メロディアの純愛(2)

 感情のうつわ、その縁すれすれまで、溜まりに溜まっていた水が沸騰して湧き上がったみたいに。


「楽しい……もんか……」

「え?」

「楽しいもんかっ!!」


 アクセルが腕の中で急に叫んだものだから、メロディアは仰天して密着させていた身を離し、まじまじと豹変した兄の顔を観察した。


「お兄さ──」

「ちっとも楽しくなんかないよ!!  仕事はデキるか知らないが、ただ公爵の気まぐれに追従イエスマンしてるだけで、義理人情や周囲への忖度というものをまるで覚えようともしないイェールハルド団長! ほとんどの仕事を団長へ押し付け、部下の指導にあたるわけでもなく自分は毎晩のように呑んだくれて外で遊び呆けてる副団長! その夜遊びには副団長と並んで何度も懲りずに誘ってくるくせして、こっちが何度懲りずに頼んでも、全っっっ然剣の稽古を受けてくれない先輩たち! 同期だって、つい最近まで同じ学び舎で過ごした仲だったはずが、本部に就いた途端ずっと初対面みたいによそよそしいじゃないか! へえ、そうかい。そんなに僕って裏では嫌われていたんだ? がっかりだよ!」


 疑うべくもないほどに本心をぶちまけているアクセル。あまりに声量があり過ぎて、メロディアはきょろきょろとあたりに人がいないことを確かめる。

 いまだ騎士服を着ている青年が、大っぴらに仕事の愚痴を叫んでいると住民に告発チクられでもしたら相当厄介だ。


「お、お兄様? もう少々お静かに──」

「もううんざりだ。なあにが公国への忠誠、なあにがあるじへの愛だ! 本当に守れてるやついるのか、そんな絵空事みたいな騎士道? 少なくともクロンブラッドには団長以外ひとりだって居ないんじゃないか? こんな待遇でも身命を賭した戦場いくさばに意義を求めろと本気で言っているのなら、せめてそれ以外の場では楽しく気持ちよく仕事させてくれよ。これじゃあ公邸と騎士団本部、どっちがマシだか分かったもんじゃない! まだレイ姉さんベルラ姉さんになじられてイジられて、ヘラヘラ笑いながら嫌味のひとつやふたつってるほうがうんと僕の性には合ってただろうさ!」

「イジられてって……お兄様? そんな被虐趣味マゾヒズムはお持ちではなかったはず──」

「ああ、訓練生時代に戻れるものならぜひ戻りたいね! なあ、そこいらに散らばっているという魔女やら魔法使いやら! 誰か、雨を降らす炎で燃やすだけじゃない、時を戻せる魔法あたりは持っていないのか? もし持っているんなら早いうちに教えておいてくれ。今からでもそっちに忠誠を鞍替えるのもやぶさかじゃないよ!?」


 ──……ぶ、ぶっちゃけ過ぎでは?

 公女の中でもとりわけ屋敷に籠もっていて世間ごとに疎いほうだったメロディアでも、アクセルが相当な問題発言をしていることだけはうっすら理解できる。


「おっお兄様! 落ち着いて──」

「もう辞めようかなあ、なんて! なにもいきなり騎士を辞めよう、国を出ようなんて言わないさ、アルネ公子の根性なしじゃあるまいに。そうだスティルクだ、スティルクに行ってやろう。どうせグレンダに会えないんなら、せめて転属届けでも出してタバサ嬢にこき使われて、エリックに毎朝毎晩のように喧嘩ふっかけてやるよ! きっとそのほうが下手な戯れプレーよりうんと楽しいだろうさ!」

「エリック? タバサ? ──?」



 アクセルが勢いのままに口走った名前を、メロディアは決して聞き逃さなかった。特に──エリックとグレンダ。

 アルネ公子はともかく、とやらも誰かしらから噂を聞いた気がしないでもないが、エリックとグレンダの両名に至っては、何度か屋敷で、アクセル本人から話をいろいろと聞かされた覚えがあったのだ。



(そう、だわ。ええ思い出した! グレンダって確か、騎士学校ではかなり珍しいとかいう女性の……!)


 はやる気持ちを抑えつつ、メロディアはアクセルの両肩を掴み、


「グレンダさんが、どうかしたのですか?」


 かなり抽象的な質問を投げかけてしまう。

 先日の作戦とどれほど関わりがあったかもまったく計れないが、アクセルが日に日にやつれていき、心を乱している要因は、そこにこそあったような気がして仕方がないのだ。


「どうかしたなんてもんじゃない!」


 メロディアの予想は当たっていた。とうに正気を失ったアクセルが、夢中になって胸の内を暴露し始める。


「どんなに職場環境が悪くても上司や先輩とウマが合わなくても同僚に嫌われていても、時として生死のかかった仕事があったとしても! 同じ学び舎で過ごし、同じ志を持った彼女が、同じ半島のどこかで駆け回って僕と同じように剣を振っていると思えば、もうそれだけで騎士を続ける意義は大いにあったんだよ! それがなんだ? 今となっては、その意義すら消え去り海のはるか先の孤島ときたもんだ!」

