第2話 本文

プロローグ


「うへへ。待って下さいな、別に昔のように無理難題を押し付ける訳ではありませんから」

「僕はその昔を知らないんですけど!!!」


 桜も散り、緑葉が木を染め始める時期。

 夕日は沈み掛け、グランドから聞こえていた部活の声も遠くなる時間帯。

 校舎には誰もおらず、既に下校時間のため電気もついていないので、太陽の沈む最後の足掻あがきとも思えるほどに輝く光のみが、学校の中をあかく染め上げる。

 そして他の人の足音一つ聞こえぬ静寂せいじゃくな中、男は廊下に寝そべっていた。

 起き上がろうにも、腹に感じる物理的な重さで押さえつけれているせいで起き上がれない。

 何とか首だけを動かし、その物理的な重さの正体に目向ける。

 重さの正体は一人の美少女であり、男子の体をまるで椅子であるかのように馬乗りで腰かけていた。 

 美少女に座って貰える。

 人によってはご褒美に感じるかもしれないシチュエーションだが、今の男子には恐怖でしかない。

 その理由は少女の表情にあった。

 恍惚こうこつとした笑みを浮かべながら、感情の昂りと窓から差し込む夕日によって真っ赤に紅潮こうちょうした頬。荒い息をしながら体重を掛けて来る少女はその美しさときぬのようであでやかな長い黒髪も相まって、妖艶ようえんさすら見受けられるものであった。

 しかし、その目には執念しゅうねんとも言い換えることが出来る程に途方とほうもない狂気きょうきを帯びており、男をすくませるのには十分な迫力があった。


「さぁ! さぁ! 今一度私を……」


『記憶があることは必ずしも良いことだとは言い切れない』


 現実逃避を選択した男子の耳には少女の言葉は遠ざかる。

 最後に意識を飛ばそうとする最中さなか、どこかで聞いたフレーズを走馬灯そうまとうのように思い出しながら、男子はその言葉を重く受け止めることになる。





1章

 朝日が昇り始め、外から甲高かんだいカラスの鳴き声が聞こえて来る時間帯。

 “記憶きおくはその人の【いま】の性格せいかく形成けいせいする。”

 そう解説する目の前のゲームの画面から目を逸らして、徹夜明てつやあけには厳しい陽の光が舞い込んでくる窓へと目を向けた。

 後一時間あといちじかんもすれば完全に太陽が顔を出すとい言ったところだろう。僕は今が止め時だと思い、もう一度ゲーム画面に向き直し、セーブを行い、メイン画面へと戻る。

 メイン画面には、様々な少女が表示されており、ゲームのジャンルがいわゆるギャルゲーと呼ばれる類のものであることを容易に想像させる。

 しかし、別にギャルゲーが好きと言う訳では無かった。

 それは部屋の景観けいかんを見ても、それが分かる。

 天井まで高くある本棚ほんだなには教科書や参考書以外にも、八割方がライトノベルや漫画で詰まっており優に千五百冊は超えている。本棚の端っこにはゲームと思われるものは十数個程度で、そのジャンルも様々である。その中でもギャルゲーと呼ばれるニ、三個しかない。

 世間一般ではオタクと呼ばれるものであるかもしれないが、僕は自分のことは広く浅くのタイプのオタクだと思っている。

 何か一ジャンルに熱狂するのではなく、多くのものをやる。

 ゲームに棚に戻しながら、時計を見る。

 時計には四時二四分と指示されており、日付は平日を示していた。


 「休みの日でもないのに、徹夜したのは久しぶりだなぁ」


 普段ならやり込んでも、学校に支障をきたさない様に徹夜はしないように自制じせいをしている。

 徹夜するなら次の日に学校がない日にという取り決めをしていた

 しかし、買ったばかりのゲームが思いの外共感きょうかんの出来る作品であり、いつもなら決まった時間に寝ているが、主人公に入りきってしまい、時間を忘れてしまっていた。


「まぁ。偶には仕方ないか」


 熱中してしまっては止められないのはオタクの性だと割り切る。

 本棚に入りきらなくなり、ベッドに置きっぱなしにされた本をかき分けて、布団の上に倒れ込む。


(今から寝て、ご飯を抜けば三時間は寝れるな)


 頭の中で登校時間を考えて、どれくらい寝れるのか計算すると念のためスマホのアラームを設定して枕元に置き、目を閉じる。


(にしても…)


 直前までやっていたゲームのことを思い出す。

 ゲームの内容は、記憶を失っているヒロインとの学園恋愛ものというありがちなものではあった。

 そして、その途中のルートとして、ヒロインが現在の記憶を取り戻すよりも前に、前世ぜんせ記憶きおくを取り戻すというとんでもない場面があり、そのルートが思いの外気に入った。

 セーブする直前の場面も、前世の記憶を取り戻したヒロインのことを何と呼ぶべきか悩んでいるというものであり、ここで前世の名前で呼ぶか、今生こんじょうの名前で呼ぶかという選択するという場面であり、悩む主人公が周りの登場人物から助言を貰っているシーンだった。

 その助言の一つである先程まで見ていたテキスト。


 “記憶はその人の【今】の性格を形成する。”


