縁を繋ぐ(3)

「……かけがえのない……」


 スヴェンはメロディアの碧眼へ視線を落とし、何秒も黙りこくってから、


「ええ。そうですね」


 微笑んだ。


「僕も、あなたとそういう時間が過ごせたらとても嬉しいです」






♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 妙だ。アクセルは訝しむ。

 スヴェンの笑顔はどこか切なげで、眼鏡からのぞく黒目の奥には哀愁さえにじみ出ている。およそ女性との逢引きに応じている男が、見せるべき表情ではない。

 メロディアもその反応に違和感を覚えつつも、まだ愛想笑いを続けていて。


「……分かりました」


 スヴェンはメロディアの手をそっと離させる。


「自分に出来る範囲でよければ、お手伝いいたします」

「まあそうですか! とっても嬉しいわ──」

「ただ、一点だけ伺ってもよろしいですか」


 歯切れ悪そうに、しかしこればっかりは譲れないと静かに主張して。


「メロディア公女……いえ、これに関してはあなたにも伺うべきですね──アクセル氏」


 問いかけた。


「大学で、海上の軍事戦略に関わる研究……ええ、確かにしております。ですが、その話……お二方は、いったいどなたに伺ったのでしょう?」


 メロディアはきょとんとしている。

 何気なく口走った己が発言に対して、彼が投げかけた返しの意図がわかっていないのだ──そんなもの、アクセルから聞いたに決まっていると。


 対して、アクセルは瞬時には答えあぐねてしまう。

 なんと答えれば良い? ただ風の噂とだけでじゅうぶんか? いや……昨今まで次期領主ですらなかった男の噂話を、そこらへんの人間と交わしているほうが不自然だ。

 アクセルとスヴェンの共通の知人……──やはり、こう答えるしかない。


「……もちろん、『枝分かれの道ノウンゴール』の方から伺いましたよ。あなたはメロディアの大事な婚約者候補にあらせられますから」

「そうですか」


 スヴェンは少しうつむき、躊躇いがちに、だがさほど間を空けず言い返す。


「……はい?」

「実は、大学の関係者の間で暗黙上の取り決めというものがあります。個人的な学術研究も含め、軍事にまつわるあらゆる活動の内容……それら一切を口外しないという取り決めが」


 メロディアはまだ理解していない。

 なにを言っているの、この男? だってあなた、ノウドの騎士団の歴史がなんたらと、かのテラスでは散々語っていたではありませんか。


「歴史くらいの話なら好きにすれば良いんですよ。その道に通じる者なら自分でなくとも誰にでも似たような話ができます……話すくらいは選ぶべきでしょうが」


 さては、縁談の時のことを自虐しているのだろうか。


「もちろん、取り決めに関しては他国への情報漏洩防止というのが主だった理由です。騎士団の関係者にも、まだ実用が決まっていない事柄の一切については話さないよう教授に固く伝えられていまして……ええと、要するにですね」


 アクセルと──ミュリエルも、すでに悪寒じみた嫌な予感を抱き始めている。

 眼鏡を外し、手持ちの布でのんびり拭きながら、スヴェンは今なお冷静を装っているように見えたけれど。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



「……申し訳ありません、メロディア公女」


 雲行き怪しくなっているとようやく察し、不安げに見上げたメロディアへ、躊躇いがちに笑いかけるスヴェン。


「スヴェン様……?」

「僕はまたしても、あなたの前で趣味の悪い話をしなければいけなくなりました」


 雨が部屋で降っているみたいに、ぽつりぽつりと語り始める。


「要はただの趣味なんです。ただ黙っておくだけではつまらないので……自分が専門分野の秘匿性を悪用して、知り合いの人間を自分なりに区別付けるために……変な言い方をすればを判断付けるために、限られた情報を限られた人間へのみ流すという趣味を、長々と続けています」

「……そ、れは」

「情報が出回らないなら、それで良し。ですが、もし情報が広まったり……自分との付き合いがない他の誰かへ渡るようなことがあれば、自分はひとりか数名にしか話していないのですから、噂の出どころはすぐに突き止められる」


