縁を繋ぐ(4)
きゅうと、アクセルは胸が締め付けられる思いをする。
どこまでも自分が浅はかで、誰よりも大切にしなければならなかった妹の貞操と道徳を、他者から見ても損なうような真似を許してしまったことに激しく恨んだ。
ましてや、屋敷に籠もりきりだったメロディアと縁を持った、数少ない人間の信用を失うような愚策を。
「兄は悪くありません!」
メロディアは今にも泣き出しそうな顔で、しかし他の何事よりも優先して、アクセルの無罪を取ろうとした。
「これはすべてわたしが計画した行いなのです。ここまでの道程も、わたしがお兄様を焚き付けて……っ!」
「よせメロディア」
アクセルはさっと立ち上がり、これ以上メロディアが自分のために穢れを被らないよう、詰め寄りかけていたスヴェンとの距離を強引に置かせる。
「僕がすべての事の発端なのは確かだ」
「ですが、お兄様っ!」
「……スヴェン様は」
険悪な雰囲気の中、ただひとり、ミュリエルだけがついさっきまで冷水に全身を浸らせていたかのような、芯の通った発声をする。
「アクセル様やメロディア様からお話に伺っていた通り……いえ、お噂以上にたいへん思慮深い方なのですね」
「……どのへんがでしょう?」
いたって真剣な顔つきをしたミュリエルへ、スヴェンは己をあざけるような笑みを返す。
「こんな悪趣味のおかげで、自分はいつも人付き合いで苦労しています。ええ、今に始まったことじゃありません……先日も、自分の軽はずみな正義感によって作戦は計画され、実行され……」
やはり、スヴェンが心残りにしていたのはひとつだ。
「あの戦いで、多くの騎士を失いましたから」
「……それは」
「それは、いずれ誰かがやらなければいけないことでしたよ」
ミュリエルが言いかけたのとほぼ同じセリフを、アクセルが先んじて告げた。
同時に、メロディアの肩へ手を置いたまま、すっとスヴェンへ頭を下げる。
「ですが、こればっかりは……ああ、間違ってもメロディアにやらせるべき行いではなかった」
「あ、アクセル氏」
「此度の申し出に関してはすべて、この自分の身の上がもたらした、手前勝手によるものです。メロディアや、他の公家ならびに騎士とも一切合切関係ない、単なる私情でしかありません」
今さら信用を取り戻せるとは思うまい。
せめて、なけなしの誠意だけでも見せなければならないとアクセルは平謝りする。
「もちろん、タバサ嬢や他の領土……ましてや、他国との密談など、自分も妹も決して目論んではおりません。そのような人脈が自分たちにあるなら、はじめからそうしています。よもやスヴェン様へこのような不義理極まりない申し出をすることも……どうか、ご無礼をお許しください」
「と、とんでもない!」
いくら相手が騎士でも、ヘリッグの人間に頭を下げられてはスヴェンこそ気が気でない。慌てふためき両手をばたつかせながら、
「自分もそこまでは考えていませんよ! よりにもよってアクセル氏が、他国と繋がっているなど……タバサご令嬢も、あのご様子であれば……その、身勝手はお互い様ですので!」
口をついて出てしまったかのごとく、やはり余計な本音をぶちまける。
「自分はともかく、なんでしたら父上も集会のメインディッシュは、どう考えたって自分の縁談じゃなくヴェール領の
わざわざバラさなくてもいいものを──と、アクセルは下を向いたまま口角を緩める。
つくづく馬鹿らしい。この平常運転ではあたふたしている青年が、その実、他のいかなる上人よりもメロディアや自分にとって信用に足り得る人物だと、こうして何度か接してきた心の奥底では、なんとなくわかっていたはずだというのに。
顔を上げたアクセルは、後ろでずっと控えているミュリエルと目配せする。
どのみち引き返せないところまで来てしまったのだ。この暗黙の了解に異議を唱える者は第三邸宅にはいなかっただろう。
「今さら、信じてはいただけないでしょうが……」
