翡翠の王国(7)
重苦しい空気が流れている。
「……なんっと、いうことだ……」
敵の姿が見えてきたことで、スヴェンは放心していた。
ジュビアという個人の規模では収まらない、半島の中にこもっていては暴ききれなかった陰謀。
ぎり、とアクセルも歯軋りする。
「ジュビア一人に大災害の再現は無理だ。セルマを復活させるのもね。けど、国家規模での大魔術となれば話は変わってくる」
アルネはマグカップの中身を空にした。
「だからジュビアも連中に取り入って、セルマを、半島や大陸の多くの人間を生贄にこの王国を蘇らせようと仕込みをずっと手伝っているんだろうさ」
「……その仕込みのひとつが、『
「ああ。つまり、止めなければならないのはエスニアなんだよ。ノウドと全面衝突になる日も近いかもしれない……けど、僕は……」
わしわしと、銀髪をかきむしる。
「僕と、特にグレンダは、そうなってしまう前にあの二人を……戦いの道具にされ続けている、あの二人の仲間たちを解放してあげたい、って思ってる。『
飄々とした態度をすっかり封印したアルネの言葉には、いつになく声色に芯が通っていた。
アクセルもその碧眼をまっすぐ捉え、じぃと静かに座していた。
「そのためなら、ああ。不本意だけど、アクセル公子。きみと手を組むのだって僕はやぶさかじゃないよ。もちろん、きみが知らぬ存ぜぬをする気がなければ、だけど」
「……まさか」
ふと思い出していたのは、まだ幼少だった頃の集会で目撃した、アルネの無法さ、責任感のなさ――関心の薄さ。
「自分勝手な生き様を世間に晒してきたあなたの口から、他者の、それも少年少女の救済などという綺麗事を、聞ける日が来るとは思いも寄りませんでした」
いや、実のところどうだったのだろう。
彼は初めから政治に興味を抱かなかったのではなく、あの顔ぶれ、あの状況で自らが手を打つ行為そのものに無価値を感じていたのかもしれない。
ましてや、イェールハルドや騎士団にすべてを放り投げて、日頃ノウドの誰よりも遊び倒している、あの男が内政の舵を取っている――舵を取るふりをしている限り。
「あっそう。そりゃどうも」
アクセルの返しに、アルネはやや不服そうにした。
「けど、子どもなんて本来は、生意気で突っ張ってて無責任で、身勝手なくらいがちょうど良いはずだろう?」
「……少年兵など、例えば帝国や隣国でも、別に珍しくありませんけどね」
「珍しくなかったら問題ないって? それこそ馬鹿言え。きみらも見たろ? セイディとヨニーの面構えを。おたくが連れてきた、あの天真爛漫が服着たような妹様と見比べれば違いが歴然じゃないか」
再び窓の外へ意識を向けるアルネ。
まだ彼女らは水浴びをしている最中だろうか。メロディアの様子もアクセルは次第に気になっていく。
「あの二人にも、気兼ねなくわがまま言ったり、グレンダや僕ら大人に甘えられるような可愛げのある毎日を過ごしてもらいたいものだね」
「……メロディアだって、ああ見えて大人びた部分がありますよ」
そういえば、メロディアはセルマを見ても案外平気そうだった。怪物に恐れをなすばかりか、抱き合い震え上がっていた双子の少年をなぐさめていたくらいで。
アクセルの心身を常に気遣い、この旅を誰よりも早く先導した張本人。
今頃、女騎士や魔女の端くれたちと、いったいどんな交流を持っているのだろう。
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
アクセルは目を閉じ、姿勢を改める。
「そちらが抱えているご事情は確かに把握しました。僕も、ノウドへ戻り次第、然るべき対応をさせていただきたく」
「あぁぜひそうしてくれ。特に、タバサ嬢への情報共有を頼むよ」
名指しされた令嬢に、アクセルはすぐ目を開けた。
「ていうか、今ノウドで誰よりも矢面に立たされているのは彼女だ。タバサ嬢の魔法のことが国内外で知れ渡れば、この先何が起きるか分かったもんじゃない。エスニアやジュビアの悪業、そして近辺の国の横槍を止めるためにも、優先すべきは彼女との合流、そして身柄を守ることだ」
守る――か。
一緒に戦う、とは言わないあたりが、やはりこの男は生粋の戦争嫌いだ。
「すぐにでも会いたいね、彼女とは。……いやいやもちろん、変な意味じゃなく」
「そうでしょうね。今のお話で確信しました」
納得したように頷く。
「ノウドにとってはタバサ嬢こそ、エスニアや『雨の魔女』、セルマとかいう埒外の存在が持ち出してくる規格外の脅威に対抗しうる、最初で最後の切り札だ」
「どうにかなるのか?」
ようやく沈黙を破る気になったのだろう。
自身の仲間たちを背に抱え、ウーノは険しい表情を二人の公子に送った。
「生憎、ここまでのおっかない話を聞く限りじゃ、俺らみたいに下賤な素人が手出しできる領分じゃなさそうだ。そもそも騎士団だって一枚岩じゃないだろ? アクセルよ。そのタバサ嬢やらを抱き込んだところで、てめえ一人で根回しすんのは──」
「一人ではありません」
アクセルは堂々と言い切り、胸を張る。
「この島にはグレンダが。そしてタバサ嬢の元には、もう一人、僕の同胞がいます」
エリック・アルド。
アクセルが、そしてグレンダが、誰よりも信頼に足ると認めたいっぱしの騎士。
あのぶっきらぼうで捻くれた男が、この先戦乱の鍵を握るであろう、男爵令嬢のそばにいるというだけで、これほどまでに心安らぐだなんて。
「そして、『
アクセルは振り返り、彼らへ爽やかな笑顔を送る。
「あなた方のご尽力がなかったら、僕はここに至ることさえ敵わなかった。とても、感謝しています。これからも頼って……いえ」
最後にちょっぴりおどけた。
「メロディア共々、ヴェールへ遊びに来て構いませんよね?」
「……はん。勝手にしやがれ」
ウーノは目を逸らし、どこか気恥ずかしげにわしゃわしゃをあご髭をさすっている。
捻くれた者はここにもいたらしい。
が、長々と面白くない話に突き合わせた申し訳無さがアクセルにはあって――
「して、アルネ公子?」
閉会と誰しもが考えていた小屋の中で、アクセルはここ一番の明るい声を上げた。
無邪気な子どもがいたずらを企んだ時さながらの調子の良さで。
「あなた様はいったい、この先なにをなさるおつもりなんですか?」
「ええ? ……いやいやだから、僕もジュビアを」
「後のことは僕や、状況次第では騎士団が引き継ぎますし。この島とのやり取りも、グレンダや、例の小さな従者たちとさせてもらうことになるでしょうし。あなたに僕が求めるべき役回りらしい役回りなど、これと言って思い至りませんが?」
ヒク、とアルネは顔をひきつらせた。
彼らが臨まねばならない、魔女や魔術大国との戦いはこれからかもしれないが、性根の悪い男たちの仁義なき内輪揉めはまだ終わっていない。
始まってすらいなかったのだ。
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