第2話 本文

「巨乳になりた、じゃなかった。小説家に私はなる!!」

大きなまんまるお月をバックに、少女はそう宣言した。

とりあえず、時間を巻き戻す。宣言の数分前……。


ナカダは夜の空を駆けていた。

地上ではない、連なる建物の屋根の上を。人を襲う魔物、河童を追いかけて……。

………。



仕事終わりだ。もう、超めんどいッ! だが……。

「いい夜だ。まず一匹」

跳躍し、一気に距離を詰めると同時に袈裟切り。

「バピ――――――!」

斬られた河童は奇妙な叫び声を上げ、タイルにばたりと倒れると白い煙を上げながら蒸発していく。

この種の河童は斬られるとこうなる。

ピタッ、トットットットッ。

数十メートル先で、方向転換する足音。

河童は一匹じゃない。そして今のでこちらの存在に気付いたようだ。

河童の目指す先は分かっている。

川だ。川に逃げれば巻けるという典型的な河童の考え。

「斬りカラス」

力を込めた刀身を振り抜き、刃の先から生まれる斬撃。

カラスに似たその斬撃は、河童の背中を貫通し、旋回して次の獲物を探す。

こっちの方角は問題ない。さて、残りは……。

そんなことを考えながら周囲の様子を伺った時。

遠くのほうで起きた光爆が、夜の空を明るく照らす。

嫌な気配もたちまち消え、向こうの敵は誰かが倒してくれたみたいだ。


街の中心部にまで戻り、駅近くの建物の屋根で、俺は座り込んだ。

眼下にある、ひと気がなくなりつつある町の様子を眺めていると。

「そっちはもう片付いたみたいね。お疲れ」

突然、背後から声がかけられた。

セーラー服に身を包んだ、整った顔立ちの少女。

小学生くらいにしか見えない華奢な体と、紫色のリボンがつくる紅いツインテールが印象的。

……という姿を頭の中に浮かべながら、声の主に、俺は振り返らずに答える。

「ん、そっちもお疲れ。やっぱネームだったのか。どした」

「大事な話があってさ」

声から感じる改まった雰囲気。

おいおい、まさか告白でもする気かこいつ。

いやいや、こいつに限ってそんなこと。

「私、これを機に引退するから」

思わず振り返った。

引退? こいつが? あの化け物狩りが? ツインテの悪魔が?

「引退してどうすんの」

「小説家になりたくてさ。十二月にあるネットコンテストに応募しようって考えてるの」

俺の問いに少し照れた様子で答えるネーム。

こいつが小説家……。

でもなるほど。合点がいった。

それはというのも、数時間前のこと。

ネームを放課後遊びに誘ったら、生徒相談室に行くからと断られた。

何かと思って心配していたが、そんなことを話していたとは。

「いいんじゃねえの? ネームが自分で決めたことなら。ん、でも十二月って……明日には応募するってこと?」

「まだ。出すのはもっと先。河童連合の残党狩りに時間さえかからなければ……。遅くとも一月十五日までには出したいわ。多分……恐らく、きっと………」

悔しさの滲んだ顔で、釈然としないことをボソボソと呟くネーム。

こいつもこんな顔をするのか。

「それで。どんな作品かく気だ」

「……現実を舞台に魔法で戦う作品。わたしが経験したことを元に書けば、ネタには困らないし」

「経験を元に? 実際の戦いを元にってこと? 組織に消されないか」

「ヤバそうなのは全部変えるから大丈夫よ、多分……。そんでさお願いがあるんだけど」

少女は急にかしこまった雰囲気になると、おそるおそるといった調子で。

「編集のお仕事してるじゃない。私の書いたもの、ちょっとだけでも見て欲しいんだけど。そんでアドバイスとか貰えると心強いというか」

「俺に編集をしろと?」

顔を上げたネームと目が合うが、またすぐに視線を外し、俯きがちにうんと頷く。

基本的に、一般市民に異能を知られてはいけない。

んで、その異能界隈のことを題材に小説を書くというのは、違反行為ではないのかもしれけど、結構ギリギリの線だ。

一応確認しておくか。

「俺の武器とか魔法は、どんな名前に変えるんだ? 」

「結構ノリノリね………。武器は変えない。武器の名前はそのまま使うつもり」

「は?」

「武器くらいはよくない?」

ネームは、さも当然のように言った。おいおい。

「どこまで小説に載せる……いや、載せない気だったんだ」

「組織名はさすがにヤバいわよね。それ以外のことなら、いいかなって。武器名とか魔法名とか」

「おいおい」

「別によくない? ナカダの黒煙刃だって探せばどっかの漫画に載ってそうな名前じゃない? だからかぶっちゃけ組織名もいいかな、って気がするのよ。実際ネットで検索すると、うちの組織の名前、すでに漫画で使われてるし。むしろ年代的にみてこっちのほうが頂戴したんじゃ」

