翡翠の王国(6)

「ヴェール大学……ああそっか、ヴェールね」


 アルネは小屋の簡易暖炉にて、湯を新たに沸かしている。


「そういえばきみ、ヴェール領の森でジュビアとかち合ったらしいじゃないか」

「……知っていたんですか?」


 床へ両膝をつけ、拳を握ったままアクセルは不可解そうな顔を浮かべる。


「軍事どころか騎士団とも関わりたがらなかったあなたが、今や、ノウドの軍事機密を知る手段など持っているはずも──」


 言いかけて、唐突に心当たりを思い起こした。

 スヴェンも隣で背筋を凍りつかせている。

 セイディに、ヨニー。過剰に大人びている節のあった彼女らが、いったい何者であったのかを悟り、アクセルは声を荒げかけた。


「あ、なたという人は! よもや、賊に加担するような真似を──」

「賊じゃない」


 静かに唸り、糾弾の声を制したアルネ。

 閑静な島の住人らしく、そして元々有していた腹立たしいほど悠長でお気楽な性分を発揮し続けていたアルネの、とても珍しい顔付きにアクセルは意表をつかれる。


「言葉を慎め、三流騎士が。話をちゃんと聞いていたのかい?」

「……っ、なんだと?」

「僕も彼らも、ジュビアでさえ、みなが魔法を宿した出所は同じなんだぞ。それを、賊なんて陳腐な一言でいっしょくたにして片付けられるほど、今の大陸情勢は単純じゃないって、そろそろ分かってきただろう?」


 アルネは沸騰した鍋の中身を、マグカップで掬い上げる。


「なにより、セイディとヨニーはずっと前から、この僕が抱えてきた大事な従者で、どこの領土にも居ないような優秀な参謀だ。同じにするな」

「同じではありませんか。つまりあなたは、賊国より遣わされてきた密偵者を、長らく自領にのさばらせていたということでしょう!」

「え、ちょ、ちょっとお待ちを」


 ずれかけたメガネをかけ直し、スヴェンが慌てて身を乗り出す。

 アルネとアクセルを交互に見比べ、自分が今どういった心持ちでこの会議に臨まねばならないのか、ますます計りかねてしまっているようだった。


「すっすす、すみません、素人風情が出過ぎた真似を……つつ、つまり、かの掃討作戦には、その、先ほどの彼らも……?」

「……作戦に加わった、というのはかなり語弊が──あちっ!?」


 白湯を啜ろうとして勝手に火傷しているアルネの様子を、アクセルも、掃討作戦のことなど知るよしもなかった『夢遊病ドラム』の面々も複雑な表情をして眺めている。


「あくまでも二人には、ジュビアの足取りを追ってもらっていたのさ。それで行き着いたのが、騎士団と『焔の革命児ラーモ・デ・ジャマス』がどんぱちやり合っている最中ってだけの話で……あれ?」


 ようやくアルネは、スヴェンの挙動を不審がる。


「アクセル公子はともかく、なんでそこいらの大学生が詳しいんだ?」

「彼はヴェール伯爵のご次男です」


 アクセルがすかさず紹介の言葉を告げた。

 いかにも重要そうな声と表情で、過剰に抑揚を付けて語り聞かせる。


「スヴェン氏はあなたや僕みたいな親不孝者とは違って、近い将来に家督を継ぐ用意を早くもなさっているような、たいへん優れた御人なんです」

「へぇえ? なるほど、そりゃきみよりもうんとご立派なわけだ」

「へぇえええっ!? あっああアクセル氏! そ、そのような紹介は、自分ごときにはもったいな──」

「あなたはどうせヘリッグの矜持など、とうの昔に捨てているでしょうが、せいぜい彼にはご無礼なきようお願いします。彼は近い将来、うちのメロディアと婚姻する殿方でもありますので」

