縁を繋ぐ(2)

 スヴェンはアクセル以上に、壁際で立って控えていた壮年の女性が気になった。


「ええと……そちらの奥方は?」

「ああ。彼女はミュリ……」


 アクセルは言いかけて、止める。


「……メロディア公女が全幅の信頼を寄せているメイドです。もちろん、この僕も」


 ウインド、という紹介はよしておこう。彼が別の意味で顔を青ざめさせてしまう。

 ミュリエルも場の空気を読んでか、自ら名乗りは上げず小さく会釈するのみに留まった。

 その説明でスヴェンが十分に納得したかどうかは計れないが、


「んもう、スヴェン様ったら!」


 ぐいぐいと顔を寄せてくるメロディアと比べれば、ミュリエルなどもはや瑣末ごとだろう。


「このメロディアを差し置いて、他の女のことを考えておいでなのですかっ?」

「い、いえまさか……」


 うっかり唇が触れ合うことがないよう、それとなくメロディアの腕をほどき、


「自分も、またお会いできて光栄ですよ、メロディア公女」


 スヴェンは遠慮がちに笑い返した。

 あれほど公邸ではすげなくしていたメロディアだ、急に迫られても対応に困るだろう。

 あざといにも程がある。不自然極まりない。だが……──



(案外、スヴェン様には通じてしまいそうだな)


 アクセルは静かにほくそ笑む。

 いきなり恋仲らしいやり取りを交わすとはいかなくとも、一度は婚約しかけた公女のわがままに付き合うくらいの器量は、スヴェンにもあるんじゃなかろうかと予期する。


 いかなる駆け引きにおいても、肝心なのはやはり理屈ではない。

 その場その瞬間に抱いた個々の感情と、流れで強引に押し切れるだけの雰囲気ムード勢いノリだ。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 互いが椅子に腰掛けると、少しの間は歓談にふける。

 歓談というよりかは、メロディアが一方的に屋敷暮らしの話を聞かせ、それをスヴェンが相槌打ちながら耳を傾けているだけの時間だったが。

 それでじゅうぶんだったのかもしれない。

 アクセルは公邸での二人の逢瀬の一部始終を見ていないが、きっと屋外テラスでも、おおかた似たような流れだったのだろう。


「──ですから、スヴェン様!」


 とうとう、メロディアは本題に切り込んだ。


「わたくしはしばらく屋敷を出ていませんでしたので、この夏は思い切って、遠出して羽根をうんと伸ばしたいと考えていますの」

「遠出……旅行ですか?」

「ええ! スヴェン様もご一緒にいかが? スヴェン様とは兄やうちのメイドとも、この機にいっそう仲を深めておいていただきたいのです」


 スヴェンは少し考え込むような仕草を見せる。

 単純に、自分自身の夏の予定とのすり合わせをしていたのだろう。同時に、思い浮かべていたのはついさっき一悶着あった騎士たちの顔ぶれか。


「……なら、むしろ行けって言うだろうな……」

「はい? なにかおっしゃいまして」

「いえなにも。……ええ、自分が同行してご迷惑にならないのでしたら、是非もございません」


 スヴェンはあっさり承諾した。アクセルは内心ほっとする。

 ──いや、まだか。最後まで気は抜けない。

 彼はあくまでも、メロディアとの旅行に興が乗っただけなのだ。



「まあ嬉しいっ! きっと素敵な夏になりますわね、わたくしたち」

「はは、本当に……それで、あなたはどちらへ旅に出向きたいとお考えでしょうか?」


 ──来た。

 わずかに緊張の糸を張り巡らせるアクセルとミュリエル。


「その件ですがっ!」


 メロディアは机から身を乗り出し、きらきらと全身に眩いオーラを放ちながら言ってのけた。


「わたくしは海へ出たいんですっ!」

「海……?」


 目を丸くしたスヴェンが、はたと思い付いたみたいに。


「ああ、そういえば北西にへリッグ家の別荘があるとどこかで伺ったことがありますね」


 そういえばあったな、そんな誰の需要もない無人島。アクセルは目を伏せる。

 すみませんスヴェン様……島は島でも、僕らが目指しているのは、誰も所在を知らないような絶海の孤島なんですよ。


「では、そちらの島へ?」

「どうしましょう? まだ具体的な行き先は決めかねておりますが」


 メロディアは結論をはぐらかす。


「行き先をひとつなどと定めず、舟で海を転々と渡っていくのも一興とわたくしは思います。ですから、スヴェン様?」


 両手を合わせ、指を絡ませ、懇願の姿勢を作りつつ猫撫で声を出した。


「重ねてお願いがございます。どうか、スヴェン様のご人脈で舟を出していただけませんこと?」

「えっ。……自分が?」

「日頃お忙しそうな港や騎士団のものをお借りしては、なかなか自由に海を行き来するいとまなど与えてはいただけないでしょう?」


 メロディアもそこそこ上手い言い訳をできているが、さすがにスヴェンは即決でイェスとはいかなかった。

 眼鏡を指でくいとあげ、心底困ったように眉を下げる。


「じ、自分ごときにそのようなツテは……」


 ついにスヴェンは席を立った。


「少々お待ちください。内地であるがゆえ『枝分かれの道ノウンゴール』に舟はありませんが、私用で舟を貸してもらえるツテがないか、心当たりある騎士の何人かに聞いてみましょう」


 ──あ、まずい。

 アクセルがなにか言うより早く、メロディアが動いた。



「その必要はございませんっ!」


 がたんと席を立ちスヴェンへ駆け寄り、今にも扉のノブへかけそうになったその手をぎゅうと掴む。


「わたくしが欲しているのは、騎士ではなくスヴェン様のお力なのです!」

「え……いやあ」


 スヴェンは困惑気味にメロディアを見下ろす。


「ですが、舟旅とあればどのみち、うちの騎士たちも同行させないわけには……」

「アクセルお兄様の他に騎士など要りません。邪魔です」


 こら、邪魔とか言うな。各方面に失礼だろうが!

 思わず口を吐いて出たメロディアの本音に、アクセルが説教する余裕も今はない。

 メロディアは持ち前の愛嬌で乗り切ってやろうと、握る力を強め上目遣いで。


「わたくし、こと舟旅となればスヴェン様ほど頼もしい御人はいないと、お噂に聞いておりましたのよ?」

「えっ? ……自分が?」

「なんでも、大学にて、騎士団が海での戦いを有利に進めるための研究をなさっているとか。さすがはスヴェン様、本当に博識であられるのね!」

「……」


 スヴェンは目を何度もまたたかせ、メロディアのあどけない表情をじぃと食い入るように見つめている。

 さっきまではメロディアの愛くるしい挙動に頬を赤らめる瞬間もあった彼が、途端に静かになってしまったのにも構わず。


「スヴェン様でしたら、私用で舟を出せるような心大らかな御人に覚えがあるのではありませんこと?」


 最後の一押しにと、メロディアは言葉を畳みかけた。


「どうかお願いできませんか? この旅路は、わたくしにとっても……きっと、スヴェン様にとっても未来永劫、かけがえのない大切なお時間となっていきますのよ」

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