メロディアの縁談(3)

 その夜。

 明日の支度をすべて整えたアクセルがベッドに入ろうとした時、寝室の扉がコンコンと小さく叩かれる。メロディアだ。


「どうした?」

「お兄様……あの……」


 薄ピンクの枕を抱え、濡れた髪の毛先を弄りながらメロディアは珍しくかしこまって廊下につっ立っている。


「ご迷惑でなければ、その、わたしと就寝をご一緒してはいただけませんか……?」

「……ええと」


 アクセルは返答に迷う。幾年か前であったなら二つ返事で了承したはずだ。

 実のところ、どうなんだ? いくら義理とはいえ、縁談も舞い込んでくるような年頃の妹と同衾するのは一般倫理的に。

 ──むしろ義理だからこそ、問題があるのか。

 いずれにせよ、世俗離れしていると騎士学校の面々に言いがかりをつけられるのはもうごめんだけれど。


(世俗なんてものを気にするようになったのか、僕は)


 己が意思よりも世間体を優先しようとしたことに、アクセルが自傷気味に一笑したところをメロディアが不安げな眼差しで見つめる。


「やっぱりご迷惑でしたか……?」

「まさか。おいでメロディア」


 騎士が高貴な淑女をエスコートするように、精一杯の慈愛を込めた微笑みでメロディアの手を引いていく。

 メロディアがシーツに腰掛け、頬を赤らめはにかみながらもアクセルの裾をきゅっと掴んだのを見て、ああ、僕は今この笑顔を守ったんだと自覚する。

 結局、アクセルが今しがた優先したのは彼女の笑顔だ。自分の心ではない。


 それは騎士としてであれば、きっと正しい振る舞いだったろうが──いや。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 騎士って、そもそもなんだったろうか。


 公国ならびに己が主君へ無償の愛をもって尽くすこと。

 そこが戦場いくさばであろうとも常に騎士の矜持を忘れぬこと。

 なによりも主君への忠誠と心身を守ること。


 それが散々騎士学校で叩き込まれてきた、騎士道という名の──アクセルがこの先も騎士を名乗り続けていくための免罪符。


(やっぱりラクだな、騎士ってやつは)


 横たわりメロディアの背中にそうと触れながら、アクセルは再び失笑した。


 時折、どうして騎士になろうと思ったのか訊ねられることがある。

 同じ学び舎の同年だったり、教官だったり、明日きっと顔を合わせるであろう親戚たちやメロディアの姉ふたりだったり。

 そのたびアクセルは決まって同じ答えを口にした。

 ──公国の繁栄と安寧を築くのは、いつだって法と秩序に基づいた正義。それを維持するのが、騎士の務めだ。


 心にもないことを、とアクセルは内心舌打ちする。


「ねえ、お兄様」


 アクセルの胸に顔を埋めたまま、


「わたし、明日の集会に行くのを取り止めても良いかしら」

「それはいけない」


 メロディアがか細い声で呟いたので、アクセルはすかさずたしなめた。


「本当に縁談を断るつもりなら、せめて筋は通しておかないと。ヴェール伯爵にもご次男にも、公女としての矜持をきちんと示してくるんだ」

「でも、お兄様まで嫌な話し合いに付き合わせてしまうわ。あの集会にはお姉様たちだっていらっしゃるのに」

「……姉上たちは別に関係ないだろう?」


 どうにか声を絞り出した。息が詰まりそうになる。

 さっきからこの妹はどうしてしまったのか。縁談が嫌ならはっきり断ってしまえば良いのに。所詮は義兄たるアクセルや、公爵の顔色を伺う必要なんて彼女にはないはずだ。

 もしや、本当に。

 その現場にアクセルを立ち会わせることすら、メロディアには憚られるとでも言いたいのか。己の進退とさえ一切の関係がなく。


「……なあメロディア」


 馬鹿にも限度がある提案をしようとしている、未来の自分を軽蔑しながら雲みたいに柔らかなメロディアの髪を撫でた。


「なんだったら、僕が騎士学校の同僚や先輩を紹介しようか? 僕が信頼している同士から、お前のお眼鏡にかなう人がいればの話だけれど」

「ご冗談を」


 案の定メロディアは拗ねた声を返す。


「お兄様より優れた騎士がこの世に存在しているはずがないでしょう?」


 そうかい、とアクセルは苦笑した。



 でも違うんだよメロディア。

 本当は僕は、そんなに高尚な兄でもなければ優れた騎士でもないんだ。

 僕はただ、かつて顔も知らぬ母がそうしたみたいに、あの公邸から抜け出したかっただけの醜いヘリッグの子で。

 たまたま数字だけは取れて、首席で学び舎を出ていったけれど、その心底では清く正しいはずの騎士道さえ穢し、貶めているような愚か者で。


 本当は、僕は騎士を名乗ってはいけない人間だった。

 それを名乗ることが許されているのは、真に清らかな精神を宿し、常に正しさを追い求めようとする強い意思を有した人間だった。

 ──それは。

 その人は、ついこの春まで、僕の隣りで颯爽と立ち並んでいた。


 けれど、今はもういない。

 僕の隣りにも、おそらくこの国からもいなくなってしまった。










 ──グレンダ。

 この半島で誰よりも綺麗な瞳をした人。

 きみはまだ、騎士のままでいてくれているだろうか。

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