第107話 偽たくあん聖女21

「つ、疲れたぁぁ……」

「お疲れ様、リゼ」


 街での大捕物と、大量のたくあん調理を終え、私はクロードさんと部屋へ戻り、ソファに沈んだ。


 さすがに疲れたわ。

 色々ありすぎて。

 もうこのまま寝ちゃいたい。


「リゼ? そんなところで寝たら身体痛めちゃうよ? こっちおいで」

 そう言ってクロードさんはにっこりと笑ってからベッドに腰掛け私に向けて両手を広げる。

 何この小悪魔の誘い。

 こんな誘惑、かからない方がおかしいわ。

 いや、いつもの私ならば羞恥心が勝ってなんだかんだと言ってその誘惑に乗ることもないのだろうけれど、今の私はいつもの私ではなかった。


 私はふらりと立ち上がると、クロードさんの元へとゆらゆら歩みを進め、彼の胸にダイブした。


「わっ!! ふふ、珍しいね、リゼがこんなに甘えてくるの」

 言いながら私の後頭部を撫でる手がとても優しくて、私はさらに彼の胸へと顔をぐりぐり埋めた。

 ほんのり香る爽やかな柑橘系の香りが鼻腔をくすぐる。

 あぁ、落ち着く……。


「甘えさせてくれるクロードさんが好きです」

「ん?」

「私のこととっても大切にしてくれるクロードさんが好きです」

「うんうん」

「時々真っ黒だけど、愛情に溢れるクロードさんが好きです」

「え」


「でも……私、今日とても嫌な私を見せてしまいました」

 できることなら見せたくなかった私。

 できることならクロードさんには穏やかな私だけを見て欲しかった。


 嫌われただろうか?

 実の双子の妹に殺気を向け、殺すことも厭わない考えを示した私を、彼は軽蔑しただろうか?

 聖女なのに。

 貴族女性であるのに。

 あんな……。


「……リゼ?」

 私を撫でていた手が止まって、柔らかな声が私の名を呼んだ。

 顔を上げるのが怖い。

 どんな表情で私を見ているのかを確認することができないでいると、「リーゼ」と再び私の名を呼びながらクロードさんの大きく筋張った手が私の両頬を包み、強制的に上を向かせた。


 刹那──。

「んっ……!?」

 サファイア色の穏やかな瞳が目の前に広がった。

 無理矢理に押し付けられた唇が、私の私の思考を支配していく。

 その間も、私は目の前のサファイアから目が離せず、彼の口づけが止むまでの間、彼の瞳に映り込む自分の間抜けな顔を見続けた。


「っは……。く、クロードさん!! い、いきなり何するんですか!?」

 ようやく唇が離れると同時に、私はクロードさんに向けて抗議の声を上げた。

 こう言うのは心の準備とか、雰囲気とかあるでしょうに!?


「ふむ。だってリゼには俺の深くて重たい愛がわかってないみたいだったからさ」

「わかってない?」

 私が首を傾げクロードさんを見上げると、彼はじっとりとした目で私を見下ろして口を開いた。


「そ。リゼは嫌われたとか思ってるかもしれないけど、そんなのありえないことだからね。あの時、リゼのあんなに怒ってる所を初めて見て驚きはしたけど、嫌いになんてなるわけないよ。逆に、俺を殺されかけたことで片割れに殺意を抱くほどに、俺のこと大切に思ってくれてたんだって思って、嬉しかったんだけどな」

 そう言うクロードさんはどこかうっとりとした夢みがちな表情を浮かべていて、嘘ではないと言うことが伝わってくる。


「リゼ。俺、いつもの明るくて穏やかで、俺やクラウスに振り回されるリゼも大好きだけどさ……。今日みたいな、キリリと悪に立ち向かったり、少しダークな一面を見せるリゼも大好きだよ」

「クロードさん……」

 そうだ、うちの旦那様はこういう人だった。


「俺はどんなリゼも嫌いになることはないから、安心して俺を信じていて」

「!!」


 紡ぎ出される言葉の何と温かいことか。

 胸にしっとりと染み込んで溶けていく。

 例えるならそう、精神安定剤?


「……クロードさん」

「ん?」

「私、一生クロードさんから離れられそうもないです」


 精神安定剤のようでありながらも、謎の中毒性のある何かのような存在。

 悔しいけれど、いつの間にかこの感情は育ちすぎていたようだ。


「離れられたら困るよ。ま、離すつもりもないから、覚悟しててね」


 そう言ってクロードさんは、私をぎゅっと抱きしめる力を強めるのだった──。

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