メロディアの純愛(2)
感情の
「楽しい……もんか……」
「え?」
「楽しいもんかっ!!」
アクセルが腕の中で急に叫んだものだから、メロディアは仰天して密着させていた身を離し、まじまじと豹変した兄の顔を観察した。
「お兄さ──」
「ちっとも楽しくなんかないよ!! 仕事はデキるか知らないが、ただ公爵の気まぐれに
疑うべくもないほどに本心をぶちまけているアクセル。あまりに声量があり過ぎて、メロディアはきょろきょろとあたりに人がいないことを確かめる。
いまだ騎士服を着ている青年が、大っぴらに仕事の愚痴を叫んでいると住民に
「お、お兄様? もう少々お静かに──」
「もううんざりだ。なあにが公国への忠誠、なあにがあるじへの愛だ! 本当に守れてるやついるのか、そんな絵空事みたいな騎士道? 少なくともクロンブラッドには団長以外ひとりだって居ないんじゃないか? こんな待遇でも身命を賭した
「イジられてって……お兄様? そんな
「ああ、訓練生時代に戻れるものならぜひ戻りたいね! なあ、そこいらに散らばっているという魔女やら魔法使いやら! 誰か、雨を降らす炎で燃やすだけじゃない、時を戻せる魔法あたりは持っていないのか? もし持っているんなら早いうちに教えておいてくれ。今からでもそっちに忠誠を鞍替えるのもやぶさかじゃないよ!?」
──……ぶ、ぶっちゃけ過ぎでは?
公女の中でもとりわけ屋敷に籠もっていて世間ごとに疎いほうだったメロディアでも、アクセルが相当な問題発言をしていることだけはうっすら理解できる。
「おっお兄様! 落ち着いて──」
「もう辞めようかなあ、ペンギンなんたらなんて! なにもいきなり騎士を辞めよう、国を出ようなんて言わないさ、アルネ公子の根性なしじゃあるまいに。そうだスティルクだ、スティルクに行ってやろう。どうせグレンダに会えないんなら、せめて転属届けでも出してタバサ嬢にこき使われて、エリックに毎朝毎晩のように喧嘩ふっかけてやるよ! きっとそのほうが下手な
「エリック? タバサ? ──グレンダ?」
アクセルが勢いのままに口走った名前を、メロディアは決して聞き逃さなかった。特に──エリックとグレンダ。
アルネ公子はともかく、タバサ嬢とやらも誰かしらから噂を聞いた気がしないでもないが、エリックとグレンダの両名に至っては、何度か屋敷で、アクセル本人から話をいろいろと聞かされた覚えがあったのだ。
(そう、だわ。ええ思い出した! グレンダって確か、騎士学校ではかなり珍しいとかいう女性の……!)
はやる気持ちを抑えつつ、メロディアはアクセルの両肩を掴み、
「グレンダさんが、どうかしたのですか?」
かなり抽象的な質問を投げかけてしまう。
先日の作戦とどれほど関わりがあったかもまったく計れないが、アクセルが日に日にやつれていき、心を乱している要因は、そこにこそあったような気がして仕方がないのだ。
「どうかしたなんてもんじゃない!」
メロディアの予想は当たっていた。とうに正気を失ったアクセルが、夢中になって胸の内を暴露し始める。
「どんなに職場環境が悪くても上司や先輩とウマが合わなくても同僚に嫌われていても、時として生死のかかった仕事があったとしても! 同じ学び舎で過ごし、同じ志を持った彼女が、同じ半島のどこかで駆け回って僕と同じように剣を振っていると思えば、もうそれだけで騎士を続ける意義は大いにあったんだよ! それがなんだ? 今となっては、その意義すら消え去り海のはるか先の孤島ときたもんだ!」
「……? ええと、あの、お兄様?」
「僕にとっての『騎士』とは、イェールハルド団長でも教官たちでも、他のいかなる先達者でもない。もうずいぶんと前から、同じ学び舎、同じ月日で研鑽をともにしてきた彼女だったんだ。僕の中で騎士道が揺らぐたびに心の迷いを断ち切ってくれたのはいつだってグレンダだ! 彼女は別に他意なんかない、ただ自分の務めを粛々とこなしてきただけだろうが……それら所作のすべてに、僕の欲しい回答が詰まっていたんだよ!」
吐露されていく本心、言葉、表情。
それらからひしひしと伝わってくる、アクセルの迷い──惑い。