アクセルはついに決心を固めた。
「僕もメロディアも、あなたのことは心より信頼申し上げております」
「いっいえ、そんな……」
「つきましてはどうか、此度の申し出について正式に、我々の相談に応じてはいただけないでしょうか? 僕自身の私情であることは間違いありませんが、これは、長い目で見ればノウドの未来にも関わり得る、極めて重大な案件なんですよ」
スヴェンは「は、はあ」と丸眼鏡を掛け直し、不思議そうに一行の顔を見比べていた。
本人も、まさか推論にも妄想にも思い浮かべてはいなかっただろう。
どれだけ策を巡らせようが趣味をこじらせようが、まさか彼らの目指す先が、北でも南でもない、海しかないと長らく信じられてきた、遥か西のおとぎの国だなどとは。
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
「──……と、いうわけなのですが」
一同が改めて着席し、アクセルがすべてを話し終えるまでにどれくらいの時間が流れたのだろうか。
スヴェンは椅子の上で微動だにせず、アクセルの話をまんまるな目で聞き続けていた。
「……あの、スヴェン様?」
話が終わっても動かないスヴェンへアクセルは心配して呼び掛ける。
やはり、信じ難いにも程がある与太話だったろうか。メロディアとミュリエルも揃って顔を見合わせた。
「……さ……」
「さ?」
「さ……っすが、アクセル氏……いや、アクセル公子だ……」
スヴェンはふらりと立ち上がる。
もしや『
「やはりヘリッグの身で騎士の業界へ名乗りを上げるような御人は、思い付くことからして我々凡人とは格が違い過ぎる……!」
「えっ? ……い、いえあの、ですから、島に関しては僕ではなく公家代々より──」
「素っっっ晴らしいですアクセル氏! 遠征の
眼鏡の奥できらんきらんと目を輝かせていたのは一目瞭然で。
「大陸ではなく孤島というのがまたニクい! ほら、その暫定地図よりもさらに西方へ向かえば、ノウド半島と繋がったこの大陸にも及ぶほどに広大な土地が、この海には眠っているという伝承があるでしょう? 国家によってはすでに異大陸を目指した遠征艇が出されているとかいないとか。そこのところを、より近場で現実的かつ、より幻想的で親しみあるおとぎの国の孤島に焦点を当てるというアクセル氏のセンスがたまりませんね!」
スヴェンが早口でまくし立てていくのを、アクセルもメロディアも、ぽかんと口を開いて眺めるくらいしかできない。ミュリエルは眉間を指で押さえた。
なるほど──アクセルでさえもこうなるのだ。公邸でのメロディアでは、彼などちっとも手に負えなかったはずである。
「ええと……それでスヴェン様?」
どうにか持論を中断させたのはメロディアだ。
嘘を吐いてまで大事に巻き込んでしまったという申し訳ない気持ちはどこへやら、見合いの時の焼き直しみたいなげんなりした表情で、
「ご尽力いただけるのですか? というか……そもそも、今のお兄様のお話でどの程度アテに心当たりをお持ちで? 何度も申し伝えましたが、騎士団以外のアテでお願いいたします」
「お任せください!」
たずねると、スヴェンは今度こそ部屋のドアノブへ手をかけた。
「研究者の端くれとして、『確実に』とは申し上げられませんが、そういうご事情でしたら、自分よりもずっと専門性の高い人材を連れてきましょう」
「えっ? 連れてくるって……どこに? まさか、今からですか?」
「もちろん! 少々お待ちを、どうせ奴らは大学で長話に興じている頃合い──」
──そんな大っぴらにはダメだ!
アクセルとメロディアが二人がかりでスヴェンを制止する。
どうやら彼は、興が乗った時に限ってはどこまでも積極的で、人目もはばからず他評も気にせず、猪突猛進になりがちらしい。
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