タバサ嬢の秘密



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 資料室に長居したせいで、二人が地上へ戻ってきた頃には外も館内もいっそう静まりかえっている。扉を開くまでは見張り番も立ったままうたた寝していたくらいだ。


「タバサ嬢。門までお見送りくらいはしましょう」


 アクセルの申し出に、タバサは廊下ではらはらと軽く手を振る。


「結構だ。私はこのまま公邸へ立ち寄り、鍵を公爵へ返しに行くのでな」


 二人は話し合いの末、あの本は資料庫へ置いておくことに決めた。

 双方ともに最重要としていた、島の所在が記されていない以上、不当侵入と窃盗がバレる危険を冒してまで本を持ち出す必然性は無しと判断したのだ。


「泊まりの宿もすぐ近くに用意してある。まあ、今すぐでなくとも、明日の朝に返したって遅くないだろうが」

「……左様ですか」


 アクセルは少し、次の言葉に悩んだ。

 彼女自身にこれ以上の個人的な用事はなかったが、ごくありふれたひとりの騎士として、どうしても確かめなければ気が収まらない事柄があったのである。



「日帰りではなく、宿泊の見込みが初めからあったのですね?」


 数歩先を進んでいたタバサが、アクセルの問いかけにさほど重くない調子で返す。


「うむ。団長どのと、個別での打ち合わせも入っていたのでね」

「それは日中のうちに済ませていたでしょう? それよりも、タバサ嬢。『消えた地平線ネイビーランド』の騎士は、誰ひとりとしてここへ連れてこなかったのですか?」

「連れてきたさ、二人ほどな。だが知っての通りお忍びだから、奴らは用が済むまでずっと宿に待機させてあるんだ」


 当然連れてきただろう。あたりまえだ。

 タバサはもはや、単身で遠出しての行動が許されるほど身軽な立場ではない。

 だが──



「お忍びでも適した采配とは思えませんね」


 アクセルはまだ釈然としていない。


「彼らはあなたを護衛するためにここまで馳せ参じたはずでしょう? 本部内でもない場所で暇を潰させて、あなたをいざという時に守れますか?」

「……ふん」


 あまりにはっきりと告げられるので、タバサもやや機嫌を損ねたような口の尖らせ方をする。


「私の従者でもない騎士風情が説教か?」

「その騎士風情を正しく使いこなすのが、あるじたるあなたに求められている責務だと、直接は苦情を言えないであろう彼らに代わって口添え申し上げています」


 一歩二歩と強く踏み込み、怯むどころか問い質す。


「ましてや……あなたの采配によって、彼らが為すべき務めを果たせなかったと団長や男爵に捉えられてしまっては目も当てられませんよ」

「は? アクセル氏。先ほどからなんの世迷言を──」





 首のみ回してアクセルへ顔を見せようとしたタバサの片腕を掴む。

 流れるままに腕を反らさせ、背中ごと胴体を返させることで彼女の背後に周り、壁へ押し付けるように動きを封じた。

 タバサが壁へ額を打ちつけそうになった、鈍い音だけが廊下で微かに響く。


「っ──」


 抵抗する暇もなければ、今更アクセルの拘束から逃れる術もない。

 タバサが表情を歪めさせようが構わず、空いているほうの手でブラウスの袖──ズボンだけならまだしも、夏場に暑苦しい長袖を着込んでいた彼女の、手首のボタンを外して乱暴に腕をまくらせる。


 騎士じゃあるまいしもっと涼しい格好をすれば、と声を掛けられた時から提言したくてうずうずしていたのだ。

 先日のメロディアもそうだ。かのいじらしく愛しき妹も、紅茶を入れそびれて火傷したという、その痕を兄へ隠しておきたい事情があった。





「……はあーっ」


 抵抗も言い逃れも諦め、壁へ手を付き、今度こそ機嫌を損ねたタバサが、


「ヘリッグと名が付く男は……やはり騎士には向いていないんじゃないか、?」

「良い趣味してますね」


 怒り心頭と言葉で主張してもアクセルの声色は冷ややかだ。

 もっとも、同じ騎士を名乗ったグレンダが相手じゃあるまいし、フリューエを文字通りねじ伏せる騎士など聞いた試しがないという苦情は甘んじて受け入れるほかない。

 かといって、腕の生々しいあざと──ついでに胴体をひっくり返して偶然発見した、黒髪に隠されたうなじ下あたりの噛み跡を、見過ごすわけにもいかなかった。


「いえ、のご趣味かまでは推し量れませんが。……これ、『消えた地平線ネイビーランド』の騎士たちは把握してるんです?」


 隠していた、あるいはわざわざ告げなかったことを看破されたと見るや舌打ちするタバサを、


「これが見付かったら、いくら遊女と名高いあなたでもドンかれますよ。どう説明するおつもりで? 熊や獰猛な獣に襲われたとでも?」

「余計な世話だ。よその騎士は放っておいてくれ」

「よその騎士だから忠言申し上げているのです。どうしてもご自分の口では説明が難しければ、僕がエリックへ直接──」



 さらに問い詰めるなり、がくんと周囲の温度が冷え込んだような錯覚。

 タバサから妖艶とはまったく別の怪しい気配を感じ、アクセルは追及を中断した。


「……やめろ」


 角度的に表情が伺えない、タバサの声も低く冷たく。


「やめろ。それ以上勝手をすれば、よその騎士だろうと容赦無く半殺はんごろすぞ」

「……あなたはご自分の騎士を殺すのですか」


 アクセルは不可解そうに返事するも、ようやくタバサを解放する。

 口を完全に閉ざし黙り込んだまま、その場で身なりを整えているのをしばらく真顔で眺めていたが、


「……おっしゃる通り」


 やがて静かに語る。


「僕はいまだ、騎士が本来はどう立ち振る舞うべきか、真の正しさを見出せていません。この性分も騎士には向いていなかったでしょう。ですが……」


 タバサとの密会だけではない。

 集会で起きたあらましや、イェールハルドの指導も思い出しながら。


「唯一はっきりしていることと言えば、ただいま仕えているあるじから信頼されず、物理的にも心理的にも、守れる位置にすら立たせてもらえていないようでは、僕も……エリックや彼らも、そこで騎士を名乗る意義はないに等しい」

「ちっ」


 自省の念も込めつつ言い聞かせると、タバサは初めて決まりが悪そうに目を逸らす。


「それでよく新米騎士を名乗れるな、アクセル氏」


 それだけを言い捨て、反論らしい反論もないまま、別れの挨拶もせずに廊下を歩き去ってしまったのを、アクセルはあらゆる感情で脳を圧迫させながら見届けたのだった。


 騎士がすべきこと、改めるべきことなら、騎士の自分がいくらでも手段を講じられる。

 だが、肝心のあるじがいつまでも己の過ちを改めようとしなかったなら──。


「……ちくしょう」


 最後に残ったのは、やっぱり自力のみではどうにもならない歯痒さであった。

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