メロディアは呆然となった。
いいえ。アクセル──最愛の麗しきお兄様は、これほど苦しそうにしていらっしゃる今でさえ、微塵も騎士道とやらを揺らがせていない。
ただ周囲に、自分と異なる騎士道を持った人間ばかりが集っていて、そちらの都合によって己が信念を捻じ曲げられ、潰されそうになっているから戸惑っているだけであって。
はじめから迷子になんか、なっていなかったのだ。
彼はずっと、変わらぬ忠誠と──愛を、貫いている。
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
「……つまり……」
深く呼吸してのち、メロディアはたずねた。
「お兄様は、その御方を……グレンダさんを、心より慕っていたのですね? いいえ、今でも慕っていらっしゃる?」
「違う、そういうんじゃない!」
すぐさま否定しておきながら、
「……いや……そうかもしれない……でも、こればっかりは認めてたまるか。絶対に認めちゃいけない! だって、グレンダに限っては、僕とも他の騎士とも、そういう類の馴れ合いを求めている女性じゃないことは目に見えてあきらかなんだからさ!」
などと供述しており。
なるほど──もはやフリューエどころか、神を信仰する
ただ、メロディアは女性ひとりにここまで乱心し、執着しているアクセルがひどく物珍しく思えた。
そもそも屋敷でグレンダや騎士学校の話を聞かされていた時期だって──自分とは別の女性の話を聞かされたところで、多少のやきもちくらいはあれど、さほど気に留めていなかったのだ。
なにせメロディアはとうに知っている。
実はアクセルが、早い年頃からそこそこ夜遊びも嗜んでいて、あの公爵の息子らしく女慣れしていることくらい。本人はあくまでも妹やミュリエルには秘密にしていたつもりだろうが。
だからこそ、グレンダとかいう騎士学校でただひとりの女性騎士に、メロディアもさほど重きを置いていなかったのだけれど。
「確かにグレンダは見てて飽きないけどね。いちいち同期や先輩騎士に突っかかったり、わざわざ愛想がないよう振る舞ってみたり、寮でみんなが隠し読んでいた
「……左様にございましたか」
「今回の作戦は、ミュリエルにも、騎士団のみんなにも心底悪いと思ってる……けど! 同胞を手にかけた魔女も、争いの火種を撒き続けている革命軍も許せないけど! それでもやっぱり、思い起こせば起こすほど一番許せないのはアルネ・ボムゥルだ! 僕が長らく騎士とはそれと定めてきた騎士道の象徴たる彼女を、横から掠め取っていった、あのロクデナシ! 一にアルネ、二にスティルクで追跡の邪魔しやがったエリック、三四飛んでようやくジュビアあたりだよ!」
「左様にございますか。……最後のお話ばかりは、口が裂けてもミュリエルにはよしてくださいね」
「当たり前じゃないか! ああ、駄目だ……僕はもう駄目だ……グレンダのいない公国なんか、確かに守る価値なんてないかもしれない……」
膝を抱え頭をぐんと下げ、いよいよ本格的に騎士を辞めそうなアクセル。
ここでようやく、はたと我に返ったのか、メロディアがじとりと湿っぽい視線を向けて見下ろしていることに気が付いた。
なんだ、その顔? どういう感情だ?
あまりに兄がみっともなくて、とうとう妹にすら愛想を尽かされたというのか?
「ごめん、メロディア。お前にこんな話を聞かせたところで──」
「なあ〜んだ」
間延びした低い声、スンとした真顔。
メロディアは確かにがっかりしていたかもしれない。いずれ訪れる互いの未来がにっちもさっちも行かなくなった時、残された最終手段で──というか、合法的に。
本当に義兄をお婿さんにしてしまおう、などといったメロディアの目論みが、一瞬にして水の泡となってしまったのだ。
「お兄様の大嘘つき」
「え……?」
困惑するアクセルへ、メロディアは心底つまらなそうに、自分でも驚くほど淡白に。
「ちゃあんとお相手、いらっしゃったんじゃーないですか」
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