アクセルとメロディアの冒険(11)

 ノウド公国の人々にとって、もっとも身近な脅威は敵国の軍人でも魔法使いでもない。

 海を渡り、非力な民間人から金品を奪い取ろうと目論む『ヴァイキング』である。

 無論、ヴァイキングの被害を抑えるべく、各地では騎士団も日頃より尽力しているが、すべての領土、すべての人へ手厚くできるほど人員が余っているはずもない。


 ゆえに人々も、自衛本能を働かせる。

 港で従事する人々にとっては、特にいかなる海の獣よりも警戒を怠ってはならない賊だった。


 ──ズドゥウウウン‼︎


 轟音が海上で響く。

 かの炎を目撃した時点でなにかを察したアクセルは、いち早く両耳を押さえ、鼓膜が破れないよう備えていた。

 大砲が、倉庫へ樽と一緒に積まれていたのを覚えている。

 もちろんヴァイキングとの遭遇に備えていたものであったが、まさか幻想上の怪物へ放つことになろうとは。


 その砲撃は、アクセルと魔物が取っ組み合っていた方角とは、明後日のほうへ飛んでいった。

 もとより当てるつもりはなかったのだろう。衝撃に呑まれるのはアクセルだ。




 さっきの炎はなんだったのか。

 途端にアクセルが思い起こしたのは、掃討作戦での森の攻防。

 あの時もタバサが、銃声でアクセルへ己の位置を知らせてきたんだったか。

 彼女の参戦こそ当日まで伏せられていたものの、事が終わった後は、報告書へはその仔細をアクセルの筆によって記されていた。


 そう──

 あれを報告書へ書いたのは紛れもなくアクセル自身だ。文書の末端には、誰が記したかわかるように署名もしてある。




 ザブン! と自由落下で海へ着地したアクセル。

 勢いで深く身体を沈み込ませても、魔物が襲いかかってくる気配はなかった。

 遠方からでも爆音に驚き、混乱し、その場でのたうち回り、尋常ならざる判断力を唐突に失ってしまったかのように意味なく暴れている。


「お兄様っ!」


 メロディアの声が確かに聞こえた。

 あたりが波打ち、身体の自由が利かない中でも、その明快で愛くるしい声はアクセルの視界と思考を明るくさせる。

 船にはローブが垂れ下がっていた。脱出用の浮き輪がうっすらと見えていて。


(メロディア──!)


 アクセルは夢中になって船へ近付いていった。

 泳ぎは取りたてて得意ではない。それでも、騎士としての本能が、兄としての本分がただ名前を呼ばれただけで覚醒する。

 必ず、彼女のもとへ帰らねばならない、あの手を握り返さなければならないと。



 途中、双子たちによって、海へ樽が次々投げ込まれていくのが見えた。

 途中、浮き具の付いた上着を羽織ったタルヴォまでもが、眼鏡を外し、アクセルの泳いでくる方角目掛けて海へ飛び込んだのが見えた。

 ウーノがハンドルを握り、明後日のほうへ船が泳いで行かないよう堪えているのも見えた。



 ひとたび戦場いくさばを変えれば、時として思いがけない人物が思いがけない技を隠し持っているもので。

 タルヴォが巧みな泳ぎであっという間にアクセルを捉えるなり、腕をがしと掴む。


「アクセル氏!」


 二人が浮き輪へ到達したのを見るなり──『矢』を放つスヴェン。

 矢の先端には油が塗られ、ぼうと炎が揺れていた。

 先ほどの炎の束と比べたら幾分か頼りなく、しかし、弓のそりは大きく、丁寧に狙いを定めて。


 放られた矢は、魔物へ向かって投げ込まれ、へぐさと刺さった。






 轟音が入り混じる。

 酒樽の爆発と魔物の号哭が、海の上で合唱していた。

 浮き輪のローブをメロディアにミュリエル、双子たちが手繰り寄せている間も、アクセルとタルヴォの全身を何度も荒ぶった波が濡らしてきて。


 ついに甲板へ引き上げられたアクセルを、


「アクセルお兄様あっ!」


 がしと掴んだメロディアが、


「お兄様っ、ご無事ですかお兄様、お兄様、お兄様、お兄様お兄様お兄様あぁあああああ……──!」


 えんえんと泣き叫んでいたのを聞いているうちに。

 波が落ち着き、海は静けさを取り戻す。


 いつのまにか魔物は忽然と姿を消していた。

 あの程度の爆発で死ねるほど脆弱ではないだろう。

 ただ、騎士一人が敵らしい敵だと思い上がっていたところ、度重なった反撃の連鎖で、あちらが先にを上げたというだけの話である。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 うっかり飲んでしまった海水をあらかた吐き出し、咳き込んでいたのが収まった頃。


