騎士たるもの(2)

 アクセルが最後の支度を整えているうちに、馬車が第三邸宅へ迫ってくるのが二階窓から見えた。

 黒いブラウスに袖を通し、ネクタイをぴしと締め、左胸へ藤の花ヒース徽章バッジを飾る。

 騎士となったアクセルは階段を降りて、玄関で待っていたミュリエルと荷物を外へ運び出し、ブーツを屋敷の外へ一歩踏み出させ──


「お兄様!」


 背中からメロディアに呼び止められる。

 後追いで階段を駆け降りたのだろうメロディアは、息を切らし紅潮した頬で、


「これを……こちらを、どうか持っていってください!」


 と叫ぶなりアクセルへ寄り掛かるようにして走った。

 つまずいて倒れ込まないようアクセルが両腕で華奢な体を受け止めれば、その両手で大事そうに抱えたそれに、すぐさま心当たりを抱く。

 ペンギンのブローチ──かつてアクセルが、誕生日を迎えたメロディアへ贈った光り物。


「……良いのかい? だって、それは僕が」

「確かにお兄様から授かった、メロディアの大切な宝物ほうもつでございます。だからこそ、今は、どうかお兄様のお手元に置いておいて欲しいのです」


 メロディアは乞い願うようにブローチを額へ掲げ、愛おしそうに軽く肌を合わせると、そのままアクセルの手のひらへ握り込ませた。


「必ずそれを持ち帰って……わたしの元へ帰ってきて、きちんと返していただきます。この第八公女との約束ですよお兄様。絶対の絶対、ぜえ〜ったいに、ですからね!」


 ──ああ。

 なんて愛おしい妹で、いじらしく健気なお姫様なんだろう。



 アクセルはしばしもの間、懸命な顔で見上げてくるメロディアを眺めていたが、ふと広い額が気になり、ふっと微笑みをこぼす。

 芽生えてきたのはアクセルの中に残された、兄や騎士とはまた別なる立場から生まれるちょっとした悪戯心。


「ああ、約束する。他でもないメロディアとの契りだ。……でもね」


 言ってアクセルは顔を寄せ、唇を近付け──無防備だった額へそっと落とす。


「────っ⁉︎ な、っお、おにいざまあっ⁉︎」


 ぼっと耳まで真っ赤に染め上げ、額を両手で抑えたメロディアを面白がるように、背を正しながらも片足を曲げて姿勢を楽にし、


「僕がすでに優れた騎士だと、昨日馬車で言っていたね? それは違うよメロディア」


 嘯いてみる。


「だって──僕は、ここからもっと強くなる」




 その言葉に笑ったのはミュリエルだった。

 頼もしいですね、と小さく呟いてから深く会釈し、


「いってらっしゃいませアクセル様。いつでもお帰りをお待ちしております」


 お決まりの台詞を口ずさめば、アクセルもふざけてウィンクで返した。


 かくしてブローチ片手に軽い足取りで馬車へ乗り込んだアクセルは、これから戦場いくさばへ向かう男とは思えぬほど、あたかも近所へ買い物に出かけるような勢いで颯爽と第三邸宅を抜け出していったのである。

 最後の最後でアクセルの道化となったメロディアは、みるみるうちに遠ざかっていく馬車へ、


「う〜、う〜……おっ、お兄様の卑怯者〜〜〜〜〜っ!」


 と、苦し紛れの遠吠えをしたのだった。

 その敗北宣言を背中で捉えつつ、馬車の中でアクセルは肩をすくめる。


 そうだよ。僕と彼女らとの別れなんて、ほんの一時のことなんだから。

 別れの挨拶だって、このくらいがちょうど良いのさ。

 あとは僕が、きちんと騎士の務めを果たし帰ってくるだけだ。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



