二章 真夜中の混戦と公女メロディアの純愛

騎士たるもの(1)

『ヘリッグ集会』を終えた翌朝。

 自室で眠りから覚めたアクセルは、軽装に着替えるなり屋敷を出て外周を駆ける。

 ランニングとその後の素振りは騎士にとって欠かせない日課のひとつだ。アクセルがしばらくの間、木製剣で宙を斬り裂いていれば、


「昨日はご苦労様にございました」


 早々と給仕服に袖を通したミュリエルが稽古の様子を伺いにくる。


「ヴェール伯爵のご次男はいかがでしたか?」


 アクセルもメロディアも昨夜は屋敷に帰ってきてからすぐに眠ってしまったため、ミュリエルにはろくに集会での出来事を伝えられていない。

 結果だけで言えば予定通り破談となったはずだが、メロディアは今回の見合い相手のことをさほど悪くは言わなかった。今後のヴェール領との関係を考慮して口をつぐんでいるだけなのか、それとも……。

 はたしてミュリエルにはどう伝えるべきか顔に出さず悩んだ末、アクセルは小さな笑みを作った。


「相手がどうという話でもなかったよ。やっぱり十五のメロディアにお嫁さんは早かったんじゃないかな」


 ミュリエルは数秒ほど黙り込みアクセルの言葉の裏を読み解いていたが、


「では、十九のアクセル様にこそ一刻も早くお嫁さんを連れてきていただかなければなりませんね」


 と軽口を叩き、あっさり庭から身を引いた。


(メロディアもミュリエルも、なんで僕が先だと決めつけるのさ)


 そう言い返してやる機会を失ったアクセルは木製剣片手に立ち尽くし、宙を仰ぐことでしばらく意味もない時間を過ごす。

 稽古を済ませ浴室の溜め水で汗を流し、黒い騎士服に着替え直したあたりでメロディアも起き上がってきて、ミュリエルから兄妹揃って朝食に呼ばれる。


 ──この朝食が終われば、しばらくはこの家に帰ってこないだろう。

 野菜のスープをていねいに味わいながら、アクセルは少しずつ家族と離れる寂しさと、それでも最後は帰ってこなければという緊張感をその顔に滲ませた。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



「二人は、エスニア共和国についてなにかしら噂を聞いてはいないかい」


 朝食のほとんどを食べ終えたあたりで、急にアクセルが口を開けば食卓の空気はずしりと重さを持ち始める。


「エスニア……ですか? ごめんなさいお兄様、わたしは特になにも」

「そうだろうね。どうせお前、めったに町へ出ないんだろう」


 メロディアはひくっと片眉を動かす。きっと大当たりだ。メロディアは幼い頃から屋敷に籠もっているのが好きで、ミュリエルが強引に連れ出さない限りはなかなか外へ遊びに行こうとしないのだ。

 幼い頃──厳密には、犬鷲に攫われて以降だろう。


「私はよく買い出しの折に噂を聞いておりますよ」


 ミュリエルは顔色ひとつ変えず、


「なんでも、王政を翻した革命軍たちがその勢いのまま帝国に攻め入り、次はこのノウドの土地まで狙っているとか」


 ちまたで新聞が当たり前に報じているような話を口にした。

 だが、ミュリエルが聞き及んでいたのは世間話の範疇に収まる内容だけではない。


「アクセル様が戻られるよりも少し前の時期に、弟のオーラヴから珍しくふみが届きまして。その革命軍と、もしかしたら自分たち『枝分かれの道ノウンゴール』が近いうちに剣を交える展開が訪れるかもしれないと」

「そうか。……ヴェール領は思ったより早くに調べをつけていたんだね」

「あの適当な男がどこまで真に迫った話をしているかは、身内とはいえ外野風情には推し量れませんが。……アクセル様」


 ミュリエルは庭の時よりも、わずかに強い意志を込めてアクセルを見据える。


「それが、なにか?」


 アクセルにとっても今度は包み隠す余地がない。

 ミュリエルの弟は騎士団の中では中堅くらいの立ち位置にいるとはいえ、幹部とまではいかない程度だ。そんな彼でも知っているほど関係者にはとうに周知された話を、公邸で長く仕えているミュリエルになら明かしても問題ないと思ったのだ。

 スープの最後の一滴を飲み干し、一息吐いてから告げた。


「その革命軍が、すでにノウドに入り込んでいた。『枝分かれの道ノウンゴール』が領内にある奴らの潜伏先を割り出したんだよ」

「……! なるほど」

「その潜伏先を叩く作戦に『海を翔ける鳥ペンギンナイト』も加わることになったんだ」


 ごくん、とメロディアが口に含んでいたスープを飲み込む音が聞こえる。


「お兄様。……戦場いくさばに向かわれる、のですか?」


 メロディアの碧眼はみるみるうちに不安げな色へ移ろっていく。

 昨日のうちからアクセルがヴェール領との関係を気にしていたのはわかっていた。想像していたよりもずっと不穏な任務を知れば、まだ整えていない金髪が頼りなく揺れる。


「まあ、騎士って初めからそういう仕事だからね。いくら『海を翔ける鳥ペンギンナイト』でも、ずっとクロンブラッドに籠もりきりとはいかないさ」

「……それはそうでしょうが」


 ミュリエルは食器から手を離し、少しだけ考えるような仕草をした。


「その任務は『枝分かれの道ノウンゴール』が主体となって遂行されるのでしょう? その潜伏先というのもヴェール領で見つかったのですから」

「どうだろうね。もしかしたら指揮もイェールハルド団長が代わるかもしれないけれど」

「エスニアには魔術の才もあると伺っております。おそらく、ノウドにとってその任務が初めて革命軍と直接剣を交える機会となるのでしょう? ……まだ手の内がはっきりしていない相手をいきなり『海を翔ける鳥ペンギンナイト』が請け負うのは、いささかリスクが高い采配であるように感じますが」



 そこまで言い切るとミュリエルは、素人が出しゃばり過ぎたと自省したのか、席を立ちそそくさと食器を片し始める。


(さすが。ミュリエルは鋭いね)


 アクセルも起立すると、まだ座ったままうなだれているメロディアまで歩み寄り、ぽんと優しく頭を叩いた。


「大丈夫だよメロディア。僕はまたちゃんとここへ帰ってくる」

「……お兄様……」


 メロディアは目線を合わせないまま、がたんと立ち上がるなり早足で自分の部屋へ消えていく。

 この反応がむしろ平常だろう。弟が騎士になってから幾ばくのミュリエルが肝を据わらせ過ぎているだけだ。誰だって、家族が戦場いくさばに駆り出されると知れば動揺を隠せない。


(どうせ話すのなら、今の話は前日のうちにするべきだったろうか)


 妹を不安にさせてしまった不甲斐なさを噛み締める。

 この感情は兄としてのものなのか、騎士としてのものなのか。


(……駄目だな。僕にはまだ何もかもが足りていない)

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