アクセルとメロディアの冒険(5)
航海、二日目。
他の船員たちと同じように起き上がってきた、メロディアの心模様は最悪だ。
「うぅううう……」
廊下をひたひたと進みながら、大爆発している金髪を両手でぐいぐいと押さえている。
(ダメだわ……いくらクシで梳いても直らない……)
メロディアの柔らかな毛は、とかく癖が付きやすい。
寝癖もさることながら、夏の船内は湿気が多く、蒸気を目いっぱい吸い込んだ髪がぶわりと広がってしまうのだ。
おまけに、水を節約するために入浴は一日置きという取り決めのせいで、昨夜は髪を洗っていなかったのも、メロディアの不快感を増幅させる一因となっていた。
(しょうがないわねえ。最初から結んでいきましょう)
メロディアは
「おはよう、メロディア」
アクセルはミュリエルと朝食の支度をしていた。
スヴェンにタルヴォ、ハンヌも大部屋へ集まっていたが、取り決めの時刻を迎えてもウーノとアルベルトが現れない。
きっと、まだ寝ているのだろう。
「……んー」
着席し医学書を読み耽っていたタルヴォは、
「ま、運転手のほうは、船を動かすぎりぎりまで勘弁してやっても良いけど……」
と言いながら本を閉じる。
「アルベルトは許されないかなあ。ハンヌ、お兄ちゃんを起こしてきなさい」
「ほいさー!」
個室へすっ飛んでいくアルベルト。
「アクセル氏。遠慮なく叩き起こしてくれて構いませんからね」
ハンヌはアクセルと同室だった。
タルヴォが目尻を下げて口添えすれば、アクセルも申し訳なさそうに眉を曲げて、
「すみません。実は昨晩」
「夜更かししてたとか?」
「自分が、アルベルトくんのお父上について伺ったのが悪かったのです。彼がしてくれる、地図制作の話があまりに面白く……」
自ら事情を打ち明けると、タルヴォはやれやれと首を軽く振った。
地図職人・ナンセン氏の仕事──ノウド内外のいたって実用的な地図から、ありとあらゆる空想を詰め込んだ、絵物語のような架空世界の地図まで、息子に聞かされる話のどれを取っても、アクセルには心底胸が躍るようであったのだ。
その自供に対し、スヴェンが不可解そうに首をひねる。
「アクセル氏、アルベルトと見張り番を交代してませんでした?」
外の見張りは、同じ部屋の者と当番を入れ替えるという決まりだ。
昨夜もその当番があったアクセルが、アルベルトと雑談に勤しむ時間なんてなかったはず。
「ええ、ですから」
アクセルは答えた。
「交代する際に、外で少々……彼の貴重な睡眠時間を奪ってしまったのは僕なんですよ」
「は、はあ。なるほど」
「船全体の予定の妨げになったのでしたら謝ります。特にご兄弟は未成年ですし……僕が多めに当番持ちましょうか?」
「いやいやっ! アクセル氏もしっかり休息を取ってください」
慌てふためくスヴェンだったが、その背後から厳しい声が飛んでくる。
「前科二犯だぞ、アクセル氏」
ぼりぼりと腹をかきむしり、ウーノが大きなあくびをしながら入室してきた。
「重役出勤だねえ、ウーノ」
「その前にもてめえ、タルヴォんとこの部屋に駆け込んで、薬の調合のうんちくを掃除サボって聞き出してたろ」
タルヴォの嫌味も響かない様子で、
「昼飯ん時は皿洗ってるハンヌに、母ちゃん直伝の使い物になるんだかならないんだかよーわからん恋愛テクなんか聞いちゃったりしてな」
そう告げ口されると、アクセルは悪さがバレた子どもみたいに小さく舌を出した。
「あちゃあ、バレてましたか。けどサボりとは失敬な」
アクセルはさほど悪びれていない。
「タルヴォ氏は、個室のゴミ回収に向かったついでです。ハンヌくんの皿洗いも手伝ってきましたし」
「そういう問題じゃねえ! いかにも温室育ちの優等生ちゃんみたいな面しやがって」
「無礼者! 優等生みたい、ではなく優等生そのものです!」
なぜか反論したのはメロディアだ。豪華な後頭部をふぁさあとあたりへ振りまく。
「それに、お兄様はこう見えてもヘリッグで指折りの苦労人ですのよ」
「そういう話もしてねえ、興味もねえ! 俺が言いてえのは、てめえみたいな超人変人おっかなびっくり野郎の度量で遊びに付き合わされる、俺ら凡人の身にもなってくれっつう話さ」
「凡人って……」
ウーノの指摘に、アクセルは納得いかない。
「皆さん、とても優秀でしょう。超人? 変人? おっかなびっくり? お言葉ですが、ウーノ氏やあなたがたに言われても僕はピンときません」
「俺がピンときたから言ってんだ。なあ?」
同意を求めるようにウーノが周囲を見渡すも、彼らは小さく頷くだけだったり、聞かなかったふりをするだけだ。
アクセルは首をさらにかしげた。
──僕、昨夜の件以外になにか不手際でも犯したかな?
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
「まあいい。大事なのは昨日よりも今日明日だ」
ウーノは諦めたように息を吐き、どっかりと空いた椅子へ座る。
窓を少し見やれば、その空模様がいかようか、誰の目にもあきらかだった。
「……曇ってますね」
ミュリエルがしゃんと立ったまま、あくまでも声の穏やかさを努めつつ。
「就寝のお時間までは雲もわずかでしたのに」
「このくらいなら問題ねえ。雨が降れば、むしろ儲けものだ」
ウーノはあご髭を揺らす。
「空いてる樽を、甲板に縄でくくりつけておけ。雨水もなにかの足しになる」
「それは良いけどウーノ」
タルヴォはぐっと声を低めた。
地図を眺め、自分たちが今どこにいるのかを改めて確かめるように、
「降り出したら、まず運転は中止だ。真っ先に屋根のあるところへ入るんだ」
「あん?」
「僕らはもう、ノウドを遠く離れている。ヴァイキングや、よその国の領域に知らずうちに踏み込んでいる可能性だって否定できない」
不穏なことを言い始めるので、他の者たちも一気に緊張感をほと走らせた。
「……と、おっしゃいますと?」
慎重にアクセルが言葉を続ける。
「外敵の可能性というお話なら、むしろ外の景色や、他の船の接近に極力気を配るべきだと思いますが? 室内へこもっては──」
「そういった危険は雨天でなくても、常に留意するべきことです」
タルヴォはぴしゃりと。
「『
「っ! あ……」
「半島を離れれば、それだけ不可解な天候や事象に行き当たるリスクも跳ね上がります。死をもたらす雨……学術的に申し上げれば極度の酸性を孕んだ雨が、必ず降らないという確証が持てない以上、他のなにを差し置いてでも気を払わなければいけません」
一同は黙り込んだ。ウーノが「あいよ」と小さく返すのみで。
アクセルはひとり目を丸くする。
酸性の雨──あの災害は、専門家に言わせればそういう捉え方もできたのか。
『魔法』とは、自分たちで思っているほど、なにもかもが不可思議で理解し難い力ではないのかもしれなかった。
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