 スヴェンはやはり自嘲気味に笑っていた。


「誰が喋ったか──というだけではないんですよ、これがまた。自分どころか、周りでさえ承知していなかった人同士の、裏の繋がりが透けることさえあるんです」


 アクセルは反論や弁明の声も上げられない。


「自分が大学に籍を置いている間だけでも、すでに三度、があります。一度目は同級生の多重交際ふたまた。二度目は教授の、他領土の上人への研究データ横流しが。三度目は……」


 スヴェンは目を伏せる。

 よもや、こんな形で己が成した裏の功績を、アクセルたちへお披露目することになるとは夢にも思わなかったのだろう。


「大学に潜んでいた、

「エスニア? ……まさか!」

「ええ、まあ。この密偵者の存在が、ヴェール領にあった革命軍の拠点、その割り出しの元手となってしまったんですよ」


 なんということだろう。一連の掃討作戦、その発端はスヴェンの密告だったのか。

 ミュリエルも顔色をさっと変え、信じがたい目でスヴェンを見据えていた。



「そして──アクセル氏。実は、あなたが得た自分に関する情報、その出どころにも心当たりがあります」


 アクセルと視線を交わさずして、


「昨今、騎士団の間でも噂になっていますから。が不自然なほど急速に公爵との繋がりが増え、公国内でも権威を強めつつあると」


 スヴェンにはもはや、探りを入れているつもりすらないだろう。

 確信に近い物言いで、


「父上も、隣地のスティルク男爵のことは商売敵として長らくライバル視していて、あの領土の動向にはいつも目を光らせていました。此度の軍事作戦は、父上としてはスティルク領に手柄を持って行かれないよう、先手を打って作戦の主導権を公爵へ名乗り出たつもりだったのでしょうが……」


 ようやくアクセルの蒼白した顔をちらと伺い、


「あの夜、自分は本部より見てしまいました。森のある方角で、雨も雲もなかったはずの空から雷が落とされたのを」

「……っ、あ……」

「作戦の主導権も、結局は『海を翔ける鳥ペンギンナイト』に渡りましたし。アクセル氏。あの作戦には──タバサ男爵令嬢も加わっていたのですね?」


 完全に見破られている。カマ掛けですらない──とアクセルは奥歯を噛む。

 ごまかす気にもならないくらいに、スヴェンはとっくに前から作戦の全容も、アクセルたちの浅ましい企みにも見当を付けていたのだ。


 つまりスヴェンは、公にされておらずともやんどころない裏事情を薄々察していたタバサと居合わせた際、今後の情勢を見越して、己が持つ秘匿情報を使って伏線を張っておいたらしい。

 結果、伏線は面白いくらい見事に回収された。

 スヴェンの思惑に、アクセルたちがまんまとはまってしまったのだ。

 もっとも、情報戦を自ら仕掛けたスヴェンとしては、軍事や政治でなく、こんなプライベートの局面で発揮されてしまうのは不本意極まりなかったであろうが。






♰ ♰ ♰ ♰ ♰



「……いつものことながら、お話長くなってしまいましたね」


 肩の力がすっかり抜けたスヴェンは、いよいよ核心に触れる。

 事の深刻さを悟り、兄と同じように顔を青ざめさせたメロディアを再び見下ろして、


「自分に私用の舟を出せとのお申し付けでしたか? メロディア公女」

「えっ。あ……」

「自分の返答はなお変わりません。大した取り柄もなければ、フリューエをまともに満足させる甲斐性も持たない自分などでよろしければ……ええ、あなた様の微力くらいにはなりましょう。自分としても、限りあるへリッグ公家との貴重なご縁でもありますし。どうぞお好きなように使っていただければ……ですが……」


 スヴェンはそこまで言うと、少し寂しげに微笑んでふいと目を逸らし、なにをどんな理由で悩んでいるのか、次の言葉を言い淀む。

 彼は怒るわけでも責めるわけでもなく、とうに悪女の演技など忘れていた少女の、春風みたいに柔らかな金色の頭を、


「……こんなことを自分風情が申し上げるのは、やはり傲慢なんでしょうね」


 やっと口を開くなり、スヴェンはとても優しく撫でたのだ。


「どうかメロディア公女には、見目麗しい今のお姿のままでいてほしい……自分のような、に手を染める女性にはなっていただきたくないのですが」

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