おとぎの国はいずこ(3)

 時間も思考も止まったような感覚。

 アクセルは何度か、肺の中の酸素を入れ替えそびれてから、


「……出向いた、というのは」


 ありとあらゆる感情を押し殺しつつ、聞き返す。


「例の孤島へ現着した、という意味でしょうか」

「そうだ」


 ハルワルドはやはり平然としている。

 ──だ、ダメだ。落ち着けアクセル・ヘリッグ。

 相手のペースにこれ以上乗せられるな。彼は早々あの椅子を動きはしないはず。

 僕がこの扉との動線を塞いでいる以上、彼はこの部屋を出られない、逃げようがないはずなんだ。


「……なぜ、あなたが?」


 慎重に言葉を選ぶ。


「あなたは以前『海を翔ける鳥ペンギンナイト』の配属でしたね。では、あの騎士団が、かつてなにか特別なにんでも請け負ったと?」

「否」


 どれほど核心に迫ろうと、アクセルが言葉の刃を喉元へ突き付けようとも。

 ハルワルドは怯みも悪びれもせずに、


「捉えようによっては、確かにあれは任務であったかもしれぬ。だが、少なくとも己では私情の域を出なかったと見做しているし、そうでなくとも、依頼主は公爵やヘリッグ家に通ずる者ではなかった」

「公爵じゃない? つまり騎士団での務めではなかったと?」


 証言を続けるので、業を煮やしたアクセルは答えを急いでしまった。


「なら、いったい誰の依頼だったのですか。何用でそのような……おとぎとも空想上とも受け取れる秘地ひちへ──」

だ」

「──っ⁉︎ ……え……は」

「名をヨランダという。かれこれ二十年も前の話だ。彼女のほうとは今や、なんの縁も繋がっていないがね」


 口をぱくぱくさせているアクセルへ、ハルワルドは心穏やかに、だがほんのわずかに眉を上げ、挑発めいた口振りで言い返した。


「何用で向かったか、という問いに関しては……言わねば、まだわからないかな?」


 きみほど聡明な男であれば、ここまで聞けばすべてを理解できるだろう。

 そう言われたような気がしたし、事実言われているようなものだった。ハルワルドは、とうとう肩の荷が降りたみたいに口角を緩めてさえもいる。


 肩の荷を下ろす。

 ああ、そうか──とアクセルは碧眼を大きく見開いた。

 なにを平気そうな顔をしているんだ、この人は、とばかり訝しんでいたが。

 彼は、その話を誰かへ打ち明けたくてたまらなかったのだ。おそらく今日の今日まで黙っていたことを、誰にも明かせず隠し通し、次第によっては墓場まで持っていくつもりであったのであろう秘密を。


 自ら真相を辿らんと、孤島へ着かんとする勇者が。

 ──アクセルのような者が現れるのを、彼はひっそりと待っていたのだ。 



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 すべてを悟った瞬間、アクセルの体は勝手に動いていた。


「ど……うして!」


 革靴をかつかつと鳴らし、ハルワルドが座した机へ詰め寄る。

 彼の高名な立場や、己が身の程知らずを鑑みる余裕もないくらいに、アクセルは必死の形相を浮かべていたのだ。


「なぜ、ずっと黙っていたのですか!」


 ドン! と両手で机を叩く。

 身を乗り上げてまでハルワルドへ詰問しにかかったアクセルだったが、


「話すアテがなかったためだ」


 ハルワルドは合わない視線を無理に合わせようともせず、相変わらずその場を動かない。


「港で出会ったヨランダという旅人。西方にあるという名も知れぬ孤島。その島に放られているという、宿。……いずれの話をかいつまんでも、誰に聞かせても、まるで信憑性が足らぬ話であろう?」

「はあ⁉︎ ……いや、いやいや」


 思わず納得しかけたのを、かろうじて頭を振り切るアクセル。


「信憑性なら、今は日を追うごとに増していく一方ではありませんか? 近頃の急変する大陸情勢については、あなたもじゅうぶん聞き及んでいるはずだ!」


 悲痛に近い嘆きの声。


「例の孤島が、エスニアの革命軍や『雨の魔女』となんらかの繋がりがある可能性にも、あなたはとうに気付いていたはず。にも関わらずあなたは黙っていた。これは、騎士としてもあるまじき行いです。反逆とさえ受け取られても致しかたない行いだ!」


 感情を抑えきれなくなったアクセルが、弾劾するのを、


「それでも、今なおノウドや公爵への忠義を守り貫けているとお考えなのですか?」

「当然だ」


 ハルワルドはいとも容易く受け切ってみせた。


「知っていること、見聞きしたことを誰彼構わず明かすことを、忠義とは私は考えていない。信憑性が薄い話であればこそ、より信用に足る者と情報をわかちあわねばならない」


 ──それは。

 その言い方では、まるで。


「並みの権威や発言力しか持たぬ、騎士や貴族へ話しても致しかたないだろう? かといって、に話すという選択も私にはできなかった」

「な……」

「無論、彼自身は騎士として私より誰よりも優れていたし、祖国へ骨の髄まで忠誠を捧げた、騎士団で誰よりも信用に足る男だよ。だが、それゆえに確信もあった」


 ついに、ハルワルドは立ち上がった。

 アクセルの見下ろす顔を跳ね除けるように、そのしわがれた声と老いた顔には、めらめらと自信をみなぎらせていて。


「彼へ話せば、彼は間違いなく──公爵へ、一字一句違わず伝達するという確信が」

「……あ、なた」

「まあ、公爵は島の所在も知っている気がしないでもないがね。ここで重要なのは、おとぎの国の有無や所在ではなく、彼や、が、その有無や所在を知っているというだ」



 怒りと悲しみと呆れと失望と。

 さまざまな感情を滲ませたアクセルの青い目は、とうにこの心臓をズタズタに斬り裂かれた後だと示している。


「……それで」


 ようやく絞り出した声。


「それでよくも、祖国への忠誠などとのたまえますね」

「のたまうもなにも」


 どこまでもハルワルドは穏やかだった。


「忠誠を誓っているのは私も同じだよ。──にまで、同じだけの心身を捧げられるかは、時代によるが」

「……っ」

「きみはどうだ? 新参の騎士にしてヘリッグの片割れたる、きみ。今代の施政者へ、その心身を余さず捧げていると胸を張れるか? イェールハルドくんのように」

「……はあ」


 アクセルは肩の力を抜き、静かに長たらしい息を吐く。

 ここまで真っ直ぐに言葉を投げつけられては、反論する気にもならない。

 そして、頭ごなしに反論できるほど、ハルワルドが抱く持論も、アクセルに対する見立ても外れてはいなかった。

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