 この言葉がみょう印象深いんしょうぶかく残った。


「なら、唐突とうとつに前世の記憶を思い出す人とかはどうなるんだろ」


 時々テレビなどで特集される、前世の記憶を持つ人というものと照らし合わせながら考えるが、思考は長く持たなかった。

 次第に眠気は限界に達し、考えようとする脳の機能が停止する。

 僕は考えることを諦め、訪れた眠気に抗わずに意識を深く沈める。




 予定通り三時間で起きることが出来たが、やっぱり寝足りない。

 普段ルーティンをしっかりしている分、こういう偶の行動が響く。

 二度寝をしたいという誘惑があるが、わざわざ遠い学校を選択することを親も許してくれたのだ。

 その信頼に入学早々にゅうがくそうそう裏切りことは出来ないため、目を擦りながら制服に着替える。

 着替えが終えて下に降りるが、両親は共働きのため既に誰もいなかった。

 僕は棚から買い置きのパンを手に取ると家を出る。

 電車になり、県境けんざかいを超えて揺られること一時間。

 駅には多くの人で溢れかえっている。

 最初の頃は、田舎ではありえない人口密度じんこうみつどに慣れなかったため新鮮さがあったが、流石に一ヶ月も通っていれば慣れるもので、今ではただただ暑苦しいと思うだけだ。

 駅を出て、しばらく歩くとようやく学校に辿り着く。

 家を出てから一時間半。何とかホームルームの開始時間ギリギリには教室に辿り着くことが出来た。

 教室の扉を開けると、ホームルーム前ということもあり、流石にほとんどの人が既に来ており、教室内は賑やかだった。

 内心、僕が一番最後かと思っている扉から教室内を見ていると後ろから声が掛かる。

 

「どいて貰ってもいいですか? 中に入れませんので」


 丁寧ながらも冷たい言葉に驚き、僕は後ろを振り向く。

 そこには身長160センチ後半と少し男子の中では低い自分の肩程度の大きさの女子生徒が立っていた。

 僕はその女子生徒のことを知っていた。

 同じクラスメイトなのだから知っているのは当然なのだが特にその容姿もあって、有名だった。

 奈代輝夜なよかぐや

 それが目の前の女子生徒の名前だった。

 腰まで掛かりそうな長い髪は大切に手入れされているのが見て取れる程に綺麗で、光る絹糸きぬいとの様な真っ黒な髪は、見る人を惹きつける。スタイルも良く、胸は豊満ほうまんとは言えないが、腰回こしまわりの細さも合わせてスレンダーという言葉がぴったりだった。宝石でも埋め込んでいるのはないかと思う程に綺麗きれいな黒い瞳。何よりも顔が美しかった。みやびな雰囲気と名前が相まって、見る人をとりこにする現代のかぐや姫と言う言葉がぴったりだろう。

 同じクラスとは言え、まだ入学して一ヶ月であり、全員お互いの距離を確かめながら仲の良いグループを作っている最中。まだ、同性間どうせいかんでのグループ作りに勤しんでいる頃合いの中、同じクラスとは言え、女子との関わりが少ない。

 もっと言うなら、閉鎖的へいさてきな田舎暮らしをしていた僕には初めての人と仲良くなるコミュニケーション能力が低く、未だに同性間での仲良しグループも上手く築けていない。なので、僕には目の前の女子は程遠い存在だろう。

 そのため、間近に立って話をする場面とはほぼ無い。

 だからこそ、初めて近くで見てその美しさを再認識さいにんしきした。

 そしてその美しい顔を真っ直ぐにこちらに向けて、問い詰めるかのような鋭い目線を飛ばしていた。

 その目は早くどいて欲しいという意思が良く伝わってくる。

 ここで退かないという意地悪をする理由もないので、素直に身を引いて、横にずれる。


「ありがとうございます」


 一言簡素にお礼を言うと、中に入っていき、窓際の一番前にある席に座った。

 座るまでの間に、多くの人に挨拶をされ、そして笑顔で返しており、コミュニケーション能力の高さの片鱗へんりんが伺える。

 そのコミュニケーション能力がうらましかった。

 というよりも、それほどの笑顔を出来るなら、何故僕に対しては簡素的だったのだろうか。道の邪魔をしていたので、僕が悪いのだが、他の人と笑顔で挨拶を返すところを見ていると、不思議と違和感を得てしまう。

 しかし、その理由を考えても仕方ない。

 どうせ今後、関わることなどほとんどないのだから。

 そう自分に言い聞かせて、廊下の先に見えている担任が来る前に席に座ることにした。



 五月に入り、すぐに行われた席替えに手に入れた窓際一番後ろという極上の席から担任がホームルームで連絡事項や午前の授業も全てを集中して耳を傾けて、受けているとすぐに昼食の時間になる。

 周りのクラスメイトはチャイムがなり、先生が出ていくとほぼ同時に席から立ちあがり、各々この一ヶ月で仲良くなった友人とグループを作り、お弁当を広げたり、学食へと向かっていく。

 しかし、僕にはそんな仲の良いことをする友人はほとんどいない。

 片田舎出身の僕には、友人作りは難易度が高かったようだ。

 それを自覚できたのもの最近のことである。

 田舎のクラスメイトなど幼小中と同じ面子しかおらず、小さい頃からの付き合いのため、わざわざコミュニケーションを取ろうと意識しなくても会話は出来ていたし、慣れ親しんでいた。