「……? ええと、あの、お兄様?」

「僕にとっての『騎士』とは、イェールハルド団長でも教官たちでも、他のいかなる先達者でもない。もうずいぶんと前から、同じ学び舎、同じ月日で研鑽をともにしてきた彼女だったんだ。僕の中で騎士道が揺らぐたびに心の迷いを断ち切ってくれたのはいつだってグレンダだ! 彼女は別に他意なんかない、ただ自分の務めを粛々とこなしてきただけだろうが……それら所作のすべてに、僕の欲しい回答が詰まっていたんだよ!」


 吐露されていく本心、言葉、表情。

 それらからひしひしと伝わってくる、アクセルの迷い──惑い。

 メロディアは呆然となった。



 いいえ。アクセル──最愛の麗しきお兄様は、これほど苦しそうにしていらっしゃる今でさえ、微塵も騎士道とやらを揺らがせていない。

 ただ周囲に、自分と異なる騎士道を持った人間ばかりが集っていて、そちらの都合によって己が信念を捻じ曲げられ、潰されそうになっているから戸惑っているだけであって。


 はじめから迷子になんか、なっていなかったのだ。

 彼はずっと、変わらぬ忠誠と──愛を、貫いている。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



「……つまり……」


 深く呼吸してのち、メロディアはたずねた。


「お兄様は、その御方を……グレンダさんを、心より慕っていたのですね? いいえ、今でも慕っていらっしゃる?」

「違う、そういうんじゃない!」


 すぐさま否定しておきながら、


「……いや……そうかもしれない……でも、こればっかりは認めてたまるか。絶対に認めちゃいけない! だって、グレンダに限っては、僕とも他の騎士とも、そういう類の馴れ合いを求めている女性じゃないことは目に見えてあきらかなんだからさ!」


 などと供述しており。

 なるほど──もはやフリューエどころか、神を信仰する次元レベルで慕っていらっしゃることはよーくわかりましたわ。



 ただ、メロディアは女性ひとりにここまで乱心し、執着しているアクセルがひどく物珍しく思えた。

 そもそも屋敷でグレンダや騎士学校の話を聞かされていた時期だって──自分とは別の女性の話を聞かされたところで、多少のやきもちくらいはあれど、さほど気に留めていなかったのだ。

 なにせメロディアはとうに知っている。

 実はアクセルが、早い年頃からそこそこ夜遊びも嗜んでいて、あの公爵の息子らしく女慣れしていることくらい。本人はあくまでも妹やミュリエルには秘密にしていたつもりだろうが。


 だからこそ、グレンダとかいう騎士学校でただひとりの女性騎士に、メロディアもさほど重きを置いていなかったのだけれど。



「確かにグレンダは見てて飽きないけどね。いちいち同期や先輩騎士に突っかかったり、わざわざ愛想がないよう振る舞ってみたり、寮でみんなが隠し読んでいた聖書エロほんを教官に届けてみたり。剣の稽古なんて、僕がなにか言わずとも彼女のほうから果たし状を叩きつけてくるくらいで。たまには手心加えて、投げ飛ばされてもいいかなって魔が差した瞬間も何度あったことか!」

「……左様にございましたか」

「今回の作戦は、ミュリエルにも、騎士団のみんなにも心底悪いと思ってる……けど! 同胞を手にかけた魔女も、争いの火種を撒き続けている革命軍も許せないけど! それでもやっぱり、思い起こせば起こすほど一番許せないのはアルネ・ボムゥルだ! 僕が長らく騎士とはそれと定めてきた騎士道の象徴たる彼女を、横から掠め取っていった、あのロクデナシ! 一にアルネ、二にスティルクで追跡の邪魔しやがったエリック、三四飛んでようやくジュビアあたりだよ!」

「左様にございますか。……最後のお話ばかりは、口が裂けてもミュリエルにはよしてくださいね」

「当たり前じゃないか! ああ、駄目だ……僕はもう駄目だ……グレンダのいない公国なんか、確かに守る価値なんてないかもしれない……」




 膝を抱え頭をぐんと下げ、いよいよ本格的に騎士を辞めそうなアクセル。

 ここでようやく、はたと我に返ったのか、メロディアがじとりと湿っぽい視線を向けて見下ろしていることに気が付いた。


 なんだ、その顔? どういう感情だ?

 あまりに兄がみっともなくて、とうとう妹にすら愛想を尽かされたというのか?


「ごめん、メロディア。お前にこんな話を聞かせたところで──」

「なあ〜んだ」


 間延びした低い声、スンとした真顔。

 メロディアは確かにがっかりしていたかもしれない。いずれ訪れる互いの未来がにっちもさっちも行かなくなった時、残された最終手段で──というか、合法的に。

 本当に義兄をお婿さんにしてしまおう、などといったメロディアの目論みが、一瞬にして水の泡となってしまったのだ。


「お兄様の大嘘つき」

「え……?」


 困惑するアクセルへ、メロディアは心底つまらなそうに、自分でも驚くほど淡白に。


「ちゃあんと、いらっしゃったんじゃーないですか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る