「……へぇえ? なるほど、そりゃ国の未来より重んじて然るべきご要人なわけだ」

「へぇえええええっ!? あっああああアクセル氏ぃ! それ以上のお戯れは勘弁してくださいぃいいいいいっ!!」



 過保護な兄の許しを得ている婚約者候補ほど、無敵な者はいない。

 若干和んだ室内にて、スヴェンは赤面し何度も咳払いしたのちに本題へ戻した。


「……あの夜の森は文字通り危地きちでした。騎士団と『焔の革命児ラーモ・デ・ジャマス』、その双方で少なくない犠牲者が出ています」

「そういう面白い話を先にしてくれよアクセル公子。こんなつまらない話に彼らを混ぜたってつまらないだろう? 今からでも遅くない、みんなで女性陣の水浴びをのぞきに行かないか?」

「そのご意見に関しては大いに賛同します。さ、行きましょう」

「賛同しかねます。せめて今の話が済んでからにしてくださいっ!」


 起立しかけた二人を、スヴェンは強引に本題へ引き戻させる。

 ヘリッグのならず者たちの冗談ほど、つまらなく肝が冷える時間はない。


「なんだ、真面目な奴だなあ。まあ結局僕が言いたかったのはさ」


 マグカップ片手に、アルネはふいと窓の景色をのぞき込む。

 夕日すら完全に沈み、いよいよ孤島にも夜がやってきた。


「きみたちはおかしいと思わないのかい? どうしてセイディやヨニーみたいな、遊びを本分にするべき彼らが、今こうしている間にもノウド内外で、争いの最前線に立たされ続けているのか」

「……それは」

「セイディはどうも、僕がその事実を知ったずっと前に、革命軍のほうは足抜けしていたみたいだけど。いまだに情報収集とか言って、時折すすんで、危ないところへ出向きたがるんだ」


 アルネは唇をへの字に曲げる。


「ヨニーにいたっては、この島じゃ、ボムゥル領にいた時とはすっかり別人みたいに大人しくなっちゃったよ。ずっと本当のことが言えなかったことに引け目を感じているのかな。あんなによそよそしくされると、僕が嫌われたみたいでなんだか気分が悪いじゃないか」

「嫌われていない自信があるのですか? あなたは、カイラ様やグレンダに領主の仕事を押し付けてきた怠慢っぷりを、彼らにもご披露なさっていたのでしょう」

「あーそうだな。そうですね。なんならセイディにもヨニーにも、めっっっちゃ色々任せてました!」


 ──なんて恥ずかしい大人なんだ! よくもそんな胸張って言えるな!

 いくらアクセルに呆れ果てられようとも、アルネの、冗談めかしながらも少年少女を思う心はまったく揺るがない。



「ああ、別に否定はしないさ。僕は誰がどう見たって、公子として領主として、グレンダのあるじを名乗るのもおこがましいくらいに意気地なしのロクでなしだよ。もちろん戦場になんか出向きたくない。全人類、今すぐこんな面倒ごとは辞めて遊んじゃえば良いのにとさえ思ってる」

「包み隠さずロクでなしですね」

「けどさ。そんな僕だって、許せないことくらいはある」


 ドン! とアルネは床を叩き殴る。

 白湯がわずかに自身の膝を濡らそうとも構わずに、怒りの言葉を連ねた。


「そのひとつがエスニアだ。どんな目的や正義があろうが一切合切関係ない。大人の都合に、大人同士の諍いに、遊び暮らす権利を奪ってまで子どもたちを巻き込むなよ──ましてや、『死の雨シーレライン』みたいな大魔術をもう一度練るための媒体なんかに……!」

「『死の雨シーレライン』!? やはり、あの大災害の根源は……」

「エスニアだ。ジュビアも、あの国で生まれた魔女だからね」


 アクセルは深い呼吸をする。

 孤島にたどり着いた今、グレンダと再び相まみえた今。


 次に目指すべき地はどこか。

 ノウド公国とその民を守り抜くために、立ち向かわなければならないのは、戦わなければならないのは誰か。

 ずっと見えてこなかった敵の背中を、ようやく捉えたような気がした。



「より厳密には、政権を乗っ取った今の上層部──セイディたちが『先生マエストロ』と呼んでいる、魔術師連中がすべての火種なんだよ。セルマの様子は僕らがこうして見ているけれど、あいつらをなんとかしない限り、この争いは収まらないし、ジュビアの野望だって止めるに止められないんだ」

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