アクセルとメロディアの冒険(2)

 初めての海上にときめきを隠せないメロディア。

 対するミュリエルは、紅茶のポットを手に、ぼうっと甲板で波を眺め続けていた。


「……懐かしいです」


 船旅で浮かれていたのは、どうも青二才どもや箱入り娘だけではなかったらしい。


「そういえば、夫だった人と初めて興じた逢瀬も船でした」

「えっ、夫⁉︎」


 つい口を滑らせたミュリエルへ、すかさず茶々を入れたのは双子だ。


「結婚してたんだ、メイドのお姉さん!」

「離婚したんだ、メイドのおばさん!」


 餓鬼は言葉を選ばないから困る。強いていえば、まだ兄のアルベルトのほうが配慮できているほうか。

 アクセルがミュリエルと双子、どちらを擁護しようか悩んでいる間にも、双子の質問責めが始まってしまう。


「初デートが海の上なんて超ロマンチックだね!」

「どんな人? ていうか、なんで別れちゃったの?」

「こら、無神経ツインズ」


 聞くに耐えかねたタルヴォが苦笑い気味に制止に入ろうとする。


「せっかくの楽しい冒険に水を差すんじゃありません」

「え〜? だってメイドのおばさんが先に」

「おいハンヌ、こういう時はおばさんじゃなくてお姉さんって言うんだぜ」


 ダメだ、この双子。

 頭を抱えたくなった大人たちであったが、


「構いませんよ。ずいぶん前の話です」


 ミュリエルは嫌な顔ひとつせずに答えた。

 なんだったら、机へことんとポットを置き、改めて若人たちへ年長者の語りを聞かせる態勢へ移る始末だ。


「その人は皆さまのように勉強熱心で、仕事にも一切の妥協を許さないような男でした。家柄も決して悪くなく……ただ」

「ただ?」

「彼はわたくしが何度申し出ようと、少しも耳を貸そうとしなかったのですよ」


 あんなに双子を諌めていたはずのタルヴォも、いつのまにか話に聞き入っている。

 ミュリエルは肩をすくめて、


「妻が、夫も帰らぬうちに家を留守にするな──だそうで」


 失笑しながらも、すっきりした表情で。


「家事こそ女が果たすべき仕事。よその家のあるじではなく、己が屋敷とあるじの世話だけやっていれば良いと、いつまで経っても小うるさいので……若き日より皆さまの給仕を生業としてきたわたくしめとしましてはどうにも腑に落ちず、自ら離婚届を突き付けるに至りました」

「あー……」

「わたくしがもとより、そのような暮らしを望む女性であったなら別に異存もありませんでしたが。己が貫きたいと願うフリューエの矜持を貫けない関係性に、果たしてどのような価値を見出せとおっしゃるのでしょう?」

「はー、はっは!」


 豪快に笑い飛ばしたのはウーノだ。

 もちろんハンドルは握ったまま、海原への注意を怠らず。


「いよっ、メイドのかがみ! そーいう愉快な話は、酒の場で聞かせてくれりゃ良かったのにさ」


 ──いや別に、楽しげな話ではなかったわよ?


(わたしも離婚の理由、今初めて本人に聞いたわ……)


 メロディアの心配をよそに、ミュリエルはやっぱり清々しい顔をしていた。

 海の広さに便乗して、彼女のもともと広かった心まで無限大の寛容さを生みつつあったのだろうか。



「恐れ入ります」

「お前らもさあ、もっとないのか? そーいう、酒の肴になりそうな話! この船はしばらく、なぁんも面白いことは起きやしないぞ」

「じゃあさ、じゃあさ!」


 双子の好奇心の矛先は、次は気まずそうにチビチビ紅茶を啜っていたスヴェンへと向けられる。


「スヴェンはなんで、元カノと別れちゃったの?」

「ぶっ⁉︎」


 危うく紅茶を吹き出すスヴェン。

 弟のハンヌの節操なしに、今度こそアルベルトが兄として説教する。


「ハンヌ! スヴェンの元カノの話はまずいんじゃない?」

「え〜? だって、最近で別れ話と言えばスヴェンだよ」

「だからって、わざわざ今聞くほどのもんでもなかったろ?」


 アクセルは目を白黒させた。──初耳だぞ、そんな話。


(スヴェン様って、交際経験あったのか……)