と言いかけた時、突然、少女の周囲に赤い粒子が生まれた。

すると少女は、ガバっと動き這いつくばると、地面に頭をこすりつけた。

「すいませんした、すいませんした! 悪口じゃないよ、すいませんした!」

そう叫びながら地に土下座すると、粒子はスッとかき消えた。

これは、粒子痛恨爆。

制約魔法の一種だ。

もう何度も目にしている。

組織の規律に違反したものに、その場で痛いお仕置きを与える魔法。

今回の場合は、組織に属する者が組織の悪口を言いかけたため、ネームにお仕置きが下りかけたのだろう。

その不満の線引きの曖昧さと、そもそも誰がジャッジしているんだということで謎の多い魔法だ。

ネームはゆらりと立ち上がると、真剣な顔でこちらを見据える。

その気迫に、思わずこちらも身構える。

「巨乳になりた、じゃなかった。小説家に私はなる!!」

びっ、とこちらを指さすと、意志のこもった声でネームはそう宣言した

なんて大胆。つか唐突。

そして背後の月とよく映える。

なんてことを呑気にも考えていると。

「組織から撤収指示がでたからもう行くわ。ネットに上げたら確認してね。んじゃ」

ネームは言って、月に向かって歩き出した。

「覚えてたらな。ああ、ちょっと。タイトルはなに………っていねえし」

さてと。

俺は屋上を跳び、地上へ一気に降下した。





夜の空をナカダは駆ける。

片手に刀の鞘を掴み、もう片方にはレジ袋を下げ。

電線の上を、その線をたるませることなく走り抜けていく。

人に見られても問題はない。そういう魔法がかけられている。

電柱の頭を強く蹴り、向いマンションの階段の通路に華麗に着地。

そそそと通路を歩いて玄関を開け、無事帰宅。

家、至福の空間だ。

………。


「ただいまああああ~」

「おかえり」

と、そこにはコタツでぬくんでいるネームが。

剝いたみかんを、もぐもぐと食している。

「何してんの……つか、どっから入った!」

「そんなのは魔法でどうとでもなるわ。そんなことよりさ。喋り足りないというか、なんというか。いっぱい喋りたい気分なの。大体、一万九千文字分は喋りたい気分なのよね」

「えらく具体的。どういうこと……。まだ何か話したいことでもあったのか」

「いや、ない」

ほんと何しに来たんだ。

とりあえず。

刀を置いて手洗いうがい。買ってきたもの冷蔵庫に入れ一段落させてから俺もコタツに入る。

ネームの向かいに座った。

「……………………………………………………………………………………………………」

「……………………………………………………………………………………………………」

……なんだこれ。

「喋らんなら帰れよ」

「いやいや、それじゃあ私が困るんだって」

「じゃあもう適当なこと喋るなり、いっそ喚き散らしたらどうだ」

「あああああああああああああああああ、って。内容のないようなことを、文字を埋めるために書くというのは小説家を目指すものとして、耐えがたく」

「ダジャレ……。じゃ、どうすんだよ。こっちだって忙しんだ。意味のない会話にこれ以上付き合いきれないな。そこら辺の本でも音読しろ」

「それはまずいわ。恐らく何らかの制約に抵触する可能性がすんげえ高い」

「制約?」

「組織の。化け物狩りの。ここでは制約ではなく、規約と言い換えてもいいかもね」

ここで本を音読することが組織の制約となんの関係があんだよ、と心の中でツッコミを入れると。

「しょうがない。あの手でいくか」

ネームは、シャツのボタンを外し、少しだけ肩を出した。

「なにしてんの!」

「サァービィスシィーン! これだけじゃない」

晒した肩に手を添えて、ネームは儚げな顔で、儚げな声で。

「少女は服を少しずらした。露になる白い素肌。胸を支える鎖骨のラインが魅惑的。触れると壊れそうなくらい華奢な肩。羞恥で頬はどんどんと紅潮していき、息は少しずつ乱れていく。ハアハア……と」

