アウト ザ・クソソープ~初めての自由恋愛講座~

斎藤秋介

アウト ザ・クソソープ~初めての自由恋愛講座~

「ゆり、おれちょっと喉かわいたわ。これ飲んでい? あ、このコップ使ってい?」

 ゆりちゃんは戸惑っている。こういうのは勢いが大事だ。初手でいかにインパクトを与えるかがすべてだからな。

 おれは湯船からお湯を汲むと、一気に飲み干す。

「あーっ! やっぱ80分28000円の高級浴場のお水は最高だぜーっ!」

 ゆりちゃんは戸惑っている。

「ほら、ゆりちゃんも飲めよっ! おれ今日このためにだけにラス枠取ったんだぜっ? やっぱ色んな男のエキスが混じった水が一番最高だからよっ! 元気が出るよねっ!」

「えっ……えっ、いや、いい。わたしはいい……」

 ゆりちゃんは戸惑っている。

「そうなんだ。じゃあお清めも済んだしキスしようぜ」

 おれはゆりちゃんに向かってコイキングのように唇を差し出す。

「やだぁっ!」

 恐怖に顔が引きつっている。

 まあ、仕方がない。

 おれのようなイケメンをまえにすると女の子は緊張すると言うからな。

「どう? おれの“渾身”のネタ面白かった?」

「え……し、仕事。仕事はなにされてるんですか?」

「……ふ、フリーランスかな……」

「なんですか? それ」

「個人事業主ってやつだよ。脱税をしても実質合法なんだ。……でもいいじゃねえか。税金って元々搾取の構造だぜ? おれは税金を納めることに命を賭けてる社畜を『納税主義者』って呼んでるぜ。馬鹿だよそんなやつらは。奴隷体質にもほどがある。やっぱ現金一括、毎日がお給料日、これが最高の生きかたってやつ。そう思うだろ?」

「……え、うん……何歳なんですか? 若いですよね?」

「ジジイだよ。24歳だよ」

 おれはさらっと嘘をついた。

「いやいや、若いじゃないですかっ!」

「そうだよな。おれみたいな同世代のイケメンが来るなんてうれしいよな。しかも金までもらえるなんて最高だろ? つうかさぁ、お風呂屋さんってすごいと思うわ。おれいくら金もらってもきたねぇジジイの相手とかしたくねえもん。よくできると思うわ」

「え、まあ……」

「ぴえん? ねぇねぇぴえん? ぴえんじゃね? ゆりちゃんってなんかぴえんだよな。ぴえん! ぴえん! ぴえええええんっ!」

 ゆりちゃんが一瞬顔を逸らし、虚空をにらみつけたのをおれは見逃していない。

「知ってるぜ。ゆりちゃんみたいなぴえんってオムライスといちごとおすしとおにくが好きなんだろ? おれ詳しいんだよな。で、チャージスポット持って歌舞伎町歩いてんだろ? よく見るぜ、そういうハイジア系女子」

「……お風呂行きましょ?」

「いや、いいわ。おれ今日友達の付き合いで仕方なく来ただけだし、病気移されるかもしんねえじゃん。ぴえんとか。マジで地雷だわ。金払って病気に罹りたくねえんだよな。罰ゲームじゃん普通に」

「そうなんだ。……じゃあ帰れば?」

 ゆりちゃんの声がいよいよ険を帯びる。

 ちょっと煽りすぎちゃったかなー! えへへっ!

「いやいやでもさ、いちおうおれ写真指名して来たのよ。フリーとかじゃない。つまりおれ好きなんだよゆりちゃんのこと。いやいや、わかるよ? わかるよ? たしかにお風呂屋さんにガチ恋しちゃいけないっていうのは一般論としてあるし、そんなことはおれも知ってる。そう振る舞わないといけないのもわかる。建前上ね。事実、本指名のお客さんもみんなそういう態度取るでしょ? ……いや、それ強がりでしかねえから。『おれガチ恋してないです』って余裕ぶってみせるのがカッコいいと思ってる男の中二病だから。おれそういう予防線張らねえもん。たとえ嫌われるとしても。だって好きだから指名してんじゃん。普通に考えて。そうだろ? だから悪いことだってわかってるけども。――わかってるけどもっ! おれは本気でゆりちゃんのことが好きなのっ! だいすきなのっ! ――その気持ちに嘘つきたくねーんだよっ!」

「そうなんですね」

「LINE交換しようぜ、とりあえず。そのために28000円払ったんだからさ」

「……まあ、いいけど」

 ゆりちゃんのQRコードを読み取ると、花の絵文字が名前だった。……ふーん、やってんな。昼の世界とつながりなさそう。

「しかしさぁ、こういう仕事してるとお茶引くの得意になるだろ。意外とパン職とか向いてんじゃね? ゆりちゃんなんて顔可愛いからお茶引いてるだけで給料出るぞ。お風呂屋さんと違ってさ」

「わたし昼やってますよ」

「マジ? なにしてんの? どうせ受付嬢とかだろ。知ってんだよ」

「……まあ、そうですけど……」

「でもさぁ、そんな頻繁に美容室行ってたら怪しまれねえの? ネイルとかもなんかキラキラしてんじゃん。これ昨日入れたばっかだろ。2アウト満塁だろ、周りから見たら。気遣われてんじゃね?」

