おとぎの国はいずこ(4)
「なら、ハルワルド機関長」
両手を机から離し、ハルワルドとも距離を置いたアクセルはため息混じりに。
「なぜ僕へは、話そうという気になったのですか」
心底疑問だ。
機長室での問答は常にハルワルドの優勢であった。彼がその気であれば、最後までしらを切り通すことも難しくなかったくらいに。
「誰が見てもヘリッグのならず者、あなたが見れば新米以上でも以下でもない騎士として半人前の僕が、公爵や団長を差し置いてまで信用に足るという根拠は?」
「説明しなければわからないかね?」
起立したまま、ハルワルドは初めて頬を緩める。
その表情や場違いに明るかった声色は、騎士や教官がどうというよりも、青二才が四苦八苦している無様な姿を、お節介な老人がからかう時のそれであって。
「ならばこちらが質問しようか。まさか、メロディア公女によるご希望ではないだろう?」
「……なにがですか」
「アクセル。きみはなぜ、その孤島へ目指さんとする?」
「…………」
アクセルは答えなかった。
理由や目的がはっきりしていないために答えられなかったのではなく、わざわざ答えるのも馬鹿らしいほど、ハルワルドの顔は晴れていたのだ。
ずっと恋焦がれていた情報を得たにも関わらず、アクセルはすごすごと部屋を出ていく。
ハルワルド・ヴァレンタイン。
騎士としてはどうだかしらないが、教官としては、確かに彼は一流であったらしい。
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
かくして、孤島を目指す旅の目処が付く。
厳密にはウーノの船の支度が三日ほどかかったため、その間もアクセルたちは手分けして荷作りしたり、海での具体的な道程を選ぶ会議を繰り返していた。
以下は、アクセルとハルワルドが最後に交わした言葉の応戦である。
「島の座標は覚えているが、実は、そこへ至るまでの具体的な道筋は覚えていないのだ」
「と、おっしゃいますと?」
「潮の流れが常に不安定で、とても困難な舟旅だったのでね。死線をさまよっているのではと勘繰る時間も幾度かあった」
ウーノの指摘通りだ。二十年も前から、海の状況は変わっていないのか。
「では、その死線はどのようにくぐり抜けたのですか? イカダをおひとりで漕いだというお話でしたよね?」
「よく覚えていないが……とかく雲と太陽の流れを見ながら漕いだとしか言いようがないな」
つまり気合と根性、そして運か。
身も蓋もない──とアクセルが帰りかけた時だった。
「あまり悲観する必要はないかもしれん」
楽観するな!
他人事みたいにしやがって──と、アクセルは怒鳴りたくなったのを堪えつつ。
「僕や友人たち……なにより、メロディアの進退がかかっています」
「着かない時はなにをどう足掻いたって着かないよ。おそらく、その者に孤島との縁がなかっただけだ」
「ツキの良さを縁とやらの有無に置き換えないでいただけますか」
「ツキの問題ではない。私は、グレンダの母親のツテがあったと申しただろう? きみも、かつての私のように、そういった縁を、あの子が結んでくれていると信じるほかないのだ」
ハルワルドは本当に、縁という名の運気を信じているようであった。
部屋へ来てから何度でも老騎士に呆れ返っているアクセルへ、言い聞かせるように。
「着かない時は着かない──逆に言えば、そこへ辿り着くべき者へは、自ずと道が拓ける。そう考えるのは、さほど難しいかね?」
「はあ……」
「一応、根拠はある。これぞきみには世迷言と笑われる話だろうが……」
今さら、わざとらしく声を潜めたハルワルドは囁く。
その話は確かに珍妙だった──ただし。
「あの島には、『神』が祀られている」
つい先日、タバサに妄想を聞かされてもいない限りは。
「おとぎの国とその大地、かつて暮らしていたであろう人々にとっての、幻想上の神が」
「は……?」
「漂流者の選定を図っているのも、あるいはその神かもしれないな。もしも辿り着けたなら、まずは奥の湖を目指すと良い。今も同じところに棲んでいるなら、一眼で見分けがつくはずだ──あの神と
以上の証言すべてを、『
(幻想上の神……? 『雨の魔女』がかつてノウドに降らせたとされている、災厄の出所がその神だと言うのか?)
馬鹿らしい、とは一蹴しづらい。
アクセルはスヴェンらと地図をにらめっこしながら、
(潮風が安定しないのも、単に気候の問題ではない、神か、それに仕える魔法使いの仕業?)
思案する。
もはや目的と真相究明のためには、常識的発想などドブへ捨て置かねばなるまい。
(タバサ嬢や『
その時、教室の扉が乱暴に開かれる。
どうやらウーノが、首尾よく実家へ話を付けてきたらしかった。
「手配できたぞ。出発はクロンブラッド港、早朝だ」
もちろん、騎士団やヘリッグ家のツテではない。
まさかクロンブラッドなんかで、堂々とプライベートの船を出せるとは。
アクセルたちはその日のうちに移動を始める。ヴェール領を抜けて、夜が更ける前にクロンブラッドの宿へ到着し、万全の備えとしてフカフカのベッドで身体を休めた。
そして、運命の朝。
ウーノに連れ出された一同は、騒然とする。
港は早朝でも漁へ出向く人々で賑わっていた。だが、堤防の一角を陣取り、ウーノが指し示した先にあったそれは──
「え……
メロディアもよほど信じ難かったのだろう。
慌てて周囲を見渡し、同行者の人数を数え始める。
「八……え、八名で乗るような船ですか、これ⁉︎」
同感だ。アクセルも失笑した。
イカダや小舟なんて次元ではない。本当に貴族や金持ちの道楽でしか使わないような、時折、公爵が思い付きで海上パーティを開く時にしか出番がないような。
それは、騎士団保有の船艦と言われても疑わないほどに立派で本格的な船舶であったのだ。
出張ってきた船の質感によっては、やはりこの旅は危ないから中止しよう──なんてちゃぶ台返しもアクセルは密かに検討していたのだが。
(こいつは、いよいよ尻尾巻いて逃げ出せないな……!)
『
「この船で文句ねえよな? 俺ァ、こいつのハンドル動かす免許もきっちり持ってんだ」
「……ええ」
アクセルは肩をすくめる。
最後の悪あがきじみた新米騎士の物言いには、志を同じくしたロクでなしたちへの、精一杯の皮肉と誠意が込められていて。
「上等じゃないですか、冒険中毒の皆さん」
なにを言うか。
お前も、これより冒険中毒の小悪党一味に仲間入りだ──と、誰かしらに言い返されたような幻聴をアクセルは耳にした。
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