Origin.00 世界帝国
月に吠ゆるもの
その男は王だった。自分を誰よりも優秀な王だと信じていたし、誰よりも強い王であることを目指していた。
良い王とは国を強くし、大きくする王のことだと考えていた。そこに人民への情は入らない。豊かさも救いも必要だとは微塵にも思わない。
とにかく人々を馬車馬のように働かせ、重税を課して、取れるだけの物品と金銭を集めた。その過剰な蓄えは戦いに回す。
王の戦いは合理的で、いまだ遊び半分で戦争に臨む周辺の王侯貴族たちを圧倒した。瞬く間に領土が増え、国は豊かになる。だが、豊かさが国に暮らす人々に還元されることはない。
過剰な蓄えはすべて戦いに回した。やがて、その領土は海を越え、世界帝国と呼ぶべき勢力に広がっていく。
王は強かった。だが、心がなかった。
そんな王に人はついてこない。各地で反乱が起きる。領土を広げる才能はあっても、人心を治める才能はなかった。反乱は収まることがない。
最初に裏切ったのは息子だった。後継者として待遇していたにもかかわらず、民衆についた。次いで、何人もの妃が彼を見捨てた。親族たちは皆彼に背き、敵に回る。
残ったのは、戯れに平民に生ませた幼い娘だけだった。まだ分別もつかず、庶子であるがゆえに後ろ盾もない。彼女が残ったのはそれだけの理由だったが、王は娘を愛し、彼女だけに心を向けた。
やがて、革命は成り、王は都落ちする。娘とともに落ち延び、片田舎の小さな屋敷と狭い庭だけが彼の土地となった。
民衆を呪い、国を呪い、世界を呪う。王は黒魔術に傾倒し、夜な夜な奇怪な儀式を繰り返した。彼の集めた魔術書の中に本物が混ざっていたのは、果たして偶然だったのだろうか。
ある満月の晩、そのものは現れた。
――汝の望みは何か。
それは貌のない漆黒の塊だった。四肢は筋肉がはち切れんばかりに漲っており、顔があると思しき箇所には三つの炎が燃え上がっている。そのものは満月に向かって吠えているかのように見えた。
「我に背いたこんな世界はいらない。我にひれ伏す世界を与えよ」
漆黒の塊は何の言葉も返さず、消える。黒魔術は成功したものの、何の変化もない。
次の日も、その次の日も、何も起きない。変わらない日常が過ぎる。
そんな日々の中、王を追いやった民衆たちは血で血を洗う闘争を続けていた。政権を握ったものが暗殺され、暗殺の首謀者が権力を得る。さらに、その権力に抗って反乱が起きるのだ。
何度目かの政権交代の後、王の処刑が決まった。王は屋敷から引きずられ、ギロチン台にかけられる。
刃を支えていた紐が放たれた。分厚い刃が降ってきて、王の首を一刀のもとに両断する。
首が断ち切られても、脳はしばらくの間、停止せず、意識があり続けているのだと言うものがいる。ある死刑囚がそれを証明すべく、ギロチンで首を落とされた後、瞬きを繰り返すと宣言した。果たして、その男は首を斬られた後、瞬きを繰り返す。
それは死後の筋肉の痙攣に過ぎないと主張するものもいる。首が斬られた時点で血圧が下がり、意識は失われるはずだと。脳は生きていても気絶しているので痛みを感じることはない。
どれも、机上の空論に過ぎない。だが、この時の王は意識がはっきりとあった。
自分の首がギロチン台から落下するのを感じ、胴体を失った痛みに苦悶する。そして、漆黒の塊を見た。
――汝の望みを叶えよう。汝が死ななかった
そこは
ギロチンの刃はまだ降りていなかった。もう一つの未来が始まったのだ。
王は怨嗟を込めた声を上げる。
「朕を殺すな。朕はこの世界の皇帝ぞ。ひれ伏せ」
その言葉通りとなった。周囲の民衆はひれ伏し、ギロチンの刃が落ちてくることもない。
玉座に返り咲いた王は、いや皇帝はその言葉の力によって世界帝国を築く夢の続きを見たのである。
言葉による支配の力を得た皇帝に親族など必要ない。自らの手ずから息子を殺し、かつての妻を殺した。親族は皆処刑する。
ただ、幼い娘だけを愛した。それでも、彼女が成長することを恐れる。大人になれば自分から心が離れるのではないか。息子のように裏切るのだろう。
その願いが叶ったのだろうか。異海の力に目覚めたのだろうか。娘は成長することがなかった。何年たっても姿が変わらず、少女のままである。ただ、大人になるはずの年齢に近づいたころ、娘は分裂した。まるで双子のようにそっくりな娘が二人に増えていた。また、同じだけの年数が経つと、今度は三人に増える。
年齢を重ねる代わりに、娘は増殖していた。
世界帝国は圧倒的な暴力を元に領土を増やし続けた。もはや、誰も裏切りようがない。皇帝の言葉には誰も逆らえないのだ。反乱を起こした者も、皇帝の声を聞けば従順になった。
どんな無茶も無理も通らないことがない。ただ、疲弊し死んでいくものがあるだけだ。どんな非人道的な作戦も研究も躊躇する理由がない。その科学技術は他国を圧倒していく。
人体実験を繰り返し、
しかし、予想外の事件が起きる。
起きるはずがないと高を括っていた反乱が起きたのだ。それは突発的な事体だった。
皇帝は殺され、御子である娘も死んだ。
世界帝国で皇帝は廃され、新たな支配者は総統を名乗った。
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