「……はあ」


 甲板に寝転がり、一同に見下ろされたままアクセルは。


「はは……あっっっはは、はははははははは!」


 急に笑い出す。

 泣き晴らした赤い目をこすり、メロディアが心配そうにしているのも構わず。


「気は確かか?」


 持ち前のあご髭が乱れたのを手ぐしで直しつつ、ウーノはむすりと。


「確かじゃねえなちっとも。お前、領域に入ったなんだと言い出したあたりから、とっくにおかしかったもんな」

「はははは! いやはや、久しぶりに死にかけました!」


 額をばしりと叩かれても、アクセルは頬を緩ませていた。

 死の際に立たされ、過剰に高まった血圧がずっと彼のテンションをも跳ね上げていたのは誰の目にも明らかで、


「走馬灯を見たのは、反骨精神を拗らせた出来心で教官の寝首をかこうとして、きっちり反撃を受けて以来かもしれません!」


 とんでもない騎士学校時代の黒歴史を武勇伝がごとく語り聞かせられれば、ウーノでなくとも呆れ返った。

 ──あ、思ったより全然大丈夫そうだぞ、この狂人。


「なに言ってんだこいつ……やっぱりイカれ野郎じゃねえか」


 ウーノのやりきれない気持ちは、アクセルを自分の元へ連れてきたスヴェンをも腐す。


「こんな危ないやつに船なんぞで冒険させんな、バカやろー」

「船を使わずとも、彼はいつだって冒険していらっしゃるよ」

「……スヴェンくん……」


 いたく涼しげにのたまったスヴェンに、眼鏡をかけ直したタルヴォが顔を引きつらせる。

 戦場いくさばや騎士道に生き甲斐を感じる狂人は、アクセル一人じゃないのかもしれない。


「それでも無茶し過ぎです、アクセル氏」


 優しく諌めるように。


色恋あそびにうつつを抜かして舟を出したばかりか、ノウドの至宝を死なせたとあっては、僕はいよいよイェーハルド団長や騎士団に顔向けできなくなります」

「ノウドの至宝……? そんな大それた騎士は、団長の他に現存しませんよ」

「そうですか。では、メロディア公女の大切な宝物ということで」


 言い直されればアクセルは初めて、寝そべったまま困ったように眉を下げた。

 スヴェンは、普段はいかにも気弱そうな雰囲気を出しておきながら、ここぞとばかりの舌戦に限ってめっぽう強い。


「さては先刻の作戦でも、かの魔女を相手に、並みの騎士であれば決死の特攻と見做されてもおかしくない特殊戦術をかましてきたのですか?」

「滅相もない。魔法頼みのや、図体ばかり大きなには余裕で勝てると思ったから突っ込んだまでのこと」

「……」


 言い返す気にもなれない。今度はスヴェンが眉をひそめる番だった。

 天才は懲りないし、なかなか学習してくれない。どこまでも人生で冒険している男だ──と。


「他者を守るために身体を張るのは、騎士として当然の務めですよ……それでも、今日ほど己の死を覚悟したのは初めてです」


 アクセルはどこか気恥ずかしそうにはにかむ。

 ああ──やはり彼は、あの報告書に目を通している。


「……そうやっていつも、を守ってくれていたんですね。スヴェン氏」


 自分の仕事を見てくれていたのだと、気付かされて。


「よく勉強なさってるではありませんか」

「……僕は勉強それしか取り柄がありませんので」


 スヴェンは眼鏡のふちを押さえ、照れを隠すように目を背けた。


「いち領土のり人として……いえ……」


 たまたま、視線の先では弓が転がっていて。

 目のやり場に困り果てたスヴェンが、仕方なくアクセルを見下ろし、頬をかく。


「いち友人として、果たすべき務めを為そうとしただけですよ──果たせましたね、アクセル氏」



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 ──きっといつでも果たしているだろう、あなたは。

 そうアクセルが伝える前に、わっと泣き崩れたのはミュリエルだった。

 メロディアの震えた肩をずっと抱き抱え、船上で誰よりも気丈に振る舞い続けていた淑女のメイドが、


「ありがとう、ありがとう……ありがとうございます……っ!」


 己が務めを唐突に忘れ去り、目元を押さえ、涙声で喚き始める光景は事情を深くは知らない彼らにしてみれば衝撃だっただろう。

 まるで、が、戦火より生還してきた時の母親みたいに。



 これまで抑制してきた感情をすべて吐き出すような嗚咽は、メロディアより誰よりも激しく、長かった。

 彼女はいったい、彼らが交わした今の言葉の応酬で、なにを読み取ったのだろう。

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