メロディアの縁談(2)

「お相手はヴェール領のご次男でございます」


 ミュリエルはじゃがいもの芽を取りながらアクセルの問いに応じた。


「伯爵の?」

「ええ。わたくしの弟が『枝分かれの道ノウンゴール』で勤めている件は、確か以前にお伝え申し上げましたね?」


枝分かれの道ノウンゴール』はクロンブラッドと隣接するヴェール領の専属騎士団だ。

 するすると慣れた手つきで皮を剥いていくミュリエルの、包丁さばきはいまだにアクセルよりも綺麗で無駄がない。

 アクセルはキッチンの壁に寄りかかり両腕を組んで調理の様子を眺めていたが、一旦手を止め振り返ってきたミュリエルは、眉をひそめ、心底申し訳なさそうな顔を浮かべていた。


「実はただいま、ちょうどそのご次男の護衛を請け負っているそうで……なんの気なしにわたくしの職務とメロディア様のお話をしてしまったところ」

「興味を持たれてしまったんだね」

「左様にございます。ひとえに弟の不躾と、わたくしの配慮のなさが招いた結果です」

「ミュリエルが詫びる必要はないよ」


 謝罪の姿勢を見せたミュリエルをすかさず片手で制したアクセルは、その手であごに触れ、腑に落ちないといった様子を示す。


「僕が理解に苦しむのはご次男のほうだ。直接顔を合わせたことがない、それも成人も迎えていない相手にいきなり求婚できるものなのかい、普通。メロディアの公女という立場をアテにするほど、ヴェール伯爵とへリッグ家との関係は大して悪くないはずだけど」

「求婚ではありませんね、ただいまの段階では。そのための見合いでございましょう」

「ふうん」

「……アクセル様。たいへん差し出がましいことを伺いますが」


 つまらなそうに鼻を鳴らすアクセルへ、ミュリエルは下げていた眉を今度は上げてみせた。


「高位にある者同士で婚姻を結ぶというお話は、決して珍しくないものとわたくしは認識しております。それがさほど所縁の濃くないお相手であろうとも」

「まあね」

「アクセル様はそれ自体が、あまり喜ばしくないと考えておいでですか? お相手に何かご不満を抱いていらっしゃるわけではなく?」

「……? 当たり前じゃないか」


 あまりに興味深そうにたずねられるので、アクセルも不可解そうにミュリエルを見返した。


「お嫁に行くということは、その人と生涯寄り添いあうという、騎士と主人の関係にも近しい半永久的契約みたいなものだろう? 何もメロディアに限った話じゃない。仕事でもないのに、大して人柄もわかっていない人間のところへ嫁がせたいとは到底思えないさ」

「おや。そのご主張、かつて離婚を経験したわたくしへのご教示でございますか?」


 いやいやまさかと首を振るアクセルへ、ミュリエルは茶化すように口角を上げた。


「冗談にございます。ですが、ええなるほど。アクセル様は誠に残念ながら、結婚までの道のりがかなり遠そうだと経験者は見ました」

「そういうものかい?」


 心外な見立てに、アクセルは真顔を浮かべる。


「まあ別に良いけどね。今は間に合っている」

「左様ですか。騎士の皆さんで夜の街に繰り出していらっしゃるから?」

「さてなんのことやら」

「アクセルはまだまだ若い身空ですから、夜遊びは結構なことです。どうかお気の赴きますままに。ただ、せっかく騎士団に入られたのですから、少しでもお早いうちに身を固めていただけますれば、メロディア様も心置きなくご自身の幸せを追求できるようになるのでは?」


 アクセルは渋い果物を口に含んだような表情でメロディアの泣き顔を思い出していた。あの健気な兄想いの妹が、見合い話に気乗りしない主だった理由を、ミュリエルも薄々勘付いていたのだろう。



「実際のところ、いかがです? 『海を翔ける鳥ペンギンナイト』では仲間内で親睦会合コンの類など開いていらっしゃらない?」

「間に合っていると言っているだろう? 第一、僕はそういうものには出向かない」


 一夜限りの遊びならともかく、アクセルが男女混合の飲み会になかなか参加したがらないのは確かだった。

 ただ見てくれで擦り寄られるだけなら全然マシなほうだ。

 その催しに騎士団が絡んでいようといまいと、アクセルが一度そういった席に赴けば、ほぼ必ずと言って良いほど『へリッグ』の姓が居合わせた女性たちを惑わせる。

 所詮、名も知れぬ愛人の子であろうとも。



「せっかくの美しい顔立ちがもったいのうございますね」


 さほど気に病んでいない口振りで相槌を打ったミュリエルが、ふと思い出したように天井を仰ぐ。


「あら。──そういえば、『雛鳥の寝床エッグストック』のご同級に、女性がいらっしゃると以前おっしゃっていませんでした?」


 アクセルは微動だにしない。

 みるみる様相が変わっていくのに気付かないまま、ミュリエルは己の記憶を辿る。


「規定よりもやや遅れての入学だったとか。それでも剣の腕前がアクセル様にも及ぶほどに上達していったとか。彼女のおかげで教官や寮長にたびたび生徒の悪事がバレて、アクセル様もしばしば説教に巻き込まれて参るだとか。こちらへ戻られるたびに、授業や稽古のお話をわたくしたちへとても楽しそうに聞かせてくださいましたよね?」

「……ああ。話したかな、そんなこと」

「そのお方についてはどうなったのですか、あれから? 無事にご卒業なさったのですか? あまりアクセル様のご趣味には合いませんでしたか」


 アクセルは作り笑いのまま押し黙った。

 その穏やかならざる心境を悟ったのか、ミュリエルは焦燥をその目に浮かべる。


「アクセル様?」

「さあね。もう会ってないから僕にはわからないよ」


 心配して駆け寄られるよりも早く、やや強引に話題を切り上げたアクセルはすたすたとキッチンを離れていく。

 ミュリエルはその場で立ち尽くした。後を追いかけようにも、水で浸したままのじゃがいもを放っておくわけにはいかなかった。


 というよりも、ミュリエルは面食らってしまったのだ──メロディアの縁談を聞いた時でさえ見せなかったような、あれほどにも複雑にさまざまな感情が渦巻いた形相をするアクセルが初めてで。


(……なにかまずいことを伺ってしまったかしら)

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