縁を結ぶ(1)

「……は、あぁああぁあ〜〜〜……っ」


 大広間に引き返した途端、真っ先にうなだれ、息を大きく吐き出したのはスヴェンだ。

 さっきまでぼそぼそと聞き取りづらい発声をしていた男が、急に声を張ればメロディアはびくりと肩を震わせる。


「こ、こらァ! 公女様の御前おぜんではしたない」

「いきなり公爵様にお目通りしろとおっしゃる父上が悪いのです。ああ疲れた……もうヴェールに帰りたい……」


 ヴェール伯爵にたしなまれても構わず、スヴェンはぴしりと首を絞めていたネクタイを軽く緩め、開放感で痩せた頬を緩ませた。

 メロディアはじとりとヴェール親子を見据えてから、


「……お務めご苦労様です。わたくしもここで失礼してよろしくて?」


 つんと突っぱねた様子で第一声を浴びせた。

 心配には及ばないし別に無礼でもない、自分もどうせこの見合いはヘリッグ公爵へのお膳立てで来ただけ。それも済んだので無駄に長引かせずさっさと解散すれば結構だ。

 そう主張しているのがアクセルにもひしひしと伝わってくる。が──


「先ほど召し上がっていたサーモンは美味しかったですか? メロディア様」


 それを許さなかったのはスヴェンだ。

 ヘリッグ公爵が来る前にメロディアが持っていた皿の中身をわざわざ見ていたのだろうか。巡回している給仕から新しい皿を二枚持ってきて、


「慣れない務めで自分も腹が減りました。公邸で特に評判が良い料理や食材などあれば、ぜひこの不勉強者にご教示願えませんか?」


 などと、淀みない口振りで誘いをかけてくるのである。

 スヴェンの豹変ぶりにメロディアは面食らっていて、アクセルも変な目つきになったけれど、


「そ……そうだなァ。うん、ぜひそうすると良い!」


 これを好機と見てか、ヴェール伯爵は急にアクセルへ近寄り背後に周り、その背中を押して当事者二人から遠ざけようとした。


「どうかここからは若いもん同士で。なァに、護衛のことなら心配には及びますまい。ここには見張りの騎士があちらこちらにおりますのでェ」

「えっ? いえ、あの、そういうわけには」

「ああ、それからですねェ」


 するとヴェール伯爵は、二人には聞こえないくらいの小声でアクセルに耳打ちする。

 その申し出に、いくら公邸でもメロディアと離れるわけにはいかないと眉をひそめていたアクセルは不意をつかれた。


。あなた様にも直接、お伺いした話が……ええ、先ほどスヴェンのやつが口を滑らせていた、エスニア共和国の件で……」



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



「ずっと背後に控えておられたのがアクセル公子でしょう? オーラヴ氏から騎士になられたと伺った時より尊敬申し上げていたのですよ。僕は医学ではなく軍学の変遷に興味がありまして、『雛鳥の寝床エッグストック』はもともと庶民に高等教育を施すことで国民全体の素養を底上げするための機関で、実際のところ昨今は入学者の大半が労働者階級のかたですが、だからこそヘリッグの直系が機関の当事者になれば、既存の教育理論がより洗練され、公国の軍事力も飛躍的に伸びると自分は考えているのです」


 メロディアはいつのまにか大広間の喧騒を離れ、脇の屋外テラスに来ていた。

 二人きりになった途端、スヴェンは生気を取り戻したように舌が良く回るようになり、サーモンで山盛りになった皿とグラスをも近くのテーブルに放置して、しきりに身の上話をメロディアへ語り聞かせている。


「今しがた大陸西部にとっての脅威とみなされているのは魔術を行使するというエスニア共和国で、かの帝国でも魔術に対抗するための兵器開発にいとまがないとはよく耳にしますが、ここの騎士団が帝国やエスニアと大きく差をつけているのは、そういった飛び道具頼りでなく純粋に個々の技術が卓越している点なんですよ。いつまでもそれしかやらないままではいずれ時代に乗り遅れてしまうでしょうが、初めから地力が高い軍事組織はいざ新しい取り組みをするとなれば、案外すぐに順応できてしまうものですから。……ああ、帝国とは軍事政策にどのような違いがあるか、自分の見解でよろしければご説明しましょうか?」

