翡翠の王国(8)
「島の外の情報収集は子どもたちが。内のことはグレンダが」
「いやいや、僕も働いてるって。ほら、この小屋も僕が建てたん――」
「グレンダの荷物運びに甘んじていたというなら、まあそれはそれで結構ですが」
見る者が見れば惹きつけられ、失神してしまいそうな金髪美青年の笑顔。
しかし薄い唇から吐き出されたのは、もう一人の銀髪美青年を殺すための猛毒だ。
「あなた自身が島のお荷物にならないことを願うばかり……ああ、失礼。島へ漂着した時点ですでにお荷物なんでしたっけ?」
「はっはは、言ってくれるねえ三流騎士くん。うちの超一流騎士は、そういう嫌味は思ってても絶対口に出さない、大らかな心と揺るぎない忠誠を持ってるけどなあ〜」
――荷物だと思われてるんかい。
野次馬たちが内心ツッコミを入れても、美青年たちの詰り合いは止まらなかった。
「それは騎士としての勤めに準じているだけですよ。ええ、グレンダは確かに一流の騎士です。ですから、そのあるじが三流以下だというのが、彼女の同胞にして同僚たる僕には心苦しいというだけのお話でして」
「誰が僕のことを三流だって? ド三流騎士の偏った評価なんて知りませ〜ん。どうでも良いで〜す。騎士学校での成績が一番良かった自分が一番偉くて優秀みたいに勘違ってる、勘違い野郎の提言に耳を貸してやる義理はありませ〜ん」
「そういう、議論のひとつもまともに受けたがらない姿勢に難を感じているのです。先が思いやられます。そんなに戦争や雑務がお嫌いでしたら、このアクセル・ヘリッグにすべてお任せを。あなたは安心して、これからも安全地帯で堕落した生活を続けられる……ああただし、グレンダには、僕が団長あたりに口添えして『
「はぁああ〜っ? 馬鹿言え! グレンダを女だからって、ボムゥルへ厄介払いしたのはきみらの方だろう? 世迷い言も大概にしてくれないか? クロンブラッドになんか預けないぞ、絶対。彼女はお姫様だろうがなんだろうが、もう立派な僕の専属騎士なんだよ」
アルネは両手を広げ耳へあてがうなり、アクセルに手のひらを見せびらかして、舌を出す。子どもじみた振る舞いに、アクセルはふっと笑みを消した。
「今さら欲しいって言われても、公爵にも誰にも、もちろんきみにだって絶対あげるもんか。ざまぁみろ! 馬〜鹿馬〜鹿!」
「……お言葉ですが」
アルネへ暗殺者さながらの敵意――殺意にも近しい感情をぶつけて。
「僕は、あなたに彼女を差し上げた覚えはありませんね」
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
しばらく睨み合う両者。
ハラハラしながら事の成り行きを見守っている『
「……ようし、良いだろう」
先に沈黙を破ったのはアルネだ。
アクセルが自分にことごとく突っかかってくる理由に、さしもの彼も思い至らないはずがない。
ましてや、その理由に限っては、戦争や面倒事を嫌うアルネとて看過できなかったし、むざむざと勝負を投げ出すわけにもいかなかったのだ。
「その喧嘩は買ったぞ、アクセル公子。世間体や周りのどうでも良い連中の評価なんてどーだって良い。どっちが彼女の忠義を受けるにふさわしいヘリッグか、白黒はっきり付けようじゃないか」
アクセルの碧色もギラリと光る。
その視線は腰に提げた剣よりも痛く、鋭く。
「願ってもありませんね、アルネ公子」
やがて、水浴びから女性陣が帰ってくる。
グレンダは、彼らがどんな辛気臭い顔で戦況や今後の動きについて話し込んでいるのかと、貴婦人たちの面倒を見つつもずっと気を揉んでいたのだが。
「えー……つまり?」
川の水よりもひんやりした視線を、室内の惨状へ向ける。
「私の敬愛なるあるじ様と侮蔑すべき同僚が、酒の強さを競っていると? アルベルト様、ハンヌ様?」
「そーだよ騎士様! いっぱしの男はやっぱ樽で飲めないとって話になってさ!」
「そーだよ騎士様! この二人はこれくらいしか勝負が成り立ちそうになくてさ!」
「なるほど。つまり遊んでいると」
「遊びなものか! ノウド史にもヘリッグ史にも残る真剣勝負だ!」
「遊びなものか! よそとの戦争なんかよりうんと負けられない勝負だ!」
小屋はすっかりお祭り騒ぎである。
他の男たちも便乗し、酒を酌み交わし合っていた。おそらく、船よりまだ残っていた樽を運んできたのだろう。
「ははっ! やはり貧弱なお身体と胃袋ですね、アルネ公子?」
顔を耳まで真っ赤にさせたアクセルが、ジョッキを煽るのみならず言葉でもアルネを煽っている。
「まさか自ら不利な勝負を持ちかけてこようとは。この僕が、剣しか取り柄のない騎士だとでも見誤っていたのですか?」
「はっははははー! さすがヘリッグ随一の遊びびとだなあアクセル公子!」
対するアルネは、むしろ普段以上の白さを見せていた。
白というか、心なしか青ざめている気がする。――これ、もう止めるべきでは?
