アクセルとメロディアの冒険(6)
一度だけ、夕方になりかけたあたりで雨が降った。
「こっち来いウーノ!」
タルヴォの声掛けでハンドルを止め、屋根の下へ駆けてくるウーノ。
医師の息子によれば、人や生物にとって有害な雨であるか否かはすぐに判別できるらしく、
「大丈夫そうですね……今のところは」
数滴ほど落ちてきたのであろう眼鏡のレンズを念入りに拭きながら、
「けど、じきに日が暮れます。今日の航海はここまでですね」
「ちいっ!」
提案を聞くなり、ウーノは苛立ちを隠さなかった。
ドン、と広い手のひらで乱暴に壁を叩く。
「やっぱし、自然様に逆らうと思うように船が進んでいかねえなあ!」
「言い出しっぺはウーノだろう? いじけるんじゃありません」
「んな女々しいこたぁ言ってねえよ!」
タルヴォの刺々しい嗜め方で、ウーノはいっそう腹の具合を悪くした。大股でずんずんと個室へ消えていってしまう。きっとひとりで早い晩酌と洒落込むつもりなんだろう。
「けど、割りかし進んでるほうじゃない?」
アルベルトが頭の後ろで腕を組む。
「これなら遠回りしたって、明日明後日のうちには目的の座標に着けるでしょ」
「うんうん! ホントにあるのかなあ、島」
ハンヌも、まだ見ぬ孤島へ夢を馳せるようにニヤけた。
「知らない木の実とか、美味しい果物が生えてると良いねえ!」
「知らない植物に口を付けてはいけません」
タルヴォはいつになく真面目だ。単に双子をなじっているわけではなく、
「島は結局、ありませんでしたー……ってなるのはもちろん残念だけど、もしあったらあったで、心配している部分はいろいろあります。水や食料を補充できるような環境か? 人や動物が暮らしていけるような土地なのか、あるいは実際に暮らしているのか? もし暮らしているなら、言語の違い、食文化の違い……特に、互いが抱きうる警戒心や防衛本能……」
そこまで言うと、口元を手で覆い、とても深刻そうに呟いた。
「……それこそ、我々のほうが先住民にヴァイキング扱いされかねない」
「その時は自分が交渉にあたりましょう」
タルヴォの懸念に、いち早く名乗りを上げたのはアクセルだ。今は着替えてしまっているが、黒い騎士服を持ち出してきて、
「僕はノウド語とは別にいくつか習得していますし、言語が通じずとも、この
「うーん……あちらがノウド騎士団を認知しているとも限らないのでは?」
洞察眼のある追及を受けても、アクセルは適当にはぐらかす。
もし、孤島に誰か住民がいたとしたら、そいつは十中八九、アクセルの知り合いだ。そうであってくれなければ困る。
なにより、騎士団本部の地下書庫に眠っていた例の文献、その存在自体が、ノウドと『翡翠の王国』は決して無縁ではないと示していた。
再び船上で迎える夜。
就寝時刻になって、前半に見張り当番を請け負ったのはアクセルにハンヌ、そしてスヴェンだった。
ハンヌは昨夜のアルベルトの一件を思い出し、
「ひょっとしてアクセル、全然寝れてないの? 見張りは俺らが頑張るからさ、少しだけ仮眠取っちゃえば?」
と急に親切心を出してくる。
アルベルトが寝坊したのはともかく、アクセルも、彼との歓談に耽っていたぶん、睡眠を削って職務にあたっているはずだとハンヌは想像したのだ。
「はは、お構いなく」
アクセルはなんでもなさげに、ひらひらと手を振った。
「実はあの程度の夜更かし、僕にとっては日常茶飯事なのさ。僕が騎士学校や本部の寮で暮らしている時のノリで過ごしたせいで、アルベルトくんに負担を掛けさせてしまったのは本当に申し訳なく思っているよ」
「ふうん? あんたも面白い人生送ってるね」
それでもって、せっかく自ら打ち出した提案はまったく意味をなさなくなる。
ハンヌのほうこそ、連日はしゃいだせいもあってか、見張りを始めてまもなく居眠りをしてしまったからだ。
ちょっとしたうたた寝なんて可愛いものではなく、
「ぐおー……」
といびきを立て、甲板へ大の字に寝そべり堂々と。
そんな少年の醜態に、スヴェンは無理矢理叩き起こそうともせず、諦観の姿勢を貫いた。
「はあ……うちの問題児どもが申し訳ない……」
「いえいえ。この務めは、彼ら少年にはもとより酷でしたよ」
「少年だろうが中年だろうが、同じ大学生、同じ冒険家です。求められている仕事は対等な立場をもって、平等にこなすべきだというのに……」
がっくりと肩を落としているスヴェンへ、アクセルは海を眺めながら、
「……あの、スヴェン様」
かねてより、彼へ聞いてみたかった話を切り出す。
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
「あなたのご慧眼を見越して、ひとつ個人的なお伺いを立ててもよろしいですか」
「自分ごときの節穴で良ければ。ですが、アクセル氏」
スヴェンが視線をわずかに泳がせて、
「対等と言えば、今の我々も、等しく冒険に臨む身の上に過ぎません。ましてや自分は、あなたや、どこかの騎士団の上司でもなんでもない、ただの学生ですし……ですので、どうかあなたも、ええと……せめて船の上にいる間くらいは……」
控えめに主張を始めたので、アクセルはくすと笑い返す。
「わかりましたよ、スヴェン氏」
スヴェンはなぜかぽっと頬を赤らめる。
自ら頼んでおきながら、憧れの騎士にして公子たるアクセルと、あたかも友人みたいな距離感で他愛ない話に興じることに、慣れるまでにはかなり時間を要しそうだった。
「ウーノ氏の、朝のお話がずっと引っかかっているんです」
「朝? ……ああ、アルベルトの件はどうせ軽口です。あまり気を咎めなくても」
「いえ、そうではなく」
アクセルはできるだけ、適当なジョークやダジャレをのたまっている時みたいな、気楽な雰囲気を声や表情で醸し出した。
「『超人変人おっかなびっくり』……なんですか、僕って?」
「えっ。……あー……」
頭ごなしには否定してこないスヴェン。
確信へ至るにはじゅうぶん過ぎる反応──ああ、それほどに僕という人間は。
「そうですか。そこいらの上人や騎士関係者であればともかく、『
「いえっあの、アクセル氏」
「うーん、寂しいなあ」
さも冗談混じりかのように振る舞ってみる。
「僕のほうこそ、皆さんと同じ立ち位置で冒険を楽しんでいたつもりだったのですが。やはり、ヘリッグのくせして騎士になるような変わり種は、半島を離れたとてなかなかに受け入れ難く、輪の中へ飲み込めない異物なんでしょうかね」
わざとらしく声を弾ませると、スヴェンは逆に困り果て、しどろもどろとなった。
自分ではオブラートに言葉を包んだつもりであったが、アクセルのほうが彼らの優しさに甘えてしまったか、現実には少しも柔らかな表現にならなかったのだ。
しばらく口をもごもごさせていたスヴェンであったが、
「……あくまでも、自分の見解になってしまいますが」
深呼吸したのちに語り始める。
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