 人であるから、長く付き合っていても嫌いな人や苦手な人は少なからずいたが、そんな人相手でも全く問題なく会話は出来ていた。

 幼稚園の頃から同じ人であるため、みんなお互いのことを名前で呼ぶことに違和感を持ってもいないし、相手に気を遣い過ぎるということもしなかった。

 ずっと一緒であるため、その場の些細な空気を変化も読み取ることも出来ていたし、その対処の仕方も心得ていた。

 喧嘩も起きるが、すぐに仲直りもする。

 有り体で言ってしまえば、とても仲の良いもので、僕もその関係は好きだった。

 しかし、好きであることとその関係性をずっと持ち続けていたかは別である。

 僕はその閉鎖的な環境に飽き飽きしていた。

 だから、高校進学はちょうど良い機会であると考えて、遠くの学校をわざわざ選択した。

 高校進学で皆散文的になるとはいえ、大体の人は中学の近くの高校に行くため、同じ関係性を高校に持ち込むことは多く、中学の人とつるみ続けることが多いパターンだ。

 そして、それも問題はなかった。

 最初は中学の仲の良い人とグループを作りながら、少しずつ関係を広げて新しい関係を作る。

 それもありだとは思ったが、僕は折角なら誰も自分のことを知らない場で一からリセットして友人を作っていきたいと思い。

 だけど、それが間違いだった。

 当たり前のようにコミュニケーションを取れる環境で育って来たせいで自分のことをコミュニケーションを取れる人間とこと勘違いしてしまった。

 簡単に言ってしまえば、初対面での距離感を間違えたのだ。

 教室での初めてのホームルーム際に一人ずつ自己紹介を行い、その後普通に仲良くなろうとしたが、初対面のクラスメイトを下の名前で呼んだり、スキンシップを取ったりしたため、その場は笑って誤魔化してくれたが、少し引かれてしまった。

 自分にとっての当たり前が、当たり前ではないと知った時、僕は落ち込み、それ以降自分からコミュニケーションを取ることに忌避きひするようになった。

 そのため、会話を出来ないわけではないがこれと言って仲が良い友達がいないという状態になってしまった。

 だから、今も誰かと一緒にどこかに食べに行ったり、集まって弁当を囲むということもせず、席を立ち上がり購買に向かう。

 両親が共働きのため、お弁当を用意出来ないと母親から既に言われており、時間があるときは自分で用意しているが、今日は例の如く時間がなかったため、用意はしてない。

 だが、そんなときに役に立つのは購買だった。

 中学は給食だったため、購買というものはなかったが、この高校には昼休み限定で開く購買がある。

 取り扱いはパンのみだが、その品揃えは豊富で定番のものから菓子パン、中にはクレープも置いてあり、腹を空かせた男子生徒やデザートようにと買いに来た女子生徒に大人気であった。

 購買の前に辿り着くと、既に購買には多くの人が波の様に集まっており、人垣で置かれているパンが後ろからでは見えなくなっている。

 全員が我先にと飛び込み、購買のおばちゃんが、行きつく暇もなく渡されているお金を受け取りそれを一生懸命人を捌いているが、一向に人が減る様子がない。

 入学直後は、その戦場のような状況に何もできずただ立ち尽くすのみだった。

 しかし、ここで臆していては何も買うことは出来ない。

 人が去る頃には残っているの不動の不人気商品であるコッペパンが数個残るのみとなってしまう。

 コッペパンでも午後を授業を乗り切る分には十分だが、満足感を得ることは出来ない。

 なので、この戦場で勝つ必要がある。

 僕は意を決して、人の波に飛び込む。 

 左右から掛けられる強力な圧力にも屈さずに、少しでも人の隙間を見つけたら掻き分け、時に流れに身流して何とかパンの見える距離まで辿りつく。

 目的のパンをいくつか見つけると、手を限界まで伸ばして掴み取る。

 そして、金額分のお金をおばさんにパンを見せながら渡す。

 おばさんは一瞬だけこちらをみて、「まいどー」と声を飛ばす。

 あの一瞥だけで何のパンかを把握して。渡された金額があっていることを確認しているのだから、凄いと思う。熟年の技というものだろうか。

 もしかすると計算はしておらず、生徒がちゃんと渡すという良心に任せているのかもしれないが、そこに関しては僕のあずかり知らぬ所なので、無駄な考えは止めて、さっさとこの人垣から抜け出す。

 抜け出すと、重苦しい空気は消え、ゆっくりと空気を吸い込める。

 この戦いを終えた達成感は金では得られない気持ち良さがある。

 

「あぁ。この中を行くのか」


 僕が充実感に浸っていると、人垣を抜けた先から見知った声が聞こえて来る。


「流石にこの中を行くのは面倒だなぁ」


 購買前の群衆を間に溜息を漏らす男子生徒に僕は声を掛ける。


「何してるの? 漢部あやべ君」

「あれ? 蓬星ほうせいじゃん何してるの?」


 僕の声に反応して、その人物は驚くようにこちらを向く。


「藤原で良いよ。名前じゃなくて」

「それを言うなら、お前も俺のことは直谷って呼んでくれ、苗字はあんまり好きじゃないし。あと呼び捨てで良いから」

「ごめんごめん。最近苗字を呼ぶように矯正してたから」


 僕の言葉に、直谷は穏やかに笑って同じようなことを返してくる。

 漢部直谷あやべなおや。同じクラスメイトであり、今のところ唯一僕とよく話をしてくれる友人だ。

 バスケ部に入部しており、中学の頃から運動部に所属していたようで背も高く男らしいガタイをしている。僕もそのガタイの良さは時々羨ましく思う。

 ガタイと反して、目元は柔和で純粋な少年の様な幼さが残る。

 そのギャップが良いとこの前、クラスの女子が話していた。はっきり言ってモテる部類だろうけど、本人はそれを自覚していない。しかし、僕はこの友人が誰かから告白されて、それを自覚するのも時間の問題だと思っている。

 性格も良く、誰に対しても人当りが良く、僕が最初に名前で呼んでも引かずに笑ってくれ、それ以降も良く声を掛けてくれる……完璧かな?