海を翔ける鳥ペンギンナイト』本部。


 通常業務に復帰したアクセルが、イェールハルドから直々に呼び出しを受けたのは三日後のことだった。

 用件は呼び出される前から薄々察しが付いていた。

 というのも、今日はヴェール領より『枝分かれの道ノウンゴール』の騎士たちがすでに来訪していたのだ。


 アクセルが作戦室前の廊下まで着いた頃には、他にも呼び出されたであろう団内の精鋭たちが並んで待機していた。


「失礼します!」

「「失礼します!」」


 代表者に続き、アクセルも他の騎士たちにならい挨拶を述べ、作戦室に入り、中で待っていたイェールハルドや『枝分かれの道ノウンゴール』の騎士たちへ敬礼する。

枝分かれの道ノウンゴール』からは幹部クラスの騎士が数名と、つい先日公邸で会ったばかりのスヴェンも一緒に呼ばれていた。にこと、スヴェンから円卓の対角で笑いかけられても、新参のアクセルはその場で軽く会釈するに留まる。

 全員が円卓に着席したのを見計らい、イェールハルドは宣言した。


「ただいまより、両団合同で遂行される極秘作戦──『焔の革命児ラーモ・デ・ジャマス』掃討、その仔細しさいを説明する」




 壁際に置かれたでかでかとしたボードへ貼り出した地図を指し示し、


「『枝分かれの道ノウンゴール』が特定したエスニア革命軍『焔の革命児ラーモ・デ・ジャマス』の潜伏先は、ヴェール領とスティルク領のほとんど境目に位置している。国境くにさかいとは反対の方角にある森奥で、不審な人の出入りが夕方から早朝にかけて、数度確認されているとのことだ」


 イェールハルドから説明を受けると、アクセルは密かに意外と感じる。


 ヴェール領とスティルク領の狭間……つまり、次第によってはこの作戦には、スティルク領の騎士団『消えた地平線ネイビーランド』も加わる可能性があったというわけか。

 どうして向こう側は携わらなかったのだろう。日頃こなしている国境くにさかいの防衛で忙しいから今回は身を引いたのか。

 あるいは、公邸のヴェール伯爵の様子からして、スティルク領に賊の一掃という大仕事を横取られないよう、先んじて各所へ根回ししていたのか。


(後者だろうな。あの時、あわよくば僕にも擦り寄ろうとしてきたからね)


 もっとも、アクセルにゴマすったところで効果は薄い。

 騎士としては新米で、公子としての立場も捨てたような彼に、作戦の人事権が持てるはずがないからだ。


「確認された限りでは侵入者がいずれも成人していない少年少女と見受けられているために、賊が『焔の革命児ラーモ・デ・ジャマス』であると断定された。作戦は二日後、深夜の決行となる。目的は拠点の制圧と賊の身柄確保。可能な限り生け捕りが望ましいが……戦況次第では。なお本作戦においてはこの私、イェールハルドが統括指揮を執り、現場での最終判断も私が下すものとする」


 イェールハルドがぐるりと騎士たちを見渡し、


「異存ある者は?」

「「異存ありません!」」


 問いかければ作戦室にいた全員が叫ぶ。

 アクセルも、彼の説明に心から異存なかった。特に指揮官に関しては、ただ団長として歴が長いだけじゃない、これまでに数多の作戦を経てきたイェールハルドであれば、決して役不足になどなり得ないからだ。



 ただ、その上で疑問は残る。

 あの日ミュリエルが朝食中に話していた、『海を翔ける鳥ペンギンナイト』が直接この作戦に加わる理由──それについては唯一、説明不十分と感じたのだ。


(やはり、なにか『海を翔ける鳥ペンギンナイト』の側に事情があるのか? ヴェール領どころか、僕ら作戦の参加者にも知らされていないような、なにかが)



 詳細を聞いている間もアクセルの疑問が解消されることはなく、


「以上、解散!」


 イェールハルドの号令により、作戦会議はお開きとなる。

 流れで場にいた『海を翔ける鳥ペンギンナイト』の騎士たちは来客がヴェール領へ帰っていくのを見送ると、自分たちも通常業務へ戻るなり、そのまま退勤するなりで散り散りとなった。

 アクセルも今日は警備担当ではなく、事務的な書類仕事も今日中にこなさなければならないぶんはとっくに終えた後である。


 普段よりやや早い業務終了となり、アクセルが悩んだ末に向かった先は──。

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