朽ちゆく孤島と雨の魔女(8)
「……嫌よ。あたしは嫌」
じり、とにじり寄るジュビアの手には、どこで隠し持っていたのかナイフが握られている。
「セルマ様を、島を捨てるなんて許さない。あたしを捨てるなんて許さないわグレンダ!」
アルネには決して近寄らせないよう間合いを図り、グレンダは魔女と対峙した。
青のスカートとワンピースの女がふたり。
駆け寄ってくるジュビアの刃先を剣で受け止め、払いがてら腕を掴む。
「魔女でも心を乱すのね」
囁くグレンダの所作はあまりに早過ぎた。
ナイフを肘で叩き落とし、ワンピースの裾ごと華奢な体を宙で一回転させてやる。アルネにもかつてベッドの上でそうしたように、だがアルネ相手よりもずっと激しく地面へ打ちつけた。
手痛い迎撃に顔を