 ただ、自分の苗字が古臭いという理由であまり好きでは無く名前で呼ぶように周りには言っており、その辺りが僕と同じ事情があり気が合う。

 僕も、自分の藤原蓬星ふじわらほうせいという名前が好きではない。

 正確に言えば、好きではなくなった。

 田舎に居た時は気にしなかったが、こちらに来てから自分の蓬星という漢字が少し攻めた字の様に思い、少しだけ恥ずかしくなった。

 そのため、自分と話してくれる人に対しては苗字で呼ぶように言っている。


「で、直谷は何をしてたの?」

「ああ。朝が少なかったせいで弁当だけじゃあ足りないと思ってな。パンでも買っておこうかと思ってきたけど、ここまで凄いとはな」

「初めてだと驚くよね」


 そう言う直谷の言葉に僕は空笑をする。

 どうやら購買に来たのは初めてのようで、目の前の光景に圧倒されていた。

 僕自身、最初はその光景に茫然としてしまったので、気持ちは良くわかる。


「で、買いに行くの?」

「ん~。どうしょうかな。この中を突っ込むのも面倒だし」


 確かに、弁当があるならわざわざここに突っ込んでいくリスクを取る必要はない。

 何より疲れるし。

 顔を曇らせながら諦めようとする直谷に、僕は一つの考えを思いつく。


「なら、僕の買って来たやつでよければいる? 多めに買ったし」

「良いのか?」


 僕の提案に、直谷は顔を明るくする。


「僕は全然構わないよ」

「サンキュー。助かるよ」


 僕が抱え持つパンに喜々とした表情で手を伸ばそうとする直谷から、パンを一歩引かせる。


「ただし、条件がある」

「条件?」

「別に難しいことじゃないよ。少し教えて欲しいことがあるだけ」


 そういう僕の言葉に直谷は怪訝そうな顔を向けながらも、条件の内容を聞いてくる。


「教えて欲しいこと?」

「そう」

「何について?」


 僕は朝の出来事を思い出しながら、知りたいとある人物の名前を告げる。


「同じクラスの奈代輝夜なよかぐやさんについて、直谷の知ってる限りで良いから教えて欲しい」


 朝に得た違和感。それを解明するために、奈代輝夜さんの情報を集めることにした。




奈代輝夜なよかぐや……あぁ。クラス委員のね」 


 僕の質問の内容に、一瞬誰だ? と言う顔を見せたがすぐに自分のクラスの委員だと思い出したようだが、逆に怪訝けげんそうな顔される。


「そんなの俺に聞くんだ?」

「気になることがなってね」

「本人と直接話せばいいんじゃないか?」


 正しい意見だった。

 でも違和感の正体を本人に聞くのは地雷のような気しかしないため、そんなことは出来ない。

 何より、コミュニケーション能力がゴミムシの僕がいきなり女子に話掛けて、「僕のこと嫌ってる?」なんて聞けるはずがない。

 いやコミュニケーションゴミムシじゃなくても、普通の男子なら仲が良いとは言えない女子に自分のことを聞くなど正気の沙汰ではないだろう。

 そんなことできるのは、能天気のうてんきなやつか生まれつきのようキャしかいない。

 少なくとも、自分にはコミュニケーション能力があると勘違いしていた僕には出来ない。

 

「それができれば助かるだけどね」

「なるほどなるほど。そういうことか」


 わざわざ説明する必要もないので、笑って誤魔化ごまかそうとするが、直谷は何か勝手に納得した。

 きっと、僕が奈代さんのことを好きなのだろうと勘違いしているのだろうけど、今はその間違いのままにしておいた方が楽そうなので、何も言わないようにしておこう。

 後で訂正ていせいすればいい。


「とは言っても、俺も別にそんな知ってる訳じゃないけど、良いのか」

「良いよ。知っている限りのことで」

「そうか。なら、全然大丈夫だ」

「ありがとう」


 直谷が僕の提案を承諾すると、僕はお礼を言いながらパンを幾つか渡す。

 

「サンキュー。助かるよ」


 パンを受け取り今にも涎を垂らしそうなだらしない表情をする。

 少し犬に餌付けをしている感があるが、言わないおこう。


「じゃあ。教室に戻るか」


 受け取ったパンを抱えて教室に戻ろうと提案する直谷に、きもやす。

 きっと教室で直谷と話していると周りの視線にさらされることになる。


「あっ。いや、教室はちょっと」

「あー。本人に聞かれるとまずいもんな」


 違うそうじゃない。

 仲の良い奴が多く、早くもクラスの中心になりつつある直谷こいつと既にクラス内で引かれつつある僕が二人でこそこそと話をしていたら、間違いなく周りの注目の的になる可能性がある。

