コーヒーブレイク

おきをたしかに

コーヒーブレイク

「旨いコーヒーが飲みたい」

 休憩室の自販機で、缶コーヒーを買いながら彼が呟いた。

「わかる~。毎日毎日缶コーヒーじゃ、気分が萎えちゃいますよね」

 彼が休憩を取りに行くのを見計らってついてきたであろう女性社員が相槌を打つ。

「小田木先輩、もし良かったら、帰りに駅前のコーヒーショップに行きません? フレーバーが選べるし、トッピングもおいしそうで可愛いのがいっぱいあるんですよ!」

 可愛らしく笑いながらそう言う彼女が自販機で買ったのは、ミルクたっぷりのアイスココアだった。ふわりと巻いた彼女の長い髪の色も同じ色だ。

 なんだか眩しいなぁ。俺は二人のやりとりをぼんやりと遠目に眺めながら、休憩室の端の窓際でペットボトルの緑茶を飲んでいた。

「いや……俺は今日も定時には上がれそうにないからな。あそこでサボっている奴を誘っていくといい。夕暮れ時は妙な輩も多いから、ボディーガードくらいにはなるだろう」

「え? ボディガードって……宇井川先輩ですか?」

 彼が指さした、窓際の席に座る俺の方に彼女が振り返る。そのひとつひとつの仕草が可愛らしい。実に可憐だ。激務で疲弊した者を癒してくれる。さすがは社内人気ナンバーワンである。

 ——というか、急に話を振られても困る。

 小田木の野郎……。

「宇井川はああ見えても柔道の有段者なんだ。高校の時は、全国大会でも上位に入ってたんだぞ」

 それは、お前もだろうが……と言おうとしたのだが、彼女が割とオーバーなリアクションを取ったので機を逃してしまった。

「へえー! 宇井川先輩、細身だから意外です!」

「あはは……俺は小田木と違って筋肉バカじゃあねえからな。でも、コーヒーは決まったとこのしか飲まないって決めてるから、ごめんね」

「そうなんですかー。残念です。じゃ、お疲れ様でーす」

 たいして残念でもなさそうに、彼女はパタパタと休憩室を去っていった。本命の小田木とでないと、行きませんという意思表示なのだろうか。それでも小田木にしつこく食い下がらないところが賢いというか、なんかいい。あの子は近いうちに絶対にいい恋人ができるだろう。相手は小田木ではないだろうけれど。

「誰が筋肉バカだ。ちゃんと使える筋肉だぞ」

 仏頂面で缶コーヒーを啜りながら、小田木が近づいてきた。当然だと言わんばかりに俺の隣の席に座る。

「旨いコーヒー、ねえ……」

 そう言うと、彼はじっとこちらを見据えてきた。

「あれは、お前に言ったんだ」

「あ、そ」

 知っていたけれど、そっけなく返す。

 ここ最近仕事に追われ、そろそろ本気でヤバい。人に優しくできなくなってきている気がする。

 旨いコーヒーとは、どんなものだろう? ふと考える。

 緑豊かな山奥の澄んだ空気の中、焚き火で沸かした柔らかい湯で淹れたコーヒーか?

 落ち着いた雰囲気の昔ながらの喫茶店で、厳選された豆を店主が注文毎に挽いてくれるコーヒーか?

 都会の汚れた空気の中にそびえ立つ、ビルの一画で勤務中の身には、どちらも今すぐには飲めないものだ。

 それでも。

「旨いコーヒー、か……」

 今日中に飲めないこともない。俺の好きな、あのコーヒーならば。

「どこの店だ?」

「は?」

 突然耳元で言われ、持っていた緑茶をこぼしそうになる。

「決まったとこでしか飲まないって、さっき言ってただろ」

「ああ——あれは、まあ、うん……」

「教えろ。俺も飲みたい」

 ズズイ、と顔を寄せてくる小田木は、一日中働いていることもあって相応に汗臭い。汗と石鹸の香りが混ざった、嗅ぎ慣れた匂い。

「いつも、飲んでるじゃん。あ、朝、とか……お前が淹れてくれるやつ……」

 俯きながら答えたけれど、きっと顔が赤いのはバレてしまっているだろう。

「——!」

 小田木は一瞬呆けたような顔で固まったあと、ガタンと勢いよく席を立った。

「お前もそれ飲んだらさっさと仕事に戻れ。意地でも定時で上がるからな」

 こちらを見もせずにそう言った彼の頬は、俺のそれと同じくらい真っ赤だった。

「お、おう」

 緑茶を飲み干し、首をコキコキと鳴らす。なんだかスイッチ入っちゃったかな? 俺も、あいつも……。

 深呼吸をひとつ、俺は足取り軽く休憩室をあとにした。

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