「……お話はよくわかりましたわ」


 メロディアのテンションは低い。

 話がつまらなかったというよりも、無駄に時間を浪費させられた感じが否めなかった。


「つまりあなた様は、わたくしではなく兄との縁結びをご所望なのですね?」

「ええっ!? ……いえ、そういうつもりでは」

「そういうお話はぜひ直接どうぞ。兄ならきっと喜んで聞き入ります」


 ここまで言われてやっと不手際を自覚したのか、スヴェンは両手を所在なさそうに宙でばたつかせてから、


「……す、すみません。どうやらこの話はお気に召さなかったみたいですね」


 本当に申し訳なさそうに肩を落とした。


「その、つい最近まで身軽な立場でしたので……自分の好きなことしか心得てこなかったので、本当にそういう話題しか手持ちがないと言いますか」

「お構いなく。どうぞそのままのご自分でいてくださいませ」


 そのままメロディアは席を立とうとする。

 だが、ここまであしらいの姿勢を見せてもスヴェンは退こうとしなかった。


「実は父上にも話したことがないのですが、こんな僕でも一人だけ、恋人がいた時期があるんです」


 ──今度はなにを暴露し始めるのかしら、この変な男?

 メロディアはしぶしぶ上げかけた腰を降ろす。自分が公国きっての変人を最愛の兄と慕っているからか、不思議とどんなに面白くない話でもただ聞くだけなら最後まで耐えられるだけの性分がついてしまっている。

 なんなら、その昔アクセルからも似たような雑学を聞かされた覚えすらあった。


「そうですか。でしたらご婚約はぜひその御方と」

「とうに振られましたよ。同じ大学で勉学に励む仲だったはずなんですが、それでも、自分の偏った見識では女性受けが悪いみたいで……ええ、あなた様の今のご反応でやっと気付きました。勉強になります。……ですが」


 視線をあちらこちらに動かしながら、なおも話を続けようとするスヴェンを訝しむ。

 気まずいならさっさと切り上げれば良いのに。ヴェール伯爵のほうはともかく、彼のほうはまさか本気でわたしと契りを結ぼうなどと考えてはいないだろうに。


「どうやら誤解を招いてしまったようですね。この縁談を父上に直接お願いしたのは自分なんですよ」


 メロディアは露骨に、そんなわけないだろう、という顔を作った。


「あなた様の心中はたいへんよくわかります。急に見知らぬ男のところへお嫁になんか行きたくないですよね。僕もそうですから、はは」

「……いえ、わたくしは単純に」

「ですので僕も、急に家督を継ぐ手筈を整えるよう言いつけてきた父上に、せめてお相手くらいは自分に選ばせてくれと申し出たのです。メロディア様のこともオーラヴ氏……ウインド家のお姉様が屋敷で務めていらっしゃるのでしょう? 彼から、あなた様のことも時々伺っていました」


 スヴェンは軽い咳払いをしてから、ついにメロディアの両眼をはっきりと捉える。

 固い表情をしていても、その眼差しは痛いほど彼の真剣さを放ってきて、メロディアのほうがいたたまれなくなってふいと目を逸らしてしまう。


「いきなり屋敷に連れ出そうとは自分も初めから考えていません。ですが、その、もし他に思い煩っている男性がいらっしゃらないのでしたら、ものの試しで構いません、まずは自分と改めて親交を深める機会を恵んではもらえないでしょうか?」


 要は、ヴェール伯爵から下手に相手を見繕われる前に、自ら手を打ったというだけの話だったのか。

 たまたまミュリエルの弟と親しくて、たまたま目についたメロディアに白羽の矢を立てただけという。



(だったら別に……わたしじゃなくても良いじゃない)


 メロディアは袖をぎゅっと掴んだ。

 思い煩っている男性? いるに決まっているだろう。

 ただしそれは、将来をともにしていく伴侶という意味ではなく、互いの明るい将来を願い合うための──。


(ダメ。まだダメなの。わたしはまだ、お兄様を一人にするわけには……)

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