アクセルとメロディアの冒険(10)
斬る、払う、刺す、薙ぐ──沈める。
海へ身を投げた者の形相では、得体が知れない魔物に抗う非力で弱き命の様相ではない。
甲板から完全には姿が捉えきれずとも、時折つんざく咆哮を耳にすれば瞭然だ。
今、船の外で暴れているのは魔物ではなく『騎士』のほうだった。
が──
「お兄様っ!」
メロディアばかりは、いくら獰猛な獣も同然の男であろうとも、己の兄の身を案じずにはいられなかった。
船体の揺れでふらつきながらも、自分までアクセルの後に続こうとするのを、
「メロディア様!」
袖を掴んで必死に引き留めるミュリエル。
自身の
「止めてください! 死んでしまいます」
「お兄様だって死んでしまいます!」
赤子の癇癪よりも痛いメロディアの叫び声に、ミュリエルは思わず表情を歪めた。
「……おっかない……」
ぼそりと。
内心では誰よりも取り乱していたタルヴォが、ようやく現実に返ってきたかのように。
「まさか、あんなものを見た上で自ら飛び込んでいくなんて」
化け物を見た顔をしていた。
他の『
ウーノも苦いものを噛んだような潰れた声で、
「あいつァ、もとよりどっかがズレた奴だとは薄々思っちゃいたが……おいスヴェン」
唸る。しかしその頭は沸騰しかかっていた。
「騎士っつうのは、あんな命知らずばっかなのか? 奴の縄張りを抜けるなり、逃げるなり、まだ他にいくらでも尽くせる手があったはずなんだ。ええ?」
苛立ちを隠しきれず、
「てめえが死に急げば解決するとでも思ってんのか、あのアホンダラは⁉︎」
「……いいや」
怒鳴ったウーノへ、スヴェンは静かに。
「これが最善の手だと思っての選択だと思うよ。アクセル氏はたいへんお強い。ただ強いんじゃなく、誰かのためであればいくらでも手を尽くせる、とても優しい御方だから」
「んな世辞は今言うことじゃねえ! 俺たちの生死がかかってる時に──」
「世辞じゃないっ!」
スヴェンは怒鳴り返した。
穏やかさが服着たような青年が吠えれば、強面なウーノだけでなく、そばで手を取り合っていた双子も「ひっ」と喉を鳴らす。
「アクセル氏も他の騎士も、僕の知る誰もが優れた剣を、優れた人格を持っている! そうでなければ騎士になんか初めからなれない! それでも! ……それでも」
八つ当たりを自覚するように自身の声を、心を鎮めようとした。
荒波に掻き立てられた想いが、長らく封じ込めていた本心が溢れ出ていくのを堪えきれず、
「……
船内へ通じる扉に触れ、倒れ込まないよう慎重に立ち上がる。
「『騎士』というのはそういう仕事だ。つい最近も、大好きな人たちがたくさん息を引き取った……僕の視界にも、きっとアクセル氏の視界でも捉えきれなかった
「だったらなんだ? 負ける時ァ負けるから、そこで死ねって言いてえのか!」
その言葉で全身を凍りつかせたのは誰だろうか。
双子か、タルヴォか、メロディアか──ミュリエルか。
「……冗談じゃない」
殺気を感じた。
やぶれかぶれになっていたのは自分のほうだと気付かされるくらいに、ウーノを睨みつけていた青年は、別人のようなオーラを漂わせていたのである。
「そう何度も死なせてたまるか。僕は勉強足らずな未熟者かもしれないが、いつまでも学生気分で、ただ騎士に守られるだけの『
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
──さすがにまずいかもしれない。
アクセルがそう身の危険を感じたのは、実は海へ突撃してしばらく経ってからだ。
内心では公開処刑だとか、絶対に勝てるという謎の自信を抱いていたはずだが。
(僕としたことが、手を誤ったかな)
魔物の体躯へまたがりながら、幾度も水飛沫を浴びたことで全身がますます重くなっていくのを感じつつ、
(いきなり船の外へ出ることはなかった。らしくもなく、妹や『
などと、生死の境目を右往左往している自覚が感じられないほど頭は冷静で。
いや──さては、早くも走馬灯を見ていたのだろうか。
魔物がトグロが撒けるほど長い尾びれで、海面を打ちつける。
手足だとアクセルが勘違っていたそれは尻尾だった。
鱗も遠目で見ていたよりかはうんと硬い。柔らかな大蛇がワニの鱗を纏い、アクセルの胴体に巻き付かんと暴れ続けている。
戦っている間に船とはそれなりの距離が空いてしまう。
海水で錆びつき、
(せめて、替えの剣くらいは倉庫から持ち出してくるべきだったか)
と意味のない後悔を浮かべた瞬間。
ぐら、と視界が歪む。
海上で立つかのごとく、魔物が全身を上へと飛び上がらせたのだ。
(──っ! ちいっ)
意表をつかれるまでもなく、アクセルは夜空へ放り出される。
魔物は頭のツノにも、その獰猛な口にも鋭いキバという名の刃を有していた。
ガギンッ!
噛み砕かれるアクセルの刃。
突進を代わりに受けて粉々となった剣と、体当たりの衝撃が伝わり、アクセルまでもが後方へ弾き飛ばされてしまう。
次の攻撃はかわしきれない──と悟ってしまった。
より優れた騎士であるほど、戦況の先の先を見据えた行動ができる。
が、その行動の選択肢を、狡猾な海の化け物にどんどん奪われてしまっていると、アクセルは早い段階で勘付いていて。
人に魔法で操られているのか。
その化け物がもとより、人にも遅れを取らない知性を持っていたのか。
やはり、魔物はアクセルの態勢が空中で整うのを待ってはくれなかった。
襲い来る野生の凶刃。
アクセルは今度こそ走馬灯を垣間見る。
せめて、愛しき妹に己が無様を直視させてはなるまいと、船体へ視線を移した時。
(あれは──!)
かっと、碧眼を大きく見開いた。
船上を──海上を、照らしつけていたのは。
夜空に浮かび上がっていたのは、太陽よりもかんかんと燃え盛る『炎』。
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