アクセルとメロディアの冒険(3)

 さて。

 初日こそ愉快で明るい雰囲気のまま日没を迎えようとしていたが、この風向きを悪くさせないためにも、冒険者たちが必ずこなさねばならない仕事もある。


「『水』だ」


 出港してから、初めてハンドルを離したウーノが指示を送る。


「海上ではとにかく水の確保が最優先。飲む用とそれ以外で樽を分けて、倉庫に積んであるだろう? まず後者の樽は、中身を切らさねえよう沸かした海水を足さなきゃならねえ」

「わかりました。では前者の樽は?」

「そっちも煮沸しゃふつさせるぞ。ただし──」


 アクセルへウーノが示したのは、酒瓶だった。


「最初のうちはから使う」

「こっちの、って……それは正真正銘お酒ですよね? いくら煮立てたところで、メロディアにそれを飲ませるのは……」

「逆ですよ、アクセル氏」


 タルヴォはその酒瓶を取り上げ、コルクを開ける。


「水は案外腐りやすいのです。火入れしても、樽の中身を替えない限りは持って三日と言ったところでしょう。夏場でもありますしね」

「ああ、そうか! 酒のほうが日持ちが段違いなんですね」

「そして当然、樽には番号と日付を振ってあります。古い樽から順へ使っていき、それでも、匂いや色からして見込みより早く使い物にならなさそうな中身は……もうおわかりですね?」


