 クラスメイトと仲良くするのにわざわざ理由が必要だろうか。そういうもんじゃないんだろうか。


「えっと、その……」


 私が言い淀んでいると、高幡さんは私を見る目をまた細めて、今度は笑った。


「ねえ、程久保ほどくぼさん。もう私に話しかけたりしてくれなくていいよ」

「え……」

「保健委員の活動にはちゃんと出るからさ。だから、このままなんの関係もない、赤の他人のままでいようね」


 そう言って高幡さんはすっと立ち上がると、そのまま保健室を出ていってしまった。

 ぴしゃり、としまるドア。やたらと明るい室内。南国っぽい見た目の観葉植物。真っ白なパットで丁寧に手当てされた私の膝。絶縁の宣言。

 静かになった教室に残されたものたち。


「……」


 一方的にそんなことを言われた私が、それでも彼女のことを「いけすかなくない」ままだったのは、目を細めて作ったその笑顔が、なんだか無理をしているように見えたからだった。



 

 


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