縁を結ぶ(4)



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 ──もしかしたら。

 もしかしてお兄様は、わたしのために騎士になろうとしたのかしら。

 あの日、守れなかったと。

 自分が守らなければならないと、思わせてしまっているのなら。



(わたしはそのお気持ちだけでじゅうぶんですのに)


 フリルの多かったドレスを着替え、少しだけ身軽になったメロディアが馬車に乗り込む頃には空も赤く染まりきっていた。

 馬車が第三邸宅に着くのは夜更けになるだろう。


「本当に大丈夫なのかい? メロディア」


 車輪が動き出す手前にも、アクセルは何度かヴェール伯爵への苦情の申し出をするべきか案じていた。


「いや、大丈夫というのはお前の心持ち以上に、ここで一度有耶無耶にしてまた次の機会にヴェール伯爵からお前の立場を軽んじられるようなことがあってはいけないという意味で……」

「考え過ぎです。それより、お兄様も帰りまで付き添っていただけるのですね」


 メロディアはけろりとした様子に戻っている。


「もしかしたら集会が終わり次第騎士団のほうへ合流なさるのかと思っておりました」

「それはありえないよ。お前に付き添うことが僕の今日の務めだったんだから。……ああ、でも」


 自分の不甲斐なさを思い起こすように、アクセルはメロディアの隣で肩を落とす。


「その務めもろくに果たせなかったな。お前に辛い思いをさせてしまったのだから……ごめん。いくら公邸の中でも、騎士がほんの一時でもお前から離れてはいけなかったね」

「いえっ! わたしも承知したことなのですから、お兄様に落ち度はございません」


 離れてはいけない──。

 その言葉で過敏に反応したメロディアが、気を取り直すように話題を逸らした。


「それでしたらお兄様は、いつまで屋敷に残られるので? お休みを取っているわけではないのでしょう?」

「明日の昼には新しい馬車が迎えに来るかな。はは、とんぼ帰りだ」

「そうですか。でしたら、お次は騎士のお仕事としてではなく、ただの兄として長い休暇を取ってこちらに帰ってきてくださいね」


 アクセルは目を何度かまたたかせる。


「……ひょっとして、僕が騎士の格好をしているのが気に入らないかい? ついこの前は僕が一番みたいに言っていたような」


 すると、メロディアはぷくと頬を膨らませた。

 てんで的外れなことを言われたから拗ねているのではなく、


「お兄様が誰より優れた騎士であることは、わたしはもう重々承知しているのです。であればこそ、そのお力をどうぞ存分に、ペンギンなんたらとかいう場所で発揮してきていただきませんと困ります」

「『海を翔ける鳥ペンギンナイト』ね」

「きっとお兄様のことですから、いずれはお父様の後ろにいた、あの騎士団長様の後継をも志しておいでなのでしょう? いえ、そのくらいにはなってもらいませんと、レイお姉様、ベルラお姉様を見返してやれませんので」

「ええ? 騎士団長だって? ……うーん、それは何年先の話になるやら……」


 そこまで生意気なことは企んでいなかったとでも言いたげに、アクセルは照れ隠しの笑みをこぼす。

 ようやく緊張を和らげたアクセルに、メロディアも頬を引っ込め、ふふと微笑みを返した。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 メロディアはふと、去り際のスヴェンの言葉を思い出す。

 自分の好きな話を好きなだけ話して、嵐のように去っていった奇怪な男。


(思い起こせば起こすほど変わったお人だったわね。女性など他にいくらでもいるのだから、あんな糸引いた言葉でなくさっさと切り捨ててしまえば良かったものを)


 そういえば。

 自分の見合い話に気を取られ過ぎて、アクセルへ最初に聞くべきだった話を聞きそびれていたとメロディアは気付く。


「ねえ、お兄様。騎士のお仕事はいかがですか?」


 前は、騎士学校での話を山のように聞かされたけれど。

 アクセルがこの屋敷に帰ってきて数日、始めたての騎士団での新しい仕事の話はまだ一度も聞かされていない。

 きっと今まで以上に機密事項も増えただろうから、話せない内容も多いだろうけれど。


戦場いくさばに出向かないうちは、常日頃から剣を振るわけではないでしょうけれど。騎士のお仕事というのは楽しいものなのでしょうか?」

「もちろん」


 すぐに答えてアクセルはふらと窓の外を見た。いつのまにか公邸が遠ざかっていて、雑多に並ぶ建物が視界に矢継ぎ早に映っていく。


「言ってもクロンブラッドは公国で一番平和なわけで、騎士に振られる仕事には限りがあるけれど。公邸に籠もっているよりかはずっとやりがいがあるかな」

「……そうですか。残念です」

「はは、残念って。僕がいないとそんなに寂しい?」

「ええとっても。ですから、いつでもお好きな時に屋敷へ帰ってきてくださいねとメロディアは申し上げているのです」



 そう──いつでも好きな時に。


 あなたがどんな未来を選ぼうと、この先なにを為して進もうとも。

 それらはすべて、他でもないあなたのために在る道標なのです。

 あなたが抱く志、築いてきた知恵や力、磨かれた強さも、美しさも、すべてがあなたのもの。


 わたしはただ、あなたの帰る家にさえなれれば。



 太陽が沈みゆくクロンブラッドで、メロディアは夕日に照らされたアクセルの横顔を眺めたまま帰路に着く。

 妹のこととなればミュリエルより誰よりも真剣な兄が、いざ自分の身の上話になった途端、いつもの爽やかな笑顔で本音をすべて覆い隠す。


(……お兄様の嘘吐き。次帰ってくる時には妹としてちゃんと聞き出しておかないと)


 やっぱり縁談は断って良かったと、メロディアは小さくため息を吐く。

 メロディアの巣立ちはまだまだ先になりそうだ。

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