第4話 リゼさんのえっち


 空もすっかり暗くなった頃、私たちは大きな木の根本に腰を下ろして、夜をしのぐことになった。


 ぐぅぅぅぅぅ……

 ぐぅぅぅぅぅ……


 夜の森に響き渡るお腹の二重奏。

 イケメンの前で腹の音を晒すこの羞恥よ……。

 私、一応元公爵令嬢ぞ。


「何か食べ物でもなってないかなぁ?」

 大樹を見上げてクロードさんがつぶやく。


 私も釣られてそれを見上げるけれど、あいにくと木には何もなっていない。ふさふさと茂った葉っぱがぼんやりとした月明かりに照らされているだけだ。

 本当なら今頃私は誕生日パーティで、明るくて暖かい部屋の中、美味しいものと綺麗なものに囲まれていたはずなのに。

 どうしてこうなった。

 いや、なったものは仕方がない。今は生き延びることだけを考えるのよ。


「随分暗くなってきてしまいましたね」

 夜の静けさと暗闇が混ざり合って、不気味な世界が広がっている。

 怖い。

 漠然とした恐怖に腕を抱える私をチラリと見たクロードさんは「大丈夫だよ」と優しく声をかけた。そして──

「ライティング──!!」


 パァァァ──……!!


 クロードさんが唱えた途端、彼の右手のひらに丸い光のたまが浮かび上がり、私と彼の周りだけがぼんやりと明るく照らされた。心なしか周囲が暖かく感じられる。

「うわぁ……すごいです!!」

「俺のスキルは光魔法でね。これぐらいは朝飯前だよ」


 【光魔法】──。

 聖女が扱うことのできる特殊な魔法。

 稀に聖女以外でも【光魔法】スキルを受ける男性がいて、その人たちはスキルを持った後は家を出て、聖騎士として神殿と聖女に仕えるって聞いたけど……。

 そうか、クロードさんがその聖騎士、なのか。


「これで怖くない? リゼさん」

 綺麗な笑みを浮かべて私を見るクロードさん。

 ライティングの光でキラキラエフェクト増し増しだわ……。


「ありがとうございます、クロードさん。……あーぁ、私にもこの力が現れてくれてたらよかったのになぁ……」

 そうしたら、今も優しい両親のもとで、婚約者の隣で、いつもと同じ日々を送っていられたのに。今更ながらに負の感情が湧き上がる。


「リゼさんもスキル検査を?」

「受けましたよ、今朝。そして現れたのが、このたくあんという食べ物を出すだけの【たくあん錬成】スキル……」


 私は手元のたくあんをじっと睨むように見つめる。

 くそ、この役立たずめ。


「今朝……やはり……。……ん? 食べ……もの? ちょっと失礼」

 そう言うとクロードさんは、私が持っていた一本の黄色い物体を取り、美しく整った口でカリッと良い音を立ながらかじりついた。

「!!」

 瞬間大きく大きく目を見開いて固まったクロードさん。


 え……何か……、何か毒でも?

 いやもうこの匂い自体が毒だけど……。ていうかよく食べられるわね、この臭いの。

 ボリボリボリボリ。軽快な音が夜の世界に妙なバランスで混ざり合う。


「……」

「……」

 

 ちょっと不安になってきた。

 毒……じゃないわよね?

「ク、クロードさん?」

 私は恐る恐る彼の名を呼ぶ。


 すると「はっ!!」と彼は我にかえったように目をぱちぱちさせてから、再びその毒容疑のかかった黄色い物体を自身の口へと運んだ。


 カリッ、カリッ、ポリポリ……。

 良い音を立てながら、夢中になってそれを口へといなしていくクロードさん。そしてそれは、あっという間に全て彼の口の中へと消えてなくなってしまった。


「クロードさん? 大丈夫なんですか!?」

「美味しい……!! これ、すごく美味しいよリゼさん!!」


 目を輝かせながらずいっと私に顔を近づけて興奮気味に声をあげるクロードさん。


 は?

 美味しい?


「ほんのりした甘さと塩みのハーモニーが素晴らしい!! 心なしか、力も湧いてくるような気がする!! すごいじゃないか、リゼさんのスキル!!」


 はは、本気?

 お世辞とかじゃなくて?

 私は試しに「【たくあん錬成】!!」と唱えて、再びたくあんを生み出す。

 うっ……やっぱりニオイが……。

 私はたくあんを掴んでいない方の手で鼻摘むと、ゆっくりと口内へと黄色い物体を推し進めた。


 カリッ……ポリッポリポリ──……


 弾けるような音と食感とともに、ほのかな甘みと塩み、そしてみずみずしさが口いっぱいに広がってく──。


 何……これ。美味しい──。


 カリッポリポリ、カリッポリッ。


 よくわからないけれど疲れが取れていくみたい。高いヒールで歩き続けた足の痛みすらなくなっていくようだわ。

 私はあっという間に一本丸々を食べ切ってしまった。


「こんなに臭うのにこんなに美味しいだなんて……」

 ぽつりとつぶやくとクロードさんが「でしょ?」とにっこり笑った。

「俺の国ではこのくらいの匂いはあまり気にならないけど、匂いの少ない葉物野菜を主食にするこの国では臭いと感じるのだろうね」


 この国は野菜、主に葉物野菜が豊富だ。肉や魚、果物を積極的には摂らず、貿易でもそれらの取引はほぼされていない。

 対して隣国フルティアは、果物を始めとして肉も魚も豊富。料理もバリエーション豊かだと聞く。だからこその食べ物先進国なのだろう。


「ねぇ、うちの国の料理屋で働いてみない? 俺、良いところ紹介するからさ。もちろん宿もね」

 突然のありがたい申し出。すぐにでもその話に飛びつきたくなるけれど、私は現実を見られないほど愚かではない。


「でも私、お金持ってないです」

 宿を取るとなるとお金がかかる。それに紹介料だって。

 自慢じゃないが今の私は無一文だ。あの場で、家に一度帰ることすら許されず身ひとつで追放されてしまったのだから。

 私がしょんぼりと肩を落とすと、クロードさんはふふっと笑う。


「大丈夫だよ。身体で払ってもらうから」

 色気たっぷりに言い放ったクロードさんに、胸が高鳴る。こんなの、元婚約者であるラズロフ王太子相手にもなったことがない。

 イケナイわ!!

 こ、婚約破棄されたとはいえ、こんな……!!


「なっ……なっ……」

「せっせと働いて、俺に毎日たくあん料理を無料で提供してくれたら十分だよ。宿代もいらないからね」


 あ……身体って、そういう……。

「な、なんだ……」

 私がほっと息を吐きながら言うと、クロードさんがまたクスリと笑って囁くように言った。


「あれ? リゼさん、何を想像したのかな? ──リゼさんのえっち」


 うあ〜〜〜〜〜〜!!

 小悪魔だ!!

 小悪魔がいる!!


「うぅっ……ぁ、あの……よろしくお願いします」

「うん。任せて」

 私が絞り出すように言いながら頭を下げると、クロードさんは晴れやかな顔をして頷き続ける。


「さて、じゃぁ寝る前に──もう一本、たくあんちょーだい」


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