メロディアの縁談(1)

 メロディアの寝室には、壁や棚の至るところにアクセルとの思い出が飾られている。

 ピクニックに興じた時のシート。旅行のお土産で買ったお揃いのイアリング。誕生日プレゼントでもらったペンギンのブローチ。

 アクセルの寝室も以前は似たような内装だったけれども、この話を騎士学校の寮でするなり同級たちから奇妙な反応をされたために、少しずつ棚を片すようになっていた。


(そんなに変だったのかあ。家族写真を飾るのと同じノリだと思ったけど)


 新しい紅茶が出来上がるのを待ちながら、アクセルはテーブルに肩肘を付いてひとりごちる。


(エリックなんて『やめとけ。過保護な兄貴ブラコンの臭いが少しでもする女は総じて婚期を逃すと相場が決まってんだ』とか不思議な脅しをかけてくるものだからまったく……そもそも兄の査定も済んでいない男のところへお嫁に行く妹なんているはずがないのにね)


 机の引き出しには今も、幼少のメロディアに初めて贈られた自分の似顔絵を含む楽描きの数々が一枚たりとも残さず保管されている。


「お兄様。ねえ、お兄様!」


 メロディアが弾む声で、


「あの木を見て?」


 窓の外を指差す。

 どれどれと視線を同じほうへ流すと、あきらかに自然でできたものではない木枝の絡みが高木の一点で目立っている。


「ついこの前ね、あそこで小鳥たちが巣立っていくところを見届けましたのよ、わたし。親鳥がエサを与えているところも、春からいつもいつも見ていたんですから」

「へえ。なんの鳥だい? 身体は白かったかい」

「黒かったですわ。いえ、少し茶色も混ざっていたかしら」


 メロディアは窓のふちで両肘をつき、今は空っぽの巣を晴れ晴れした表情で眺め続けている。


「毎朝のように雛鳥を数えていたんですのよ。一羽でも急に欠けたりしないかしら、猫に狙われたり犬鷲に攫われたりしないかしらって」

「みんな無事に飛んでいったかい」

「ええ。雛鳥が巣立っていく景色って、こんなに素敵なものだったのね」

「……なんだい急に」


 アクセルは不思議そうにメロディアの横顔を流し見る。


「お前もフリューエらしいというか、大人っぽいことを言うようになったね?」

「あら。まるでわたしが子どもかのような言い方ですわね」

「さてどうだろう。十五はフリューエとしてはまだまだ成長過程だと思うけど」


 木を眺めたまま口を尖らせるメロディアの、しかしその両眼にはどこか哀愁が漂っていた。


「わたしも、できるならもう少し子どものままでいたいです。けれど……少なくとも、お父様はわたしのことをそうは思っていないようで」

「どういうこと?」


 アクセルが聞き返すと、振り返ってきたメロディアは妙に複雑な顔をしていた。

 わがままを親に聞き入れてもらえなかった娘が、諦めたのか開き直っているのか、現実を受け入れたような素振りをすることで、兄へ強がっているようにも。



「お兄様。実はわたし、明日の集会は見合いも兼ねているのです」


 証言を聞くなり、アクセルはガタとテーブルを揺らし、腰を浮かせ前のめりになる。


「なんだって!?」

「わたしはまったく、全然、これっぽっちも気が進みませんけれど……どうもお父様が直接先方と取り次いだ縁談のようで」

「相手は誰だ?」


 アクセルはさっと青ざめる。同時に、この屋敷へ来る前に騎士団本部で交わした団長とのやり取りを唐突に思い出した。

 ただの休暇であったならともかく、へリッグ家の護衛は『海を翔ける鳥ペンギンナイト』の重要な職務のひとつであり、その人事権は新米たるアクセルにはない。もちろん、明日の集会でも。

 にも関わらず騎士団は、メロディアの護衛を担当したいというアクセルの申し出をあっさり受理していたのだ。




♰ ♰ ♰ ♰ ♰



(もしや……イェールハルド団長はこの話を認知していたのか?)


 アクセルの両腕に、ぎゅっと体重がのしかかってくる。飛びついてきたメロディアの頬はわずかに湿っていた。


「お嫁になど行きたくありません!」

「……メロディア」

「お相手が誰かなんて関係ない。見合いのひとつも必要ないくらいです」


 ぎゅう、ぎゅうと大したことない腕力で胴体に巻き付いてきたメロディアの心は、ずっしりと重く沈み込んでいるようだ。


 アクセルも言葉に詰まってしまう。

 そうだ嫁になど行かなくて良い、と力強く頷き返してやりたい直感的な欲と、遅かれ早かれ嫁に行く日は訪れるものだ、と兄だからこそ諭さねばならないのではないかという冷静さが脳内でせめぎあっている。

 だが、メロディアが涙声で続けた言葉に、アクセルは呼吸を忘れそうになった。


「ねえお兄様──お兄様には、素敵なフリューエはまだいらっしゃらないのですか?」

「えっ?」

「わたしはかねてより心に決めていることがございます。お兄様が縁を結ぶまで……素敵な奥方とご一緒になる日が来るまでは、決してこの屋敷を離れないと、わたし、純潔の心に誓っておりますのよ!」


 アクセルを見上げる青い瞳は、メロディアの嘘偽りない澄んだ心を映し出しているようだ。


「明日はきっちりかっちり、毅然としてこの縁談をお断りしてきます。お兄様をひとり置いて別の男と幸せになるなんて、そんな蛮行が妹たるわたしにできるとお思いですか?」

「メロディア……」

「このメロディアをお嫁に行かせたくば、まずはどうかお兄様がどこかのご令嬢のお婿さんになるか、この屋敷へお嫁さんを連れてきてくださいませ! でなければ、もうわたしがお兄様をお婿さんにもらってしまいますよ?」


 無茶を言うな──と、断固とした態度で切り返すべきだったろうか。

 あまりに真剣なまなざしで、アクセルは何度も口を開閉させるもメロディアをあやすに適した言葉を見つけられないまま、その場で呆けてしまったのである。

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