第42話 アリツィアの初恋
神託節で再会して以来、ゴットフリートとアントニアはラルフの妻ゾフィー経由で文通を始めた。ゴットフリートは、再会したあの時に『好きでいてもいいか』と彼女に愛を告白したものの、手紙に愛の言葉を記すことはなく、淡々と彼の日常を書いてきただけだった。だからアントニアも返事に修道院での日常生活についてだけ綴った。
そのうち、アントニアはあの愛の告白は彼の本心だったんだろうかと疑問に思って悩むようになった。でもアントニアがそんな相談事をできそうな人は、修道院にはシスターアリツィアぐらいしかいない。彼女は、アントニアが修道院に入った時に案内をしてくれて、洗濯女達ともめた時も間に入ってくれた。ただ、彼女は修道院に新規に入る女性達が新しい生活に早く慣れるように支援していて忙しく、2人だけで話せる機会はあまりない。
ゴットフリートのことで悩みだしてからしばらく経ったある日、アントニアは昼食のレンズ豆スープとパンをお盆に乗せ、食堂で席を探してウロウロしていた。
「シスターアントニア! ここ、まだ空いてるわよ」
アントニアは突然アリツィアの声が聞こえて、どこに彼女が座っているのかキョロキョロ見回した。すると手を振るアリツィアが目に入り、自然と笑みが浮かんで彼女の方に足が向かった。
「ああ、シスターアリツィア、ありがとうございます!」
アントニアはアリツィアの隣の席についてから、彼女の連れらしき修道女見習いが2人、前に座っていることに気付いた。その視線に気付いたアリツィアは、2人を新入りの修道女見習いとしてアントニアに紹介し、アントニアも自己紹介した。
「修道女見習いのアントニアです。昨年、修道院に来た時にシスターアリツィアにお世話になりました。――シスターアリツィア、お久しぶりです」
「本当ね、顔を見ることは結構あるのに、こうして話すのは久しぶりね」
その後、4人で食事をしたが、食事時間は限られていてあまり話す時間はなく、黙々と完食した。どちらにしても、アントニアはよく知らない修道女見習いの前で繊細な話をするつもりはなかった。
食事が終わり、それぞれお盆を持って下膳口まで行く。アントニアはアリツィアの隣を歩き、新人の修道女見習い2人はアントニア達の後ろに付いてきた。アリツィアは、隣のアントニアに小声で話しかけた。
「ねえ、シスターアントニア、なんだか元気がないみたいだけど、どうしたの?」
「え? そんな風に見えますか?」
「ええ。私でよければ、後で話を聞くわよ」
「そうしていただけると嬉しいですけど……」
アントニアもアリツィアが忙しいことは知っている。だが、アリツィアは今夜消灯前にアントニアの独居房に来ると約束した。
その夜、消灯時間の30分前、アントニアの独居房の扉が微かに叩かれた。扉を開けると、期待通り扉の前にアリツィアが立っていた。アントニアは笑みを浮かべて彼女を自室に迎え入れた。
「シスターアントニア、遅くなってごめんなさい。あの後、修道院に保護された女性が来て迎え入れ準備と説明に今までかかってしまって……でも消灯時間が来ても大丈夫よ。私の部屋はすぐそこだし、夜目も利くから」
「ええっ?! 駄目ですよ。今日は止めてまたにしましょう」
「部屋に帰るのが消灯時間直前ってしょっちゅうなのよ。それに貴女も早く誰かに話して気を楽にしたいのではないの?」
アントニアは図星を突かれて口ごもった。そんな彼女を見てアリツィアは茶目っ気たっぷりに口を開いた。
「ねぇ、真っ暗な中、こっそり恋愛話をするのってドキドキするじゃない?」
「えっ?! 恋愛話?!」
「シスターだって女性なのよ。恋に落ちる時は落ちるし、恋してなくても恋愛小説は読みたいし、恋愛話もしたい。でもそれと実際に行動するのは別よ。修道院にいる間も、貞節を守れば、心の中は自由なの」
頬を染めて目を白黒させるアントニアにアリツィアは畳みかけた。