唖然とする俺に、ネームは。

「どう? 自分の惨状を文章にしてみた。どうかなどうかな? 私に才能ありげ?」

「………。うちのとこ、こういうの今あまり扱ってないから」

とは言ったが、一昔前はブームだったから積極的に取り扱っていたことはある。

だが今はもうその時代じゃない。

カッコイイダークヒーロー、共依存もののラブコメ、異世界もの。今の流行りといえばこれ。

官能小説に入りそうなこれは、フランスパンレーベルの方が向いている……。

「っていうほど、官能的でもねえな」

「あまり私を舐めないで欲しい。ここからもっとブーストをかけて。あ、しまった! 規約に抵触してしまう! すいません、すんません!」

赤い粒子が周囲に満ち始めたところで、少女はまた必死さを滲ませた声で土下座を敢行。

たちまち光は納まったが、少女は地に伏せた身体を解かない。

「十二月に投稿する作品、どうせまだ未完成なんだろ。いいのかこんなことしてて」

俺の言葉に、ネームはスッ、と体を起こして言う。

「フッ。予想外のことというのは常に起こる。そして小説家とは締め切りに追われるものだ」

「一流ぶるんじゃねえ」

俺がぴしゃりと言い放つと、ネームはまたガックリと肩を落とした。

付き合いきれないぜ。

床を見渡しリモコンを見つけ、テレビに向かって電源を入れる。

ボタンを押し、番組表をチェックしていると顔を上げたネームが。

「見たい番組あるの?」

「ワールドカップ」

「おー、ニッポン! ニッポン、ニッポン、ニッポン! ハイ、ハイ、ハイハイハイハイ!」

「うるせえ!!」

いきなり叫び始めたので俺が怒鳴りつけると、ネームは叫ぶのをやめ天井の方をむいて何やら考える素振りしてから、またガクッとうなだれる。

「まだ全然話し足りない。かくなる上は……。ステータスオープン!」

パチっと指を鳴らすと、テレビ画面が切り替わり文字が映しだされる。

画面には。


ネーム 

攻撃2022 防御11 早さ30 魔力量20221130

保有魔法 身体強化。武器変化。

特技 化け物討伐。

好きな食べ物 たまご焼き

長所 意志の強さ。納期までに敵を必ず殲滅できること。


「納期までに敵を必ず殲滅できること……残党狩りに時間かけておいて。よく言うぜ」

「うぐっ!」

グサッと何かに貫かれたように、ネームの体が小さく弾む。

「そろそろ一万文字くらい喋れたかな」

そわそわと、そしておそるおそるといった調子で天を仰ぐネームだが、たちまち顔が引きつりだす。

よく分らんが、状況は芳しくないようだ。

「なんつうか。ネーム焦ってる?」

「そうだよ! 当たり前じゃん! 十二月のコンテストまで時間がないの! ここでこうして話している時間も本当は惜しい。それでも私は……ナカダに、私という小説家を志す者の存在を知って欲しかったから。私は十二月にいる! ……と」

ババーンという、ネームの声が決め台詞っぽく響いた。

言いたいことを言ったからか、晴れ晴れとした顔のネームは、ちゃぶ台の上の茶をズズズとすすり、一息つく。

「さて。そろそろ私は帰るわ。最後に言いたいことはある?」

「特にはないけどじゃあ………俺はただの小説家に興味ねえ。カッコイイダークヒーロー、共依存もののラブコメ、異世界ものの作品を書ける奴だ。求めてんのは。かつ大ヒットの卵でありそうなやつ」

「うぐっ!」

再度の精神攻撃に、ネームの体はビクッと震えた。

「……じゃあ、帰る準備と。帰還魔法の準備を……せっせっ、と」

「一万文字も喋ってなくね? 分からんけど」

「文字数稼ぐためにズルズル続けてもね。申し訳がないわ。いや本当にごめんなさいね……」

「おいおい。急にしょんぼりするなよ」

「そうね」

しょげたかと思えば、あっけらかんとした態度。

喜怒哀楽の激しい奴。

「しっかし一万九千文字は無茶だったわ。やっぱ内容がないようじゃ限界だったわ」

「ぶっちゃけ過ぎ……もっと俺にアピールしたほうがいいんじゃないか」

「私はいると知って貰えれば、それだけでありがたいです。それじゃあまた」

殊勝に言いながら目をつぶるネーム。合わせて体がスッと消えた。



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