 そうでなくとも、興味を持った奴が割り込んで入ってくるかもしれない。

 その時に僕が奈代さん情報を集めていると知られたときに、更に引かれたり、あらぬ疑いを掛けられてありもしないうわさ風潮ふうちょうされては困る。

 ただでさえ、居場所がなくなりつつある教室が更に気まずくなってしまう。

 ネガティブ思考しこう過ぎると言われかもしれないが、高校デビューに失敗して、既に周りとスタートラインで差を付けられた僕にはこれ以上周りと離れる訳にはいかない。

 そのため慎重しんちょうになるのは仕方ないことだ。

 全国の日陰者ひかげものにはこの気持ちが分かると思う。

 しかし、そんな負の考えを話してもお互い得はしない。

 なので、ここでも本音は語らずに否定ひていせず黙る。


「まぁ。そう言う訳だから、場所だけ変えさせて」

「俺は全然構わんよ」

「ありがとう。じゃあ、ついて来てもらっても良い? 良い場所あるから」

「今日は暑いし、外は止めてくれよ」


 確かに今日は五月にしてはとても暑い。

 日差しは強く、長く外に居たら日焼ひやけしてしますかもしれない。

 なので、僕もこんな日に外で食事など遠慮えんりょしたい。


 「大丈夫。教室みたいにエアコンは無いけど、扇風機せんぷうきくらいならあるから」 

 「それならOK」


 僕の返答に直谷は満足と言った感じで返事をしてくる。

 話もまとまった所で、未だに戦場となっている購買こうばいを後にして、目的の場所に向かう。



 目的の場所は僕たちの使っている校舎から少し離れた場所にある部室棟だ。

 ここは文化部用ぶんかぶようの部室棟で、運動部用うんどうぶようの部室棟は別にある。

 そのため、放課後はここはとても静かで過ごしやすい。

 そして、何故ここに来たのかと言うと、僕はある部活に属しており、その部室を使うためだった。

 

「藤原は何の部活だっけ?」


 部室棟の外側にある階段を上がりながら、直谷が聞いてくる。

 その疑問は最もだった。

 僕は誰にも自分の部活のことを話していない。

 というよりも、誰も話す相手がいない。………泣きたくなってきた。


将棋部しょうぎぶ


 泣きたい気持ちを堪えて、平常心を保ち答える。

 正確に言えば、将棋部と文化研究部ぶんかけんきゅうぶといういわゆる外面そとづらを取り繕った漫研に所属しているが、この早い段階で変にオタクだと思われてもなんか嫌だったので、将棋部とだけ答える。

 勿論、直谷は偏見へんけんなど持たないとは思うが周りに尾ヒレがついて周りに広まって欲しくないので、まだ言わない。

 実際にこれから向かうのは将棋部の部室であるため、言わなくても問題ないだろう。


「俺、文化部用の部室棟って初めて来たけど、運動部用のやつと違うな」

「そうなの? 逆に僕はそっちには行かないから知らないけど」

「今度来てみるか?」

「……機会があれば」


 多分無いだろうけど。

 などと話してると、部室の前に辿り着く。


「どうやって入るんだ? 鍵は職員室だろ?」


 そう。うちの学校は基本的に部室に入る時の鍵は職員室で借りなければならない。

 だけど、ここに来る間に職員室によっていないため直谷が疑問に思うのも仕方のないことだった。

 しかしそこは抜かりない。

 部室の扉の横にはすりガラスの窓が付いており、勿論そちらの方にも鍵はついているが、内部から掛ける式の物で窓だけ閉めて鍵を開けておくことが出来る。

 そして窓から手を伸ばしすとドアの内鍵に手が届いてしまうのだ。

 つまり鍵なくとも窓さえ開いていれば簡単には出入り出来るのだ。

 初めてこれに気がついた時は、この部室棟を作った人は何も考えなかったのか? とも思ってしまった。

 

 「開いた」

 「おお!」


 直谷が感嘆かんたんの声を上げている所を見ると、運動部の部室ではこのやり方は出来ないのだろう。

 つくりの違いか何かは知らないが、もしもなら同じ部室の形なら、誰もが気が付くものだ。


「あっ。靴は脱いでそこのロッカーの中に入れておいて」


 四畳半程度よんじょうはんていどの広さの部屋にはテーブルが二つと椅子が四つ、ちょっと大きい本棚が一つとロッカー、そして扇風機が置いてある。床には焦げ茶色のカーペットが引かれている。

 そのため土足厳禁どそくげんきんであり、ロッカーは二段なっており、上の段を靴箱代わりに使っている。


「へぇ。土足厳禁なのか、そこもこっちと違うな」


 そう言いながら、直谷は面白そうに部室内を見回っている。

 僕は扇風機を点けてさっさとテーブルにパンを置いて椅子に座る。

 

