夏の風と旋律の導き(1)
クロンブラッド港を出て三日が経つ。
荒波と魔物の騒ぎが嘘のように、穏やかな夜明けをアクセルはベッドの中で過ごした。
いつもなら、騎士学校規定の起床時間に自ずと目が覚めるはずだが、今朝は同室のアルベルトのいびきに起こされる。
寝覚めは正直、あまりよろしくない。
海で生死をさまよったからというよりも、自分の身を含め、守るべき人間をひとりたりとも漏らさず守り抜かなければという使命感で緊張が続いていたのだろう。
自覚しているよりも、アクセルは疲弊していたのだ。
そして、異常が起きているのはなにもアクセルに限らない。
食堂へ集まってきた他の船員たちは、意外と元気そうにしていたが、
「こいつはまずいね」
唯一、騒動の後は一睡もしていないというウーノが、眠たそうに半目で両手を上げる。
なんでも彼は、魔物の再来を見張るのと同時に、船の進行方向を今からでも変えるべく夜通しハンドルを握っていたというのだ。
「運転手は休めるうちに休めって言ったのに……」
「あんなおっかねえバケモンに出張られて、おちおち寝ていられるか! それよりもだな」
ウーノは誰よりも深刻そうにしていた。
「にわかには信じられないだろうが……見失っちまった」
「見失う……もしかして、方角ですか?」
「そうだ。北か南かも定かじゃない」
そう告げられると、他の者たちも甲板へ出てみる。
「うえぇええっ⁉︎」
「なにこれえっ⁉︎」
双子が素っ頓狂な声を空へ浴びせる。
朝になり見晴らしが良くなったことで、上空の異変が如実に現れていたのだ。
青天の中で雲が一点たりとも見当たらず、これだけ明るいというのに、月や太陽らしき光がどこにもない。
コンパスは壊れてしまったのか、ふらふらと針が動いては止まってを、不規則に意味もなく繰り返していた。
「……同じだ」
恐怖しているのか、あるいは感心しているのか、スヴェンが喉を震わせる。
「アクセル氏と夜に見た、あの青空だ」
「……本当に、おとぎの世界にでも迷い込んでしまったかのようですわね」
スヴェンの少し背後でそう呟きつつ、メロディアはまだ眠たそうに何度も目を擦っている。
偶然かもしれないが、ズレて並び立った二人の距離は、出発前よりも狭まっていて。
──こんな状況で、我ながら呑気なものだとアクセルは内心苦笑いしたが。
メロディアは一見、人懐っこいようでいて、その実、甘えているのは身内のアクセルとミュリエルだけであった。
大学でも酒場でも、船に乗っている間も、必ずアクセルかミュリエルにぴったりと寄り添うように行動し、間違っても船内で孤立しないように立ち回っていたことは、アクセルも早い段階で気が付いている。
ましてや、身なりからしてむさ苦しいウーノや、常に騒がしい双子、初動で保存食の美味しくないクッキーを手渡してきたタルヴォなんぞに懐くはずもなく。
昨夜は、ミュリエルほど素直に口では感謝の意を伝えてはいなかったけれど。
(……いよいよ、僕だけの妹じゃなくなってきたかな)
兄がひとりでに寂しがっていると、
「アクセル氏」
当のスヴェンに話しかけられ、アクセルはさっと気を引き締める。
「この現象に心当たりは? というか、お身体は大丈夫ですか? お辛いのでしたらまだ休んでいてくださって構わないのですよ」
「と、とんでもない! 僕は一晩寝れば復活する体質なんです」
どんな体質だ、と笑い返して欲しかったものだが。
とてもそんな雰囲気ではなく、アクセルは仕方なく茶化しめいた態度を改めた。
「……昨夜の魔物にしてもそうですが、なんらかの魔法や魔術が絡んでいる可能性は極めて高いでしょう。この現象が、攻撃の意図があってのものか、単純に正しい道をはぐらかすのものかまでは計りかねます」
「遭難、ということになるでしょうか」
開口一番に現実味のある単語を口ずさむミュリエル。彼女は彼女で、時間が出発前に巻き戻ったんじゃないかというくらいに落ち着いている。
「いや」
これ以上メロディアや彼らの不安を煽らないよう、アクセルは間髪入れず。
「本気で僕らを追い返したいのであれば、そういう風向きに変えることも難しくない……と思う。これが本当に魔法使いの仕業なら。明確に敵意を示してきた
「ハナっから、てめえの縄張りを線引きしてるってか?」
ウーノはこきりと首を鳴らした。
「なあアクセルよ。俺らが聞きてえ心当たりっつうのはな。てめえが適当に考えた行き当たりばったりの推測じゃないんだわ。──知ってて黙ってやがったな?」
