掃討作戦(2)

 賊の姿はまだ見当たらない。

 火薬による投擲とうてき武器だったのか、魔法による攻撃だったのかもわからない。

 だが、こちらの居所まで完全に割れたわけではなかったとしても、作戦開始より前に炎が投げ込まれたということは、おそらく先発組の奇襲は失敗してしまったのだ。


「総員警戒!」


 そう呼びかけつつ、隊長がふいに。


「……スヴェン氏の貴重な提言が意味を為さなくなってしまったな」


 隊長は『枝分かれの道ノウンゴール』の騎士だった。つい漏らした嘆きの声をアクセルも近くで耳にし、


「こちらの炎はどう扱いますか」


 次なる行動の指示をあおる。隊長は間髪入れず答えた。


「多少森が燃えても構わん。最後尾の隊が消火用の水も運んでくれている──依然として我々の務めは変わらない」


 了解、と他の隊員たちも口々に返す。

 どうせ賊に居所が割れるのも時間の問題。片手がランプで塞がるくらいなら地面へ放り炎を広げ、自分たちの視野を確保したほうが賢明──



「────っ!!」


 ゾク、と。

 アクセルが感じたのは、音でも光でもない、これといった根拠がなくとも決して無視できなかった感覚。

 殺気がした方角へ剣を抜きざま、首──特に頸動脈あたりをかばうように薙ぎ払う。

 その剣身がたまたま──こういった類の偶然とは、単なる奇跡がもたらしたではなく、日頃の鍛錬と危機管理が引き寄せた幸運──炎とはまったく異なる光り物を叩き落とした。

 地面へぽとと落ちたのは細身のナイフ。


 ドサ。

 背後でなにかが地面へ倒れた音。首は動かさず視線のみを向け、音の出所を悟った刹那、アクセルは激しく己が選択を悔やむ。

 自分の心身は自分で責任持って守れたかもしれないが、それとほぼ同時並行で、仲間の騎士たちへ注意喚起するほどの余裕───他者の命にまで、責任は持てなかったのだ。



(──っ! くそ!)


 すぐ背後で立っていた騎士の、喉元から噴水が上がっていた。それが何色かまではあたりが暗くてはっきりしなかったが……。

 あきらかに他の隊員たちも緊張を走らせている。


 まさかこっちが先に奇襲を受けるとは。後発の隊だぞ?

 それほどまでに早く、賊は騎士団の接近に勘付いていたのか? 情報がどこかから漏れていた? 例によって国中に散らばっているかもしれないという諜報員の仕業か?

 くそ、なんとでも推察できてしまう。前線は今どうなっている?


 地面の炎が広がっていく間にも、さまざまな可能性がアクセルの脳裏をよぎった。

 だが今は、それらも自身と仲間たちの足を引っ張りかねない思考であろう。賊の攻撃はまだ終わっていない。


「おそらく集団ではない!」


 隊長の声も鋭さが増している。


「そう遠くにも潜んでいないだろう。投擲とうてきに気を付けつつ、あくまでも隊を以って個を叩くと念頭に入れろ!」


 要は、先走って孤立するなという趣旨の指示だ。

 ちょうどその時、わずかに遠くのほうで男の悲鳴がこだまする。賊の叫びか、あるいは、もしや別の小隊でも同じような手を食らっているのだろうか。


(騎士団は皆、同じ方角から森へ入ったはず。賊が先回りしてこちらの背後を取るなんてあり得ない。やはり潜伏兵か……?)


 アクセルは五感を研ぎ澄ませ、賊の位置を探る。

 炎のおかげでずいぶんと視野は広まった。これなら仲間を手にかけた賊の顔を直接拝める瞬間も近い──と。

 アクセルも、おそらく他の騎士たちも考えはおおむね同じだっただろう。



 彼らはこの後に及んで、まだ、賊の力量を見誤っていた。

 あり得ない──などといった常人の見識は、早々に捨て去らなければならなかったのだ。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 ジュウゥ。


「はっ!?」


 騎士のひとりが思わず驚愕の声を上げる。

 水があたり一帯に撒かれたような、はたまた、どこからともなく浸水が起きたような。

 広がりつつあった炎が、一瞬にして消え失せてしまう。同時に、地面がさっきよりもうんと湿っ気を含んでいることに歩き心地で察する。


 完全なる黒の景色。

 騎士たちの視界が奪われた。


「……っ、もう一度ランプを点けろ!」


 隊長の声からも焦燥が浮き彫りとなっている。

 なにをされた? 上空ではなく下から水が湧き出るなんて。

 いや、もし上からだったとしても、夜空ではまだ、一滴たりともなんて落ちてこなかったのに──



(雨だって!?)


 アクセルは気付くなり発声した。


「賊は『雨の魔女』ジュビ──」






 再びナイフの雨に見舞われる。

 アクセルはなぜか、呑気にも数時間前のイェールハルドの言葉を思い出していた。

 相手が有したすべの程度など、騎士団が長年積んできた鍛錬や研鑽の前には一切合切関係ない──。


 本当にそうだったんだろうか。

 いや、アクセルも確かに、自分と騎士団の力を心底信じていたのだが。

 再び襲いくるナイフを払い落とし、はっとして周囲を見渡せば、漆黒の風景でもかすかに聞こえた呻き声。

 次に凶刃に倒れたのが誰であったか、まもなく判明する。──アクセルの小隊から、指示を送る人間が失われてしまった。



 ふふ、ふふふふ、ふふふふふふふ……と甘くてかったるい嬌声が森でこだまして。



 アクセルは舌打ちする。

 炎にばかり気を取られていて──そう、賊が『焔の革命児ラーモ・デ・ジャマス』だと断定されていた時点で、奴らが使ってくるのが炎だけだと勝手に決めつけていた。

 そういえば、ひとりだけ居たじゃないか。

 時としてヴァイキングに扮装ふんそうした襲撃者に紛れ、時として焔を纏った少年少女を扇動し、すでに各所で同胞を何人も闇に葬り去ってきたという、艶めかしくも不快な、あざとい女。



「……へえ、そうか」


 呟くなりアクセルは細長い息を吐き、暗闇の中で剣を握る。

 いまだ闇と同化し、霧となって隠れ続けた賊へ、


「出しゃばってきたか……よりにもよって今、この僕の前で!」


 啖呵を切った。


「向かってくるか? 願ってもない。貴様には、僕も用がある!」


 なにも隊長や、散っていった同胞の命に対するあだ討ちとも限らない。

 アクセルは作戦の成就にこだわるまでもなく、随分と前から、『雨の魔女』との邂逅を待ち望んでいたのだ。

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