 ビール特有の、つんと鼻に付く香りは煮沸しゃふつさせてもそうそう収まらないだろう。未成年のメロディアが慣れてくれるだろうか、とアクセルは心配する。

 だが、ウーノもタルヴォも、この主張に関してはまったく譲らなかった。


「この取り決めは漏れなく全員に守ってもらいますよ。命には代えられません」



 そして太陽が完全に沈み、甲板からランプを灯しても海の景色が一向に見えなくなる頃。

 見張り当番のアルベルトとタルヴォを除き、一同は食事を取るための大部屋へ集う。


 ただし、集合の主だった目的は食事ではない。

 ミュリエルが用意してくれた夕飯もそこそこに済ませたスヴェンが、本来は豪華絢爛なフルコースを並べるべき広々した机へ、ざっと書き込みだらけの小汚い大陸地図を広げた。


「孤島にまつわる不明点や、未確定部分は数多くあれど……」


 スヴェンは眼鏡を押し上げ、


「倉庫の樽と同じように、時間と船内の水や食料が許す限り、策は積み上げられるだけ積むべき──と自分は考えます」


 この船が進行していた海路へ赤線を引く。

 その道中でスヴェンが目にしたらしい、ある一点を丸付けた。


「そのあたり、なにかありましたっけ?」


 メロディアはその印に首を傾げる。


「本日は海と青空の他に、大した見どころはなかったと記憶していますが?」


 嘘をつけ──とアクセルもミュリエルも失笑した。

 壊れかけのカラクリ人形みたいに、目に付くものすべてに反応しては、誰よりも船の上ではしゃいでいたではないか。

 スヴェンはこの冗談に、くすりとも笑わない。


「今後、我々が見るべきは空の青さではなく、です」


 本人は至って真面目だ。

 が、説教じみた物言いと感じてか、メロディアは片頬を膨らませた。


「わーかってますぅ!」


 大学でも前もって受けていた、学生たちの講義を思い出しながら、


「雲がいつもより早くに動いていたら、それはお天気が悪くなる兆しなんでしょう? わたしだってそのくらい覚えておりますぅ!」

「覚えてくださってて何よりです。でしたら……」


 言い返したメロディアへ、スヴェンは自分が付けた印を指して。


「このあたりで、海渡ウミワタリの群れが飛んでいたのもご存知でしたか?」

「えっ。……、…………」


 メロディアは唇をぎゅうと固くひき結ぶ。

 その沈黙を答えとしたスヴェンへ、がっくりと肩を落としたのはなぜかタルヴォだった。

 はあっ、と大袈裟なため息を吐き、


「スヴェンくん? きみも、女性に対してそういう弁の詰め方がまずいんだって、そろそろ覚えたほうが良いんじゃない?」


 とタルヴォに説教されれば、スヴェンは顔を蒼白し、がたんと机を揺らした。


「もっ、申し訳ありませんメロディア公女! 決して論じる意図があったわけでは……ええと、ええっと」


 スヴェンは慣れない頭の使い方を模索しつつ、


「う、海渡ウミワタリなんて居ませんでしたよ、はい!」

「阿呆か。事実をねじ曲げるな」


 などと口走れば、今度はウーノに叱られてしまう。

 ウーノは、ガリと硬い保存食を貪りながら、


「次からはちゃあんと見ておけよ、。お天気様は、俺ら人間ごときにゃ、神様の次くらいに手に負えない代物だけどな。鳥様ばっかりは、俺らと同じ空の下にいる生き物だ」


 赤い印をとんとんと指で小突く。


「俺らと違うのは空が飛べるっつうところだが──」

「鳥も必ず、羽根を休めるためにどこかの大地へ足を降ろします!」


 ウーノの語りを遮ったスヴェンが、


「海ではなく、大地に、です! それは無人島かもしれないし、岩かもしれない。海に漂流する丸太、という可能性も時にはありますが……特に、海渡ウミワタリが大きな群れを作っていればいるほど、それらが向かっていく方角は、すなわち、僕らが目指さんとする大地へ続く道標となり得るんですよ!」


 と自分の発明みたいに力んでいるのを、ハンヌは両手を広げて呆れていた。


「だ〜めだこいつぁ。スヴェンこそ手に負えねえや」

「なんの話だ? そうだ、僕らは今、冒険の話をしているんだ!」


 いよいよ開き直るスヴェン。

 だが、メロディアも今度は機嫌を損ねなかった。冒険の話がしたいというのは、この場にいる時点で、誰もがスヴェンと同じ心意気だっただろう。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



(人間の手に負えない『力』……)


 アクセルはひとり、腕を組んで考え込む。

 脳裏にあったのはやはり、ハルワルドの証言とタバサの推察だ。


(もし彼らの見立て通り、人々が孤島へ辿り着けない理由が何者かの『魔法』によるものだとしたら……)



 海の波、空の雲。

 ──風の流れを、故意に変えてしまえるような魔法。



(魔法は、どうなんだ? 彼らの『知恵』や僕の『すべ』で、打破できるような『力』なのか?)


 もし、ハルワルドやタバサの話が真実だとしたら。

 自分たちが戦わなければならないのは、天候や神様なんて不確かな存在だけではないかもしれない。


(どうしよう……やはり、『夢遊病ドラム』へ魔術師や魔法使いの関与について何も話さないのは危険か?)


 アクセルは奥歯を噛む。

 騎士の職務中に知り得た国家機密の、民間人への開示は、騎士団の規則に反する行いだ。事と次第によっては罰を受ける場合さえあるくらいに重大な罪。


(孤島も、存在そのものが機密事項だろうが……こちらはあくまでも、ヘリッグの伝承の域を超えない夢物語。けど魔法に関しては……スヴェン様じゃないが……これぞ、現行しているノウドの軍事運動に直結する話なんだぞ)


 規則だけは決して冒してはなるまいと、ここまで沈黙を貫いてきたのだが。



 すると、ウーノがすくと席を立ち、


「船はいつだって、遭難や転覆と隣り合わせだ。楽しい話じゃねえってのは重々承知だが……」


 この冒険家集団の長として、然るべき話を続けた。


「そういったも、俺たちゃあ想定しなきゃならねえ。食料を切らしそうになったり、冒険がにっちもさっちも行かなくなった暁には、来た海路をそのまま引き返すか、より確実に着陸できそうな北西の大島グリーンランド方面へ舵きりという選択肢も頭に入れておく」


 ひとりひとりの顔を見渡し、


「ここまでは教室でも話した通りだ。お前ら、わかってるよな?」


 そう確認を取れば、誰もが力強く頷いた。

 ウーノは満足げに頷き返す。だが、


「……その上で、だ」


 あご髭をさすりつつ、なんでもないような口振りで告げた、次の言葉に一同は仰天する。

 アクセルにいたっては、あたかも彼に己が迷いを見透かされているかのように、脈をどくんどくんと早めさせた。


「予定立てていた海路とは、違う道を進んでみたくなった」

「なんだって⁉︎」


 真っ先に驚きの声を上げるスヴェン。

 地図とウーノを交互に見返し、


「今日の段階ではなにも問題は起きていない。進行状況も予定通りだ。なにか、他に変わった事象でも起きていたか?」

「いんや」


 たずねると、ウーノはしれっと。


「変わったのは海の実情イデアではなく俺の発想アイディアだよ」


 さすがに理解が追いつかないと、タルヴォとハンヌも顔を見合わせ合う。

 ウーノは立ち上がったまま、地図の中でもとりわけ青さが目立つあたりを、太ましい指でなぞった。




「流れに──ってのは、どうだ?」

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