深淵にのぞむもの(1)
あり得ない──と直接は声に出さなかったものの。
アクセルの本音だだ漏れな表情で、タバサはにぃとしたり顔を浮かべた。
「やあ、アクセル公子……いや、今は騎士様と呼ぶべきかな?」
「なぜあなたがここに?」
動揺を隠しきれず声量が大きくなりかかると、しっ、とタバサは唇へ人差し指を当てがう。
すぐさまお忍びの匂いを嗅ぎ取り、アクセルは渋々声を潜める。
「……スティルク領からの来客など、少なくとも僕は知らされていませんが」
「そりゃそうだろう。誰にも知らせていないからな」
さも当然と言った口振りで、
「知っているのは公爵と団長と、今晩が担当となっていた門番くらいさ」
タバサにのたまわれ、アクセルはその場で頭を抱えたくなった。
アクセルみたいな新参でさえ、タバサの遊び好きも放浪癖も、騎士の間でお噂はかねがねといった調子なのだ。
公邸へもしばしば顔を出しているとは話に聞いたことがあったが……まさか、極秘任務が差し迫った重要な時期でも、本部内を好きにうろつかせているのか。
(イェールハルド団長。──やはりあなたは、この自由極まった
幽霊を見たようなアクセルの反応を面白がってか、タバサはにやにやと悪い笑みを続けている。
「まさか他の騎士に告げ口するんじゃないぞ? 私も、公子が相手であればバラして問題ないと踏んで、こうして顔を見せたのだからな」
「もちろん誰にも伝えません。……もとより……」
アクセルはわずかに言い淀み、目を伏せた。
「今の僕はあなたの行いを咎める立場も、止める権限も持ち合わせていない新米騎士です。ええ、おっしゃるとおり公子ではありませんので」
「いやいや」
タバサはすかさず訂正する。
「騎士であることと公子であることは、きみの中じゃあ別に矛盾しないだろう?」
なにかしら言い返そうかと図ったけれど、同じ騎士ならともかく、よそのご令嬢を相手に騎士道を説こうとムキになるのは、ただの無駄骨と思い留まる。
同時に、アクセルは閃いてしまう。
今回ばかりは、タバサはただ遊びにクロンブラッドへ立ち寄ったわけではない。
なるほど、ようやく得心いった。──やはり明々後日の極秘作戦には、スティルク領も一枚噛んでいたのか!
あるいは。
より厳密に言えば、『
どうりで団長も仏頂面で口をつぐんでいるわけだ。
なにせ彼女は、遊びとは別の方面で──そちらの噂もすでに知る人ぞ知るとなっていたものの、また正式には公表されておらず世間へはひた隠している、男爵令嬢とは異なったもうひとつの顔を有していたのだから。
「決行場所となった例の森……実は、私が昔から趣味で使っている狩場でね」
タバサも、アクセルには一連の真相を隠すつもりがないらしい。
「私も、公爵から直々に
「それで自らご出陣を?」
一旦止めていた足を進め、タバサと同じ通路まで移ったことで、極力人目がつかないよう配慮する。
「この件は団長の他にどなたが把握しているのですか? まさか全体の作戦行動を無視して、おひとりで自由に暴れるわけではないでしょう?」
「くっくく……そのまさかだよ、アクセル氏」
タバサは心底楽しげに、しかし遠くへ声を響かせないよう笑いを噛み殺した。
「私みたいな飛び道具はさ、
「……どうでしょうか」
飛び道具──落雷。
まったく、どこまでも彼女は隠す気がない。
「あなたの落とし所次第では、危うくこちら側も巻き込まれかねませんが? せめて団長へは、あらかじめ落下地点を予告できる手段をご用意願えますか」
アクセルがため息混じりに要望すれば、タバサも「無論」と短く返す。
もともと、噂を疑ってはいなかったけれど。
彼女はこの軍事極振りしたノウド公国で、ただひとり現存が確認されている──雷を自在に操る『魔法使い』であった。
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
魔術の心得もなければ魔法使いの血筋も一切持たないとされている公国にとって、今のタバサは決して替えがきかない、言わばワイルドカードの真逆を
今になって思えば、作戦決行が真夜中に設定されていたのも、タバサの魔法を最大限活用できるようにするためだったとアクセルは分析する。
「短い期間で、ずいぶんと偉くなられましたね」
アクセルが精一杯に皮肉を込めても、タバサは怒るどころか嬉しそうに口角を歪めた。
「今はまだ、優秀なきみらに隠れて息を潜めた動きしかできないがね。近頃の情勢の様変わりからして、イェールハルド団長みたく最前線で旗を取らされる日も近いかもしれないな」
「そうですね」
ため息も出ない。ここまで自信たっぷりに自惚れられると、潔く諦めがつくというものだ。
そして謎もすべて解けた。これだけ本人から直接話が聞ければもう満足だ。アクセルはタバサの脇を通り抜け、寮へさっさと帰ろうとする。
「此度はよろしくお願いします。あなた様の躍進を、自分もクロンブラッドよりご祈願いたしておりますので──」
ガッ──と。
女性にしては強めな力で肩を掴まれる。振り解くのはいくらなんでも失礼なため、アクセルは面倒くさそうな顔を作り、自身とトントンな背丈をしたタバサを見やった。
「……まだなにか?」
「まだもなにも」タバサは片眉を上げる。「私はきみへの用事を始めてもいないよ」
どんな用事だ。勘弁してくれ。
あなたみたいに開けっぴろげな女性、一夜たりともお相手なんか務めたくない。
はっきり言って僕の
「……折り入って相談がある」
タバサは急に笑みを消して真剣な顔つきとなる。
どうやら用事の内容は、アクセルの予想と大きく違っていたらしい。
「本部地下にある、歴代の軍事作戦や
アクセルはいっそう険しい表情を浮かべた。これは演技ではない、本心だ。
予想とは違っていたが、これならまだ遊びの誘いであったほうが遥かにマシだったかもしれない。
「……当然ご存知だと思いますが」
声のトーンをぐっと落とす。これぞ、他の騎士には絶対聞かれてはならない密談だ。
「あの資料庫は基本封鎖されていて、所用がある関係者にしか立ち入りが許されていません。部屋の鍵だって……それこそ、団長や副団長といった限られた人間しか所持していないはずで」
「わかっているとも」
タバサの黄金色の目は揺らがない。
とはいえ自分自身でも声のテンションをうんと落としていて、事の深刻さ、己が発言のやましさを自覚しているようだった。
「そこのところ、どうにか無理を通してくれと私は頼んでいるんだ」
「僕では不可能です。どうしてもとおっしゃるなら、まずは鍵を持っている団長をご自身で説得して──」
──チャリ。
タバサがズボンのポケットへ隠し持ち、ふくよかな胸の前まで掲げたそれに、またもアクセルは仰天させられる。
「……はっ?」
「無論、鍵のほうは解決してある」
いったい誰から預かって──いや、くすねてきたのか。
アクセルでさえ出し抜けないイェールハルドや、彼ほどでなくとも十二分に優れた副団長を、彼女ひとりでどうにかできるはずがない。力技どころか口八丁も通用しないような方々だろう。
いや、待てよ。鍵のアテなら、騎士の他にもいたではないか。……まさか!
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