イェールハルド団長の騎士道

「あの場で、お前は何者として立っていた?」

「……は?」

「騎士か、あるいはメロディア公女の兄か」


 アクセルはイェールハルドの質問に答えられない。質問の意図がわからなかったと言ったほうがより正確だ。

 呆気に取られた表情を見るなり、イェールハルドは返事を待たず淡々と言葉を続けた。


「彼女の親族としてあのテーブルにならば、その際にお前が感じたこと、縁談や婚姻にまつわる己が見解、妹の進退への展望──それら一切について、両家と無関係な私が私見しけんを有し、お前や彼らに伝えるべきではない。逆にお前は、兄としてお前から公爵へ、直々に口添えするのも悪くなかっただろう」

「……団長、それは」

「だが」


 イェールハルドの語気がぐんと強まる。


「騎士としてであったなら、私も──、あの場で起きた一切について、私見しけんを有するべきではない」

「……っ!」


 青い両眼をかあっと見開く。

 彼がなにを言わんとしているのか、これからどんな説教をしようとしているのか、アクセルはここでようやく理解した。


「公爵と、メロディア公女、そしてヴェール伯爵とそのご次男。彼らがあの場における当事者であり、彼らが下した決定に、お前は口を出す権限を持っていない。持つべきではなかったのだ」

「お言葉ですが」


 今度こそアクセルは言葉を返し、やや早口気味に反論する。


「メロディア公女の担当騎士としてあの場にいた以上、自分もいち当事者だったと解釈しております。ゆえに、公女の進退をおもんばかるのも重要な騎士のにんでは──」

「否だ」


 やはりイェールハルドの意志は固かった。

 緩やかな足取りで再びアクセルの目前まで迫り、


「騎士に騎士としての気構えこそあれど、個々で異なる私見しけんや、独自で勝手に抱いた志など必要ない。むしろ不要だ。持たないほうが良い」


 立ち止まった時、イェールハルドの全身から放たれた威圧感は、剣を交えた時よかずっと増していた。


「ただ必要なのは、己があるじを守り抜くためのすべと忠誠の心。心はあるじへ捧ぐもの、志は己で抱くもの──これらは、まったくの別物だ」



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 アクセルはそれ以上なにも反論の言葉を発さなかったが、あきらかに、イェールハルドの主張には得心いっていない様子だった。


 公国ならびに己が主君へ無償の愛をもって尽くすこと。

 そこが戦場いくさばであろうとも常に騎士の矜持を忘れぬこと。

 なによりも主君への忠誠と──を守ること。


 ああ解釈違いだ。特に三つ目の項目に関してはまるっきり──と、アクセルの顔が雄弁に語っている。


「理解できない……いや、納得できなかったか」

「申し訳ありません。自分は──」

「構わない。これはあくまでも、私自身が信じ、貫いてきた騎士道だ」


 説き伏せるつもりもなかったらしい。イェールハルドはあっさり身を引き、数歩ほど後退し、改めて木製剣を返しにいく。



「……今でこそノウドの象徴かのように扱われているが」


 木製剣を置き、自分自身の愛剣と持ち替えればイェールハルドの語り口は次第に落ち着きを取り戻す。


「騎士とはもともと、要人ようじん護衛のにんに就くのみの、公国でも陰なる存在だった。無論、時流によって騎士があらゆる局面で表立ち、大衆への露出も増えていったことに関して、私がなにかしら意見するつもりはない。……ただし」


 腰へ真剣を差し直し、


「それによって元来から求められ、今なお求められている職務をまっとうできなくなるようでは、その者は騎士として不適格と言わざるを得ない」


 しんしんと、しかしきっぱりと断じたイェールハルドに、アクセルは複雑な気分をもよおす。


 彼の主張はまったく間違っていない。正論が過ぎて歯向かう気にもならなかった。

 一方、長らく騎士団のいただきに君臨してきたイェールハルドが、こんなスタンスを延々と続けてきたおかげで、公爵はいつまでも独自の価値観から離れない裁量で国政を動かしているし、今の公邸にいる従者たちも、次第に個人感情を希薄にさせていったのだろう──と容易に想像が付いてしまう。


 もし公爵が、致命的に内政や大陸情勢が傾くような暴挙に出ようとしたならば、さすがのイェールハルドも止めるだろうが……。

 せっかく公爵には、全幅の信頼を寄せられているのだ。

 少しくらいはあの非道徳的で非常識な男の手綱を握っていてくれたって、バチは当たらないと思うんだけれど。



 そんなアクセルの願いむなしく、イェールハルドはすたすたと稽古場の入り口を目指す。


「此度の作戦についても、なにも説明されていないということは──指示されていないということは、つまりそういうことだ。あらぬ裏を汲み取り、独自の判断で動くようでは、その瞬間に本来すべきだった思考が鈍ってしまう」


 結局、イェールハルドの説教の主題はここにあったのだろう。

 誰がなにをどう思おうが、指揮権や決定権、作戦におけるすべての主導権は、今回ばかりは自分にあると、アクセルへ釘を刺しているようだった。


「本日の稽古はここまでとする。今伝えたことは、以後、留意するように」


 悠々と稽古場を去っていく背中へ、アクセルは形だけでも明快な声で挨拶する。


「ご指導ご鞭撻ありがとうございました!」


 その声色に反して、気持ちは薄暗い。

 彼が信じる騎士道に則り、彼の配下として動く日々は──その期間は、いったいどれほどまで続くのかと、アクセルは頭を下げたまま想像し、先が思いやられてしまったのだ。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 稽古場を出て、本部内にある食堂で夕飯を済ませたアクセルは、今日はこれで浴場行って寮へ帰って寝てしまおうと考えながら廊下を進んでいた。

 外はとうに夜だ。廊下を照らす明かりもほどほどで、すれ違う深夜巡回の騎士以外は、おおむね仕事を終えて寮に戻るなり、街へ繰り出すなりしていただろう。



 廊下を歩いていて──ふっと、人気ひとけが完全になくなった瞬間があった。



(っ! 誰だ?)


 勘頼みとイェールハルドにダメ出しを食らったアクセルだが、その勘は下手な年配騎士よかずっと鋭く、そこいらの野獣よりもうんと鼻が利く。

 曲がり角の暗がりで良からぬ気配を感じ、早くも賊を見付けたような視線をその方角へ送る。






 ──女、だった。

 壁に寄りかかり腕を組み、アクセルと同等かそれ以上の、獲物を捉えたように挑戦的で高圧的な、

 淑女らしく綺麗に整えられた黒髪と、ズボンを履いた男装じみている格好で、それが何者であったか、アクセルはすぐに見分けられた。



「……タバサ・スティルク?」

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