「うーん……そうなのかな。わたし普通の人がどうやって生きてるのかわかんない。だって都会で一人暮らしとか無理じゃない? 普通に。普通の物件に住もうと思ったら絶対無理だと思うんだけど……」

「寄生してんだろ、男に。おれゆりちゃんみたいな女の子ってすごいと思うよ。自分の身体で稼いで自立して生きてんだもん。まさに土方。一級建築士だよ。諭吉でピラミッド作ってそう。乞食みたいなババアより100倍すげぇって。自信持ったほうがいいよ。むしろ容姿だって磨いてるしおれみたいなイケメンと関わる資格あるわ」

「それはわかんないですけど……うん、まあイケメンがどうとかは……わたしあんまり男に興味ない……」

「え、それおれに興味ないってこと?」

「……え、うん、だってまあ……会ったばっかりじゃないですか?」

 それを聞いて、おれはブチ切れて賢者モードになってしまった。

「あのさぁ……ゆりちゃんさぁ……あのさぁ……こんな仕事してて…………親に申し訳ないと思わないのかァっ!!」

 おれはフロアに響き渡りそうな音量で怒鳴り散らす。

「別に思わないです」

 その即答はとても冷たかった。

「なに? 親子仲わりぃの?」

「アル中だもん。うちのお母さん。離婚してるし」

 急にゆりちゃんのトーンが真剣味を帯びてくる。

 おれは触れてはいけないところに触れてしまったようだ。

「あー……まあわかるよ。それはわかる。おれもオヤジ自殺してんもん。学校から帰ってきたら首吊ってたわ。たまにあるよね、そういうこと」

「てかさ、普通に考えてなんか理由ないとこんな仕事しなくない?」

「あー……まあ、どうだろうな。最近はまあ……カジュアルに小遣い稼ぎでやる馬鹿もいるんじゃねえの。ティックトックとか見てたらアイドル売りしてる夜職いっぱいいんじゃん。逆にガチメンヘラのほうが希少種なんじゃね?」

「わたしメンヘラじゃないです」

「あー……まあ精神科病院はやめといたほうがいい。聞いた話によると、強制入院とかあるらしい。入院施設がないメンクリが安全らしいぞ」

「だからわたしメンヘラじゃないですって!」

 そう言って謎に袖をまくり、両手首を見せてくる。……たしかに傷はないが、別にそれだけが根拠じゃないだろう……。

「でもマジで自殺はやめといたほうがいいぜ。あれ失敗すると地獄なんだよ。そのまま精神科に運ばれて保護室でベッドに貼りつけにされる。おれも経験者だからな」

「えっ、まじですか?」

「いや、嘘だよ」

「うざっ……」

 舌打ちをするゆりちゃん。

 そのうち勝手にアイコスとか吸い出しそう。

「嘘つったらこういう店の『当店は性病検査実施店です』ってめちゃくちゃアテにならないよな」

「それはそう。わたし正直ちゃんと検査してないもん。っていうかできない。だって梅毒とかって接触から一ヶ月後で、HIVとかも三ヶ月後とかにならないと正確な結果出ないんでしょ? でも一ヶ月経つあいだに働き続けるからその一ヶ月後が一生来ないじゃんね? 意味ないと思うよ」

「うわっ、いまの録音したわっ! ボーイにチクったろ!」

「うん、そしたらしぬね」

「そういうこと言うなよ。ゆりが死んだら悲しむ人いっぱいいるぞ」

「いないよ。一人も」

「お客さんが悲しむだろ。みんなゆりのことが大好きなんだから。もちろんおれも大好きだし。……コンビニ・スイーツ食うか?」

 おれはスーパーウルトラ・ハイブランドのバッグからコンビニ・スイーツをどさどさっ、と落とした。

 スーパーウルトラ・ハイブランドのバッグにいったん収納されることで、コンビニ・スイーツは一流パティシエのミラクル・スイーツに変身する。女は馬鹿だからブランドが好きなんだ。

「いらない」

「そっか。じゃあ一人で食うわ。コンビニ・スイーツ嫌いだなんて、おもしれー女だな」

 もぐもぐ始めると、無言の時間がひたすら流れる。

 やがて、ピピピピッ、ピピピピッ、という音が鳴り渡った。

「あ、時間だ。服着てください」

「落ち着け。おれ最初から脱いでないぞ」

「あ、そうだった」

 微妙にニヤけるゆりちゃん。

「ふーん、ゆりちゃんのえ・が・お、見ちゃったっ! とってもキュートだねっ!」

「きもっ」

「もう一回笑ってごらんっ?」

「嫌です。コールしますね。……あ、お客様おあがりですー」

「ゆりちゃん、今日はありがとう! とっても気持ちよかったよ! 帰ったらLINEするね!」

「はーい」

 すっかり塩対応に切り替わったゆりちゃんだが、おれはちゃんとアンケートで100万点をつけておいた。……ま、これはおれなりのボランティアみたいなもんかな。おれはアンケートで100点以下をつけたことはないんでね。おれみたいなやつを神客って言うらしいぜ。イケメンだし若いし、お話だけで帰ってくれる紳士だからな。

 店から出ると、おれはゆりちゃんにメンヘラうさぎのスタンプを送った。一時間くらい経ったが既読がつかないので、『着せかえ』から確認をしてみると、ブロックされていた。もちろんおれにだけお礼日記が書かれなかった。

 まあ、こういう日もあるさ。

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