 当の本人も、己のほうはミュリエルみたく笑い飛ばせる過去ではまだなかったようで、


「ばっ、バカ兄弟!」


 ぶんぶんと首を振り回し、アクセルとメロディアの顔色をしきりに伺っている。

 さすがに今のは双子が悪い──と、タルヴォはおろかウーノですら、ハンドルを握り口笛を吹いて聞かなかったふりをした。

 が、大人たちの計らいも虚しく、


「スヴェンが経営学部のあいつに振られた理由なんて、聞くまでもないって!」


 アルベルトは結局、その話を続けた。


「いつもの教室のノリで、うんちくばっかしゃべくってるからだろ?」

「ま〜それもそっか。同じオタクばっかり引き寄せて、女なんかにゃあモテっこないよね」

「無神経ツインズ! メロディア公女の前で元カノの話なんて……まあ、でもね」


 諦めたように長い息を吐き、タルヴォは証言した。


「スヴェンくんが振られたのは、そのオタク喋りなんかよりも、大学が主催していた弁論大会で彼女をこてんぱんに説き伏せちゃったからじゃないのかい?」


 ──え、なにその面白そうな話?

 タルヴォの証言で、甲板の空気ががらりと変わる。実は大してスヴェンの色恋に興味なかったメロディアでさえも目をまたたかせ、


「説き伏せ……なんですって?」

「あの日のきみの立ち振る舞いは、そりゃあ論外だよ、恋人として。教授もよその大学の生徒もたくさん見に来ていた、公の場でよりにもよってさ」

「い、いや、それは、その」


 しどろもどろになったスヴェンが、眼鏡へ触れ始め、ふきふきと。


「場が場であったからして、議論相手が誰だろうと、いち学生として加減するわけには……」

「大真面目かよぉ!」

「こいつぁ本格的にモテないなぁ!」


 けらけらと笑い転げる双子。自分たちが話を振っておきながら、よほど彼の失恋が他人事に見えているらしい。

 だが、その話で急に静まり返ったのはアクセルだ。

 あたかも自分の話だったみたいに血相を変え、


「……今のお話が事実なのでしたら……」


 いかにも己の専門知識か、自然の摂理を解くかのような調子で話し始める。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



「論外なのは、むしろ相手がたのほうでは?」

「えっ」

「その女性もスヴェン様と同じ、学生の身だったのでしょう? ならば、スヴェン様のそのご対応は至極正しく、さぞ公衆の御前でも真っ当な弁をされていらっしゃったのでしょうね」


 よどみなく、つらつらと紡ぎ出される言葉。

 一同は──ウーノまでもが、驚いて振り返りアクセルの真顔を凝視していた。


「そこが恋仲としての私的な場であれば、確かに男の器量をスヴェン様へ求める権利は相手がたにもあったでしょうが。学生が対等な立場を以って弁を交える場であったのですから、そこで説き伏せられた程度で気分を損ねた相手がたこそ、同じ志を抱き同じ学の道に通ずる者としての、然るべき器量を持ちあわせていなかった、己の行いを鑑みるべきだと思いますが?」

「……え……」

「自らはその努力や立ち振る舞いを怠り、スヴェン様へは手心を加えろなどと一方的に申し出た相手がたに、おおむね全面的に落ち度があったと、自分としてはそう客観的に評さざるを得ません。それが原因で別れを切り出されたというお話でしたら、ええ、その方とは別れるべきです。スヴェン様と末長く道中を共にする資格を──」


 アクセルの主張に迷いの色はなかった。



「──フリューエが貫くべき矜持を、初めから持ち合わせていなかったのですよ」



 茶化しかたを忘れたように閉口する双子。

 船の上でもしばらく沈黙が続いたが、やがて、


「……ぶっ。く、くく」

「……んんっ! ふ、ふふ、ふふふふ……!」


 ミュリエルが吹き出したのにつられて、メロディアも少しずつ含み笑いを大きくする。

 スヴェンも『夢遊病ドラム』の面々もアクセルの豹変ぶりにぽかんとしていたが、身内の女性二人は、どうやら彼の主義に心当たりがあったらしい。


「聞いた、ミュリエル? さっっっすが、わたしの麗しきお兄様ね!」

「ええ本当。さすがはノウド随一の、騎士のかがみでございます……」


 アクセルも、無表情を貫いたまま二人を眺めて、


「……なんだ? そんなにおかしなことを言ったかな、僕」

「「いえ滅相もない!」」


 メロディアとミュリエルの、心の声はぴったりだ。

 さすがアクセル──『女騎士』に惚れる男は、言うことが違う。

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