「大手を振ってこんな話はできないけどね。私みたいな考えの修道女は異端なの。でも修道院は、来る者拒まず去る者追わず。修道院を出て自立を目指すことを禁止していないわ。再婚したっていいのよ」
「さ、さ、再婚?!」
「したいんじゃないの?」
「ど、どうしてそれを……?!」
「最近の貴女の様子でなんとなく。あまり話す機会はなかったけど、様子が違うように見えたから」
「あ、でも再婚を決意した訳じゃないんです。ただ、告白されただけで、それも彼の本心だったのか今では分からなくて……」
「私はもう3年以上、新しく修道院に来る方のお世話をしているんだけど、再婚するために出て行った方もいて、その方達も再婚を決断する前は貴女みたいにソワソワしたり、何かに一喜一憂したりしていたわ」
「えっ?! 私、そんなに変でした?」
「変じゃないわよ。自然な反応よ。恥じることはないわ。それより後悔しないで行動して」
アリツィアはアントニアの両手を握ってじっと目を見つめた。その落ち着いた様子は、6歳の年齢差がまるで逆転したかのようだった。
「ちょっと私の昔話をしてもいいかしら?」
「シスターアリツィア、昔話だなんて大げさな。貴女は私より6歳も若いのですよ」
「この修道院に入る前の話なの」
アリツィアが12歳の時に両親が流行り病で亡くなり、彼女は聖グィネヴィア修道院付属の孤児院に入った。15歳の成人を迎えて孤児院を出た後、そのままここで修道女見習いになった。
両親の生前、アリツィア一家は隣の家族と家ぐるみで交流していて、彼女はその家の同い年の男の子とも仲良くしていた。でも彼女の両親が流行り病にかかった後、隣家の両親は息子を遊びに来させなくなった。
「両親が亡くなって孤児院に行く前日の夜、彼が両親の目を盗んで家に来たわ。大人になったら、迎えに行くから待っててって言ってくれたの。胸がドキドキして嬉しかった。でも彼はそれまでそんな事を言ってきたことがなかったし、当時は幼過ぎて胸のドキドキの理由が自分でも分からなかった。とにかく照れくさいし、おじさんとおばさんに見つかるかもしれないから、ただ『うん、ありがとう』って言って帰りを急かしたの」
「それでその後、どうしたのですか?」
アントニアの質問にアリツィアは悲しそうな表情をした。
「孤児院にいる間は、外部との文通に制限がなかったから、彼とも文通していたの。彼は私のために一旗あげるって言って、両親の反対を押し切って従騎士になったんだけど……」
そこまで言うと、アリツィアは言葉に詰まって手を額に当てた。
「シスターアリツィア、思い出したくない事を話させてしまったのね。ごめんなさい」
「いいの。久しぶりに彼の事を話したから、ちょっと感情を制御できなかっただけ。でももう大丈夫……私が後半年ぐらいで孤児院を出なくてはならなくなった頃、彼は盗賊討伐で大怪我を負って亡くなってしまったの。そんな事も知らずに手紙を出したら、彼の両親から手紙が来て彼の死を知ったわ。おじさんとおばさんは、私とそんな約束さえしなければって恨みつらみを書いてきた……私も後悔したわ。彼に好きだって言わなかった。彼と将来の事をちゃんと相談しなかった。彼が私を迎えに来て孤児院を出た後、どうやって2人で生活しようか、従騎士なんて危険だから止めてとか、具体的な事は全然……」
アリツィアは涙声になってしまい、最後まで言えなかった。アントニアはアリツィアに何と声をかけていいのか分からなくなった。
その時、リリリリッと消灯のベルが鳴った。2人がランプの火を消すと、アントニアの独居房は窓から入る月明りで微かに照らされるだけになった。お互いがどんな表情をしているのかほとんど見えなくなって相手のシルエットしか見えない。
「人生は一期一会よ。後悔しないようにしてね」
アリツィアはそう言ってアントニアの独居房を出て帰って行った。
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