「先輩とかは来ないのか?」

「先輩たちは三つ上に居たみたいだけど、僕が入った時点では誰も居なかった」

「それ、部活としてセーフなのか」

「元々、今年誰も入らなかったら潰れる予定だったらしいよ」

「へぇ。ってことは、この部屋はお前だけもものなのか」

「まぁ。そういうことになるかな」

「学校にプライベート空間があるって良いな!」


 それには心から同意だ。

 学校内にもしもの逃げ場があるというのは安心感あんしんかんがある。

 部屋を見るのを満足したのか、直谷も僕の向かい側に座り同じくパンを広げる。

 袋を開けて、一口食べると満足そうな顔をした。

 それを飲み込むと、真顔に戻りこちらに視線を向けて来る。

 ようやく本題に入れそうだ。


「で、委員の何を聞きたいんだ?」


 直谷に言われて、再び考える。

 何を聞くか。

 とりあえずは無難に直谷から見た奈代さんの印象を聞くのも良い。

 しかしそれは後でも良いことが。

 真っ先に聞いてみたいこととしては……。


「奈代さんって、何か噂とかない?」


 予想外の質問だったのか、直谷はいぶかしい目をするが僕には必要なことだった。

 印象などよりも今はこの質問の方が大切だと感じた。


「噂ねぇ。まだ学校始まって一ヶ月しか経ってないし、そんな噂が立つほど過ごしてねえじゃん」

「それもだけどね」

「そうだなぁ。いて挙げるなら、美人で優しい入学生というくらいかな」

「あぁ。あれ奈代さんのことだったのか」


 その話なら僕も知っていた。

 今年の入学生にはとても美人の人がいるという話はよく挙がっていた。

 スタートダッシュを失敗して、自分の立ち位置に不安を覚えていたためそんな話を聞いてもそれを誰かなど気にしてはいなかった。

 別のクラスの人も知らないため誰のことか分からなったが、どうやらそれは奈代さんのことだったらしい。

 言われてみればそうだ。

 あんな美人がほいほいといるものではないだろう。


「他に目立った噂は流石にないなぁ」


 入学してすぐにそんな目立つような噂が経っていたら、それこそ変人か何かだろう。

 一瞬、もしかしたら噂をされているのは自分の方かもしれないという不安があったが、今は考えても仕方ない。

 こちらが余計な思考をしている間にも、直谷はパンをかじりながら奈代さんに関することを思い出すとしてくれている。


「後はそうだな。噂では無いけど、気になることあるくらいな」

「気になること?」

「ほら。あれだよ」

「どれ?」


 残念ながら、僕は指示語しじごで言われるだけで何かかんづける程奈代さんとは関わっていないため、何を指しているのかは分からない。


頭痛ずつうだよ」

「頭痛?」

「ほら。授業中も偶に保健室行ってるだろ?」

「ああ。確かに」


 言われて思い出す。

 奈代さんは頭痛を理由にちょくちょく授業を抜けて保健室に行ってる。

 週二回くらいはあるので、多い方かと言われれば多い方だしそういう何かの症状持ちなのかもしれない。

 今まで関心を抱いていなかったため、思い出すのに時間が掛かってしまったが、言われれば思い出せる。

  

「何かそういう体質たいしつとかなの?」

「いや、俺も詳しくは知らないけど…」

「けど?」

「前に女子たちに同じようなこと聞かれているのを見かけてな。そのとき言ってたんだが、何でも頭痛が出るようになったのは高校に入ってかららしい」

「中学の時まではなかったってことか」

「らしいな」


 ということは、生まれつきの体質とかではないのかもしれないが、何かの病気びょうきになっただけかもしれないので断定はできない。


「病気なのかな?」

検査けんさはしてもらったけど、何も異常いじょうは出なかったって言ってたな」


 ということは奈代さん自身、自分の異常を気にしているようみたいだ。

 僕には関係の無いことではあるけど、とりあえず病気でないのは良かったとは思う。

 しかし、本人からしたら不安だろう。

 病気でも体質でもなく、突然の異変と言うのは恐怖でしかない。

 もしかしたら朝、僕に対して機嫌が悪かったのも頭痛が起きていたと考えるならあり得なくも無いが、その直後は普通に会話と挨拶をしたと考えるとやはり不自然に感じる。

 普通に嫌われているという可能性もあるが、今まで特に接点せってんはなかった筈のため、この可能性は置いておこう。

 何もしていないのに、生理的せいりてきに嫌われているなんて場合だったら僕の心が折れそうだ。

 だから出来るだけそのもしもは考えない様にしよう。

 まだ何か情報が足りない。


「他に何か盗み聞ぎはしなかったの?」

「人聞きの悪いことを言うなよ。偶々たまたま近くで別の奴と話をしてただけだ」


 などと犯人はんにん供述きょうじゅつしています。


「で、他に何か言ってなかった?」


 もう一度尋ねると、直谷は「あっ!」と呟くと、何かを思い出してくれたみたいだ。


「そういえば」

「何かあるの?」

「頭痛が起こった時は決まって同じ夢を見る的なことを言ってたような気もしなくもない」

曖昧あいあいだね」

「曖昧だよ。はっきりとは聞き取れなかったし」


 流石に夢と今僕の気になっている件は無関係だと思うので、頭の片隅かたすみとどめる程度に記憶おくのがちょうどいい。

 流石にこれ以上は噂について話しても出てこなさそうなので、これで打ち止めにした方が良いかもしれない。

 既に昼休みの半分が過ぎようとしている。直谷も教室に戻って弁当を食べる必要もあるだろうし、これ以上留めておくのは悪いだろう。

 次の質問を最後にしようと考え、とりあえず無難だけど大切な質問をしておく。


「ちなみ、直谷から見て奈代さんってどういう印象?」

「そうだなぁ……美人で愛想がよくて穏やかで和風なイメージがある一言でいうと大和撫子やまとなでしこって感じかな」

「そうだよね」

「あぁ。誰に対しても笑顔で優しいしな…八方美人はっぽうびじんってやつ?」


 直谷は少し溜めを入れてから、正直な印象を答える。

 そしてそれは僕の予想していた通りの回答だった。イメージに関しても僕も感じ印象を受けている。最後のだけは状況的にはあってはいるがそれが奈代さんの本質なのか、それとも猫を被っているだけなのか判断しかねるので同意はしない。

