三章 公女メロディアと騎士アクセルの冒険

旅の支度(1)

「アクセルお兄様を、しばしもの間お借りします」




 公邸、執務室にて。

 その日のうちにヘリッグ公爵のもとへ駆け込んだメロディアは、ずっと繋いでいたアクセルとの手を、執務室に入るなりぱっと離し声高らかに宣言した。

 ヘリッグ公爵のそばには、幸か不幸かイェールハルドも控えている。


「……は?」


 予定されていない来客に戸惑ったのか、宣言そのものが理解できなかったのか。

 眠そうにしていた目を何度かまたたかせ、ヘリッグ公爵は聞き返す。


「なんだって?」

「しばしもの間、アクセルお兄様はこのメロディアが預からせていただきます。わたくしは彼と、長旅に出て参りますので」


 長旅──という言葉に引っかかったのはむしろイェールハルドだ。

 理解に苦しむといった眉のひそめ方に、アクセルもただただメロディアの背後で苦笑いするしかない。


「……メロディア公女」


 とうとうヘリッグ公爵の返事も待たずしてイェールハルドが口を開いた。


「ただいまのお話に関して、もう少しばかり、仔細を伝えていただきませんと」

「申し上げた通りですわ」


 メロディアは一向に悪びれず、


「先刻も、公国の未来にはとっても、とーっても大切な戦いに挑まれたでしょう? お兄様に限らず騎士団の皆さま方は、来たる次の戦いに備えるためにも、しっかりと羽根を休める機会を設けるべきではないかと、いちヘリッグの者として熟考した次第にございます」


 いけしゃあしゃあと説明してのける。

 嘘ではないような、嘘でしかないような。アクセルは冷や汗をかく。

 イェールハルドもそう易々とは引き下がってくれない。


「つまり……の長期休暇をご提案なさっているのですか?」


 彼はどこまでも冷静で慎重だ。

 騎士団の長として、いち部下の扱いにおいては公爵にも勝る権限を有している以上、公女のわがままにおいそれという訳にはいかないのである。


「いえ、失礼。少々言葉足らずでしたわ」


 対するメロディアは、やはり公私混同が度を越していた。


「旅へ出ようという話自体はわたくしの一存に過ぎませんの。長らく屋敷にこもっておりましたわたくしが、自分探しの旅へ出掛けるべく、その護衛のにんにアクセル・ヘリッグを指名したいのです」

「はあ」

「ゆえに、これは休暇ではなく任務です。騎士団へは彼を……兄や公子としてではなく騎士として! お仕事としての借用を正式にお願い申し上げますわ」



 ──通じるか、そんな無茶苦茶!

 アクセルは聞いているそばから頭痛がした。ただでさえ情勢が不安定で、いつ新しい戦いが巻き起こるかもわからぬ騎士団の貴重な人手を、そんな公女の個人的な都合で貸し出せと言われる側の身にもなれという話だ。



 それでもヘリッグ公爵は相変わらずというか無責任というか、


「へえ、そうか。まあ好きに行ってこい」


 と真顔で適当なことをのたまう。


「自分探しは大事だな。若い身空のうちに一度くらいはやっておいたほうが──」

「申し訳ありません公爵様」


 イェールハルドは今度こそあからさまに難色を示した。

 ヘリッグ公爵の言葉をさえぎるなんて珍しい。さすがのイェールハルドも、即断でイエスとはいかないほどメロディアの物言いはとんでもなかったようだ。


「メロディア公女の自分探しは大いに結構、私などがご助言するまでもありません……ですが、その旅への同行者が騎士ひとりというのは」

「羽根を伸ばすための旅路に、何人も付いて回られては迷惑です」


 きっぱりと言い切られてしまっては、イェールハルドこそ頭を抱えたくなってくる頃合いだろう。

 アクセルは終始静観し、他人事のように己が上司へ同情心を芽生えさせていたが、


「はあ……左様にございますか……では、メロディア公女」


 次のイェールハルドの言葉に、ひゅっと肝を冷やす。


「あなた様はただいま、第三邸宅にお住まいでしたか? でしたら、邸宅を離れる具体的な期間と、すでに検討なさっている行き先を前もってお伺いしても?」



 ──まずいぞ。

 そりゃあ聞かれるよメロディア。

 期間はともかく、まさか公爵の前で『翡翠の王国』を目指しますなんて、馬鹿正直に言ったりしないだろうな?



「アクセル氏にも、騎士である以上他の者と同じ務めが騎士団では求められております。いくら公女様のめいでも、期間も出張先も不明瞭なにんに、いつまでも就かせておく訳には参りませんので」


 メロディアの返答は早かった。


「ヴェール、スティルク、イース、旧ボムゥル! ノウド半島をまたにかけた、それはもうメロディアの生涯に深く刻まれるほどの大冒険となりましょう!」


 なんという嘘八百。口から出まかせって、こういう意味だったのか?



 だが、案外チョイスは悪くない──とアクセルは拍子抜けする。

 ヴェール領のスヴェンにスティルク領のタバサ。おまけにイース領滞在のカイラ・ボムゥルといった、次第によっては口裏を合わせてくれそうな絶妙なメンツが各地に揃っている。


 メロディアも、まったくの考えなしで公邸へ押しかけたわけではなかったらしい。

 はたまた、彼女の素早い行動力と持ち前の幸運がもたらした偶然か? こればっかりはアクセルにも完全には計れない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る