沈黙が流れる。
同じ違和感を抱いていたのはウーノだけではなかっただろう。アクセルは双子がするような、悪戯がバレた子どもの真似をして頭をかく。
「……あー……」
「おとぎの国なんて曖昧なもんじゃない、間違いなく魔法だ魔術だが一枚噛んでるって、お前、知ってやがって俺らに誘いかけてきたんだろ。思えば、俺が進路変えるって言い出した時も、お前だけ妙に乗ってきたもんな」
「「じゃあ、本当にあるんだ⁉︎」」
双子はアクセルへずいと詰め寄った。期待と不安が入り混じった表情で、
「まじであるんでしょう、おとぎの王国⁉︎ だったら遭難じゃなくて、ぼくら、もうほぼ着いたようなものだよね、なあハンヌ!」
「えっ。いや、それはどうでしょう……」
「ねえどんな島があるの? やっぱり魔法使いが住んでたり? ぼく、昨日みたいな化け物ばっかり住んでるんならヤダよ、なあアルベルト!」
到着した、はさすがに言い過ぎだが。
ただ迷っているのではない──とアクセルも直感していた。
どんな役割を担っていたのかも定かではない、魔物を追い払ったという事実が、若干心残りではあるが。
「魔法使いが現住している──という根拠がすでにあったのですか、アクセル氏?」
事情のすべてを聞き及んでいないスヴェンも目を丸くしている。
タルヴォはずっと押し黙ったまま、険悪になりかかっている場の空気を、成り行きのみでやり過ごそうとした。
「もしや、どこの国家、民族の拠点かもご存知で? ……まさか、エスニアですか?」
「いやっ! そればかりは断じて否と、ノウドに誓って申し上げたい──」
「『
ウーノが睨みを効かせる。
「同じ学、同じ技、同じ心を持った騎士の友人に。それが、俺へ話した、お前の冒険に挑む理由だったはずだ。あれは、嘘じゃないだろうな?」
「……っ、もちろん──」
「間違いございません」
アクセルよりも早く、メロディアが凛とした声で答えた。
魔法や魔術、ましてや政治を一切知らずとも、兄が煩わせている思いだけは誰よりも深く知り得ていて。
「これはアクセルお兄様が、貫くべき騎士道とはなんたるかを見定めるための、極めて重要なお務めなんです」
「メロディア……」
「お兄様が心より慕っていらっしゃる、その御方に、かの孤島で再び巡り会うための、大切な、とても、大切な旅路なんです」
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
メロディアが紡ぎ出す言葉こそはきはきとしていたものの、その碧眼は虚ろだ。
それほどまでに疲れているのか──否。
ぐらり、と。
静かに甲板で倒れ込む音がした。
能天気に孤島の実在を確かめはしゃいでいたはずの双子の少年が、手を取り合い、寄り添うように眠っていた。
すうすうとイビキをかいている。そして──
「……申、し訳、ありません」
連日の早起きで疲れが溜まったがゆえの、少年相応に可愛らしい空気の読めなさ──と捉えるには性急過ぎる。
そうアクセルの判断を決定付けたのが、その場でふらと座り込んだミュリエルだった。
メロディアや他の誰かよりも先んじて眠るのも、よもや談合の最中にうたた寝ひとつだって、決してあり得なかった彼女が。
「ミュリエル。どうした?」
アクセルが駆け寄ると、ミュリエルは苦しそうにあえぐ。
いや、心身の不調というよりかは、眠気に抗おうとしている苦悩の表情で。
次第に、一人、また一人と眠気を訴える者が増えていく。
メロディアもふらと倒れ込みそうになったのを、
「メロディア公女……っ」
すぐそばにいたスヴェンが腕を伸ばし、華奢な身体を支えようとした。
かろうじて直に倒れ込みはしなかったけれど、スヴェンもすでに意識が危うい。
ウーノも、タルヴォもすでに立っていない。
とうとうアクセルさえも、己の意識が遠ざかっていくのを感じた。
──青い空が、近付いてくる。
(まずい。魔法の攻撃か……?)
がっくりと膝を付く。アクセルは最後の声を振り絞った。
「ジュビアか? いるなら出てこい!」
いくら神出鬼没でも、船の上にまで現れるとは到底考えにくかったが。
甲板に伏したアクセルがかろうじて聞いたのは、ぐったりしたメロディアのか細い声。
「聴こ……えるわ」
妹が必死で訴えた言葉を、アクセルは最後まで聞き入れること叶わず。
「音……楽器の
冒険者たちの意識も、視界も、すべてが暗転する。
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