 だからこそ、違和感は増す。

 直谷は誰に対しても笑顔で優しいと言っていた。

 なら、結局朝のは何だったのだろうか。

 頭を回転させて思考をさせるが結論が出ない。

 

「結局考えても仕方の無かったことかな」

「うん?」

「何でもないよ」


 僕のつぶやきに直谷が何を言っているんだという反応するが、直谷には関係のないことなので流す。

 結局のところ僕がどれだけ違和感について考えても、それで得るのは自己満足だけ。 

 これをきっかけに奈代さんと話すようになる訳でもないのだから、結論を導こうが意味は無い。

 僕は違和感の正体を、どんな人にでも不機嫌ふきげんな瞬間はあるという結論にしておく。

 もしかしたら本当に猫の皮を被っているだけで、偶々僕の前だけでがれただけなのかもしれないが、これで奈代さんがただの善人だったら僕が滑稽こっけいだ。

 だから、このことは僕の胸の中にしまうだけにしておこうと思う。


「とりあえずありがとう。色々話を聞けて助かったよ」


 僕は自分なりの結論を出したので、話を聞かせてくれた直谷にお礼を言い解放する。


「なら良かった。パンも食ったし俺は飲み物でも買って教室に戻るわ」

「うん。僕はまだパン残ってるしここで食べてから戻るよ」


 パンが残っているのは本当だが、実際は直谷と一緒に教室に戻ることが憚れるためだった。

 教室の視線を一瞬だけでも集めて悪目立わるめだちしてしまうことが容易よういに予想で来てしまう。


「分かった。じゃあ先に戻ってるな」

「うん。本当にありがとう」

「こっちこそパンを貰ったからな、助かったよ」


 靴をロッカーから取り出して扉に歩みを向ける。

 僕はあることを思い出す。


「ちょっと待って」


 僕は直谷を呼び止めながら、二段になっているロッカーの下段に手を伸ばす。

 下段にはカーテンを取り付けてあり、中には冷蔵庫が入っていた。

 どうやら先輩は置いていったもので、先生たちに見つからない様に簡易的かんいてきに隠されている。

 冷蔵庫れいぞうこを開けて、中から一本のお茶を取り出して、扉の前で止まる直谷に投げる。


「これあげるよ」

「マジか! サンキュー! てか、冷蔵庫あるの羨ましいわ」

「僕も助かってる」

「秘密基地感が増したな」


 その気持ちは同じ男として良く分かるので頷いた。

 逃げ込む先になるだけではなく、物も保存できる。最高の空間だ。


「じゃあ。また後でな」


 直谷は扉を閉めながら、一言告げて去っていた。

 僕は扉が完全に閉まるのを確認すると、再び椅子に座り残りのパンを片手に持ちながら、スマホを開いてゲームアプリを起動する。

 既に先程まで考えていたことなど記憶の奥底おくそこに追いやり、ただただ残りの昼休みの時間でどれだけゲームを周回出来るのかだけを考えることにした。



 「じゃあ。俺は部活に行って来るわ」

 「うん。また明日」


 放課後のHRも終わり、クラスメイトが各々教室を出ていく中、僕も席をすぐに立ち部活へと向かうため駆け出していく直谷に手早く別れの挨拶を返す。

 他の多くの人も部活に入って一ヶ月と言う、その部活の雰囲気ふんいきも理解して慣れ始めた頃であり楽しくなってくる時期のため、部活に入っている生徒はさっさと教室から消えていく。

 ものの五分もしない内に先程さきほどまで騒がしかった周りは静かになり、数人がまばらに残っている程度のようだった。

 今の残っているのは教室で用がある生徒かあせって帰る必要のない帰宅部の生徒、そして僕のように部活には入っているが、部活がゆるい生徒たちだろう。

 文化研究部ぶんかけんきゅうぶは今日はないので行く必要がない。そもそも自由参加なので、例えあったとしても行かなくても良い。将棋部しょうぎぶに関しては僕一人しかいないため、決定権が自分自身にあるため論外ろんがい

 ということで、僕はさっさと帰って寝ることを選択する。

 今日は徹夜てつやをしてしまったせいで、眠気が酷い。

 午後の授業の終わりなど、教師が何を言っているのか朧気おぼろげだ。

 ここまで学校で眠い状態になったのは高校に入ってから初めてかもしれない。

 少しだけ、部室で寝てから帰るという選択もありかもしれないという考えがよぎるが、今の状態からして一度眠ってしまったら間違いなく熟睡してしまう。

 夏も近づき日が沈む時間が遅くなっているとはいえ、そうなっては下手へたをしたら学校を出るのが、外が真っ暗になる時間になってしまう。

 ただでさえ下校には時間が掛かるため、流石にそれはまずい。なので残りの気力を振り絞り、家まで我慢してから寝ることにする。

 そうと決まればさっさと学校を出るのにかぎる。

 僕は手早てばやく必要な荷物をまとめて、教室の扉に向かう。

 そんな僕に目を向けるクラスメイトはいないため特に挨拶もせず無言で立ち去ろうとするが、


「痛っ!」


 何かにぶつかる。

 間違いなく扉は開けた気になっただけで、開けられて無かった。というドジをしたのかと思ったが、そうではなかった。

 扉はしっかりと開けられている。

 しかしぶつかったのは扉ではなく、タイミング悪く扉の先に立っていた人だった。

 扉を開けて、気を抜いていた僕はその人物に思いっきりぶつかってしまったようだ。

 そして当たったのが人であったため実際にはダメージはないけれど、ついつい痛いと言ってしまった。


「大丈夫?」

 

 ぶつかった相手は、僕の言葉に反応して心配そうに声を掛けて来る。

 僕は相手が誰であるか認識にんしきすると、すぐに謝る。


「大丈夫です。こちらこそ不注意でした。すみません、大伴おおとも先生」

「なら良かった」


 僕の言葉に美珠羽みずは先生は胸を撫で下ろした。

 生徒を心配するその姿を見て、僕は自分のクラスがこの人で良かったと思える。

 大伴美珠羽おおともみずは先生は僕のクラスの担任をしており、生徒からの人気は高い。

 最初にこのクラスで担任が入って来た時には、男子の一部は喜びがあふれており、歓声が少しばかり上がった。なお、声を上げた男子は女子から冷ややかな眼差まなざしを受けていた。

 しかし、声を上げた男子の気持ちは良く分かる。

 僕も顔にも声にも出さない様にしたが、心の中の僕は喜色満面きしょくまんめんとなっていた。

 そして、それも仕方ないことだと言える。

 美珠羽先生は性格が優しく、しっかりしていることもあり、相談しやすい相手としても人気だが、最も人気な理由がその容姿ようしだった。

 髪型はゆるふわの茶髪ちゃぱつでセミロングのボブ。身長は女性にしては大きめな165といったくらいで、豊満ほうまんむねを持ちながらも腰回りのバランスが良く、太っているというイメージも全くなく、グラビアのような体型をしている。目もでよくおだやかな表情をしている。そのため初見でも優しいイメージをあたえて来る。

 普段も生徒から相談そうだんを受けたりするときはおっとりとした雰囲気があるが、授業や校則についてなど真面目な所ではまとう空気も律儀りちぎなものへと変わり、常に大人の余裕を持った人である。そのギャップが人気の火にあぶらを注いでいる要因よういんでもあった。

 悩みごとに対して真摯しんしになってくれるので男子からだけではなく、女子かも人気が高い。前に、美珠羽先生のような大人になりたいと話しいた女子がいたくらいだ。

 それほどまでに人気の高い教師である。

 ちなみに茶色の髪の毛は染めている訳では無く地毛じげだと最初に言っていた。趣味しゅみで水泳をしてため塩素えんそで色が抜けているそうだ。

 そんな人気教師にぶつかったというのはある意味でラッキーなのではないかと考えてしまう。

 しかし、だからと言ってみんなの視線が集まっているここで会話を続ける気にはなれないため、素早く離れるとする。


「先生すみません。ここで失礼します」


 僕は美珠羽先生の脇を通り、廊下ろうかに出ようとする。


「あ。ちょっと待って」

「はい?」


 しかし出ようとしたところで美珠羽先生の腕が道を塞ぐ。


「実は手伝って貰いたいことがあるの」


 確かに、用が無ければ先程教室を出ていったばかりの担任が戻ってくる意味が無いだろう。

 しかし僕は知っている。

 大体こういう担任の頼みというのは面倒なものであり、時間を取られるというのが相場そうばで決まっている。

 申し訳ないとは思うけど、自身の安眠あんみんを守るために、ここは他の人に押し付けることとしよう。さいわいいなことに教室の中にはクラスメイトがまだ少しは残っている。

 別に僕でなくてはならないということもないし、穏便おんびんに断ろう。


「すみません。僕この後用事があるので、他の人にお願いして貰っても良いですか?」

「でも……藤原君以外もう誰もいないよ」

「えっっ!」


 先生の言葉に僕は驚き、即座に振り向いて教室内を見る。

 そこには先程まで駄弁だべっていた男子や化粧けしょうの話をしていた女子たち数人が荷物ごと消えていた。

 全員、担任の教師が教室に戻ってきた時点で僕と同じく嫌な予感を直感ちょっかんしたのだろう。

 僕が先生に絡まれているのを良いことに、静かに荷物をまとめて早急に後ろの扉から出ていったようだ。

 何てクラスメイトだろうか、僕を……人を生贄いけにえささげて逃げたのだ。薄情はくじょうぎる!

 消えたクラスメイトににくしみを抱きつつも、誰も助けてくれないことにわずかなさびしさを覚えてしまう。

 

「……用事は少し遅くなっても大丈夫?」

「……はい」


 呆然とする僕に、一応確認をしてくれる先生の優しさが今だけは心に染みた。

 そして、僕は諦めた。



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②輝夜さん…物理的にも重いです(プロットコンテスト用) 鶴宮 諭弦 @sao3104

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