深淵にのぞむもの(3)

 古びて劣化が進んでいる紙を、机へ腰掛け破かないよう慎重に開くタバサ。アクセルも彼女のすぐ背後に立ち、固唾を飲んで見守っていた。


(設計図……いや、地図か?)


 アクセルは首を傾げた。図面はともかく、文字がまったく読めない。

 騎士学校でも一応は他国の言語を習ったはずで、どこの国の文字かも判別つかないなんて珍しかった。

 見方によっては、大人もしくは出来の良い子どもが作った絵本や落書きとすら。


(……待てよ。。造形、どこかで……)


 記憶を懸命に探っているアクセルへ、タバサが口ずさんだ。







「は?」

「ノウド半島より西南、うんと海を渡った先にあるという孤島だ。ちまたで出回っている王国地図および大陸地図には一切記されていないが……アクセル氏。心当たりは?」


 数秒ほど思案し、アクセルもはたと思い出す。

 絶海の孤島。遥か古代に朽ちたんだったか、海の藻屑となって沈んだんだったか。

 ああ、確かに伝え聞いたことがある。もはや架空の国家とさえ思っていたが。

 その逸話を最後に聞いたのはいつだったか。そもそも誰に教わった? 公爵なはずがない。とすると、おそらくメロディアの母親……やはり、おとぎ話みたいな感覚ノリか。


「よくこんな化石じみた伝承をご存知でしたね」


 アクセルに驚かれると、いたって真面目な顔をしたタバサが、


「私も調べが付いたのは直近だ。そうか、知っていたか──ならば、アクセル氏」


 続けてたずねてくる。


使──これも、ヘリッグの間では周知されていたのか?」

「……………………え」


 返答らしい返答もできず、結局乾いた息のみを漏らす。アクセルはとっくに、未知を取り繕う心の余裕を失っていた。

 その反応を答えと見做してか、タバサは浅い息を吐く。


「そうか。知らないか」

「え、ど、こで、そんな……いやっ、まさか! アルネ公子はあれでも一応」

「同じ公家の者が魔法を宿すなどあり得ない──と言いたいのだろう? うん。私も、その通説を覆すつもりはない」


 タバサのどっしり構えた態度からして、これほどの乱暴を働いておきながら、自分よかずっと心のゆとりがあるとアクセルは感じた。

 現実には、彼女も内心苛立っていたのだが──なにせ、もうずいぶん長いこと愛煙あいえんに触れていないものだから。



「ここからは私の推論だが」


 ポケットへ片手を入れ、煙草の箱にも軽く触れながら、


「アルネ公子にエスニアの革命軍、そしてこの私。我々は血筋によって魔法の力を継いだのではなく、この、とうに忘れ去られた亡国で今なお生き永らえている──」


 つつと、もう片方の指先で島の中心部に描かれた、生物と思しき絵図えずをなぞる。

 馬か、大鹿オオジカか、蛇か。

 形容しがたき体躯を持つそれに、アクセルも若干の寒気を抱く。


──神だか化け物だか知らないが。二十年前の災害『死の雨シーレライン』を介して、こいつから一方的に押し付けられた厄物やくぶつだったのではないかと、私は考えているんだ」

「『死の雨シーレライン』が? ……まあ、確かにあれは騎士団でも『雨の魔女』の仕業という仮説が……いえ! かといって、こんなものまで現存していると? ……馬鹿な!」

「そうそう。イース城に現れたという、通称『雨の魔女』もこの推論の該当者だな。もしかすれば我々は、この怪物や、怪物にくみした人間によって、明確な目的に基づき、別に求めてもいなかった力を強引に持たされているに過ぎないんじゃなかろうか?」

「……」


 タバサの推論はにわかには信じ難く、アクセルは何度も思考を止めそうになった。

 しかし、その話が暴論だとも決めつけられない事情もある。



「そして──グレンダだ」


 タバサの言葉尻が強まる。


「彼女に関しては、きみのほうがずっと詳しいだろうがね。それでも、ほんの一時付き合ってみればすぐにわかる。彼女が持つ感性はとことん世俗離れしていて、本当に騎士学校の中でしか教養を育んでこなかったのであろう、初心な生粋の箱入り娘」

「……っ、それは」


 仕方ないだろう、とアクセルは擁護しかけた。

 彼女は幼少より孤児院育ちで、その出自も親元も、自分でもはっきりわかっていないと──


「えっ、……あっ」


 アクセルがなにかに気付いたのを見計らうような頃合いで、


「なにより、あのだよ」


 孤島の実在についても、魔法を宿した経緯いきさつについても、極めて有力で決定的な根拠を述べた。


「もしや──グレンダこそ、この島でせいを受けた人間だったのではないか?」



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 どくどくと鼓動が早まっていく。

 急速に芽生えた感情から、タバサがアクセルへなにを伝えようとしたのかも、自分がなににこだわっているのかも明白となってしまった。


「……タバサ嬢。つまりアルネ公子は……グレンダは、今……」

「応とも」


 力強く頷き、本を閉じるタバサ。

 とっくに半島から姿を消した者たちへ、思い馳せているのはアクセルだけではない。タバサは本の表紙を愛おしそうに撫で、


「間違いなく生きているよ。この島にも一度くらいは着いているだろう……否。というのは私の希望的観測にも聞こえてしまうだろうが、彼女らこそ、私たち魔法使いと共に生かされ続けていると考えるべきだ。己が努力だけでなく、他者の思惑も大いに絡んでいそうなのが気がかりではあるがね」



 起立し本を元あった位置へ返そうとしたのを、


「待ってください!」


 アクセルはすかさず制止した。本を持っていたタバサの手を押さえ、


「場所は? 西南などという曖昧でなく、書物には半島や大陸と合わせた地図や、島の具体的な位置がわかるような、指標となりうる記述はされていないのですか?」


 奪い取るように本を持ち上げ、必死の形相でパラパラとめくる。

 だがいかなるページでも絵本みたいな字面じづらばかり続いていて、地図としての役割を果たせている記述はまったくない。


「……見当たらないだろう?」

「なぜだ!」タバサの確認するような呼びかけで声を荒げる。「肝心の地点を記さずして、この書物にどんな文献的価値を見出せと言うんだよ!」


 アクセルの言い分はもっともだった。

 その観点は自分にはなかったと、タバサも椅子に座り直し、口元を手で覆い考え込む仕草を見せる。


「……なるほど……」


 タバサは重々しく口を開いた。


「こんな書物をわざわざ残してあるんだ。島の所在だけは特定の人物もしくは組織によって意図して秘匿され、文献には記さず、ただ存在のみを後世へ語り継いでいる……と、見るのはどうだ?」

「意味がありますか、それ? 後世へ継ぐ必要があるから継いでいるのでしょう。誰にも島の所在を知らせていないようでは──」

「ゆえに、アクセル氏」


 困惑しきったアクセルへ、彼女もまた追い縋るような真剣な眼差しで。


継承が為されている……と、いう線であれば?」

「──っ!」

「無論、疑わしいのはまず公爵だ。彼なら、自分の家から懇意こんいにしている店までの道筋を覚えておくような感覚ノリで、島の所在を頭に留めていてもなんら不思議ではないだろう?」


 馬鹿を言うな──とはアクセルの目線でもならない。

 そしてタバサが頼みの綱としたのは、なにも公爵だけではなかった。


「これぞ、外様とざまの私よりきみのほうがずっとアテが多そうだ。イェールハルド団長でも、他の騎士やグレンダと特別親しかった者でも……とにかく、彼女といかなる相関関係にあろうが構わん。なあアクセル氏。──公爵を除き、に心当たりはないのか?」

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