翡翠の王国(5)

 男たちが小屋で集まっていた、同刻。


「あ、あの……」


 上流の、滝が流れている水場にて。


「メロディア様。私は見張りをしますので」

「必要ありません。あなたもお脱ぎになって?」


 グレンダが、メロディアに身ぐるみを剥がされそうになっていた。


 川では皆で水浴びをしながら、上部を切った浅底の樽に水を入れ、それを焚くことで一人ずつ湯にも浸かれるという形式の風呂である。

 久々の風呂で、特にメロディアは舞い上がっていた。だが、単に体や髪を洗えるというだけでは気が済まないらしい。


「見張りなら、そこの者にさせれば良いではありませんか! なんのための男手ですかっ」


 メロディアが指さしたのは、焚き出し要因として男で唯一連れ出されたヨニーだ。

 ヨニーはずっと半目を作っていて、時折セイディに「もう帰っていいかな? 俺もできればあっちに混ざりたいんだけど?」とか愚痴垂れている始末である。


 しばらくはぐいぐいとグレンダの青いスカートを引っ張っていたが、ついに背伸びしてブラウスのボタンへ手をかけ始める。


「め、メロディア様……」


 グレンダは困窮した。それがアクセルあたりの所業であれば、手首を捻ってその体を一回転させるという手段も講じられるのだが。

 相手があどけなき公女様となれば、どうにも強気に出づらかった。


「わたしは、ここにいる皆で風呂に入りたいのです! この後はテントで集まって女子会でしょう?」

「そ、そうでしたか。……そうなのですか?」

「グレンダさんも一緒に入りましょう。騎士のお勤めなど今は忘れて、同じフリューエとして旅の疲れを一緒に癒して歓談したり、体を洗いっこしたり、触りっこしたり、とにかくきゃっきゃうふふしましょう」

「洗いっこ……」

「触りっこ……」


 ブラウスをはだけさせられ、グレンダは苦笑した。隣でセイディも、にははとぎこちない笑みを浮かべている。


 ──おい、こら。アクセル

 いったいおたくの妹に、日頃どんな教養を吹き込んでいらっしゃるのかしら?



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 ともかく。


「ヨニー? あんたがきっちり見張りをするのよ」


 川へ入水する女性たち。

 セイディは一人だけ仲間外れにされているヨニーへ釘を刺した。


「へいへい。俺はおたくらフリューエのパシリです」

「外側を見張るんだからね? こっち側をのぞいたら殺す」

「へいへい。でものぞきを疑うくらいならもー帰らせてくれね?」


 木枝をセイディが拾い上げるなり、ヨニーのいる方角へ投げつける。狙いは大きく外れたが、ヨニーが彼女らの視界の外側でごちゃごちゃと抗議の声を返してきたのが聞こえてきた。


 ミュリエルも、メロディアの隣でゆっくり腰を下ろす。

 夏とはいえ、水はしっかり浸かるとかなり冷たい。しかしその温度が、しばらく乱れていた彼女の心を鎮めるにはちょうど良かったのかもしれなかった。


「……今ごろ、あちらではどのような話をなさっているのでしょうね」


 ミュリエルがぽつりと呟く。グレンダは己の胸元から下方全体をタオルで隠しつつ、立ったまま答えた。


「アルネ様が主導となって、今後どう動くかについてアクセルや皆さまにも相談なさっていると思われます」

「どう動くか……ですか? なにか展望が、そちら側で定まっていると?」

「はい。私たちも、初めは『雨の魔女』の監視をするのみでしたが……」


 グレンダも次第に、腰の位置を低めていく。

 憂いの色を翠眼に滲ませながら、その水面より綺麗に通る声で語る。


「その魔女に逃げられてしまった以上、いつまでも孤島にこもっているわけには参りません。ですので、ノウド騎士団の尽力をもってしても、いまだ刃が届いていない地へアプローチをかけていくつもりにございます」

「……エスニア、ですか?」


 問いにグレンダが頷く。すると、場違いな声を出したのはメロディアだ。


「あ〜も〜! 二人してまぁた難しいお話を!」


 パシャン、と水面を叩いた。


「そういう堅苦しい会議はお兄様や、男たちに任せておけば良いのです!」

「メロディア様……」

「わたしたちには、政治や商売、戦いの場に出向くお兄様や彼らの帰りを、屋敷の番をしながら待つという大事な役目があります。グレンダさんのように、自ら騎士を名乗り出るような勇敢な女性だって、もちろん居て構いません。が! お兄様たちが手を尽くし、心身を燃やしているのを後ろで見守り、最後にはお兄様が安心して帰ってこられるような場所を用意するというのが、淑女たるわたしたちの務めにして使命なのではありませんことっ?」


 ミュリエルは目を伏せる。

 頭では彼女もわかっているのだ。

 が、あんな怪物を目の当たりにしておきながら、この島を出た後、はたして自分はただ屋敷で給仕に徹するだけの生活に戻れるだろうか。


 なにより、メロディアの主張に異議を唱えたのは──はたまた、彼女が示す使命とやナンセンなお例外となっていたのはミュリエルでもグレンダでもなかった。


「公女様? あなたはそのスタンスで良いでしょうけど」


 セイディは髪を水につけて、手ぐしで梳く。

 まだまだグレンダには及ばないが、彼女の茶髪は肩にかかるあたりまで伸びており、いつのまにか縛れる長さとなっていた。


「生憎、あたしは蚊帳の外でいるわけにはいかなくってですね」

「なぜ? セイディさんと言いましたか。あなたもメイドなんでしょう?」

「いーえ、ただのメイドじゃありません」


 きっぱりと告げるセイディ。

 自分と年頃の近そうな少女が、さも当たり前のように言い放った次なる告白が、メロディアには怪物の存在などよりもずっと痛ましく、衝撃的だった。


「今頃、小屋ではきっとアルネ様も同じような話をなさってますよ──公女様にも、あらかじめお伝えしておきます」

「……っ、待ってセイディ」


 はっとして、グレンダが言い咎めようとする。

 しかし遅かった。セイディは真顔で。


「あたしと、そこのヨニーのことは、どうかあまり信用なさらないでください」

「えっ? ……なにを言っているの?」

「あたしたちはいつジュビアと同じようにこの島を出ていくか、いつまでこの命が続くかもわからない身の上です」


 自嘲するような言い方ですらない。

 遥か後方では、ヨニーもまったく息していないかのように静かだった。


「あたしたちは、物心つくよりも前にエスニアから遣わされた革命軍の一味──表面的には、あの魔女と『同志マブダチ』なんですよ」

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