「きみが騎士学校に通ってた頃、公爵の集会サボってクロンブラッドで遊び倒してたの、僕ちゃあんと知ってるんだからな!?」
「アルネ様。どうかそのへんで」
グレンダは仕方なくアルネの制止に赴いた。
自分のあるじだ、彼にとっての酒の限度も、そろそろ知り得てきた頃合いである。
「グレンダに言っちゃお、バラしたろ〜!」
「すでに存じ上げております。ですからもうお止めくださいアルネ様」
「はっ、好きになされば良ろしい! 集会サボって社交性をろくに身に付けようともせず、甲斐性というものも長らく学んでこなかったあなたと、どちらの方が男として器量が上か、語るに落ちたというものでしょう!」
「アクセルもくだらない戯れはもう止めなさい。あなただって、長期遠征訓練にかこつけて集会サボってたじゃな――」
「か〜っ! ああ言えばこう言う! それでも騎士なんですかあ?」
ダメだ。二人とも聞く耳を持っちゃいない。
とうとう、アルネは接近してきたグレンダへがばと抱きついた。
メロディアが赤面し、ウーノや双子が口笛を吹いても、あるじの惚気を見慣れている孤島サイドの面々は白けていて。
「うちのグレンダを見習えっ! グレンダは人前であるじを貶めるような発言──」
人前で抱きついたのがいけなかったのだろう。
グレンダはなんの断りも入れず、胴体へ巻きついてきたアルネの腕をガシと掴み、引き剥がす。
「──え」
「ご無礼をっ!」
やっと言葉を発したかと思えば、グレンダはそのままアルネの足を払い、背高な体を宙返りさせる。
「ふげぇっ!?」
頭からひっくり返ったアルネ。うっかり扉に挟まった蛙が潰れた声を出している音みたいな悲鳴を上げるなり、その場で倒れ伏し動かなくなってしまう。
「はは! どうやら勝負あったみたいですね──」
「ええそうね」
勝ち誇ったアクセルにも、グレンダは腕を伸ばす。
「え」
まもなく容赦ない膝蹴りを喰らい、アクセルは正気にかえる。
グレンダの攻撃をまともに受けたのなんか、騎士学校でも早々ないほどに珍しく。
「グレ、ンダ」
「まったく……」
グレンダはどこまでも誠実で、生真面目で、平等だ。
自分のあるじを強硬手段で黙らせておきながら、アクセルに制裁を与えないなど。
こっちのヘリッグを投げ飛ばさないなんて選択肢を、彼女は有していなかった。
ひっくり返って眺めた天井と、亜麻色の髪。
遠ざかる意識の奥で、グレンダの呆れた声が凛として響く。
「半島を遠く離れたというのに、なんだか、どこかで見たような大して懐かしくもない景色だわ」
──そうだろう?
僕がきみと一時離れた後、冒険の果てに新しく得てきた、騎士道にも替え難い、とても大事な仲間たちだ。
これが、学び舎にいた頃より、ずっと望んでいた景色だったのかもしれないな。
そう心の中で返しつつ、うっすら微笑んだアクセルは、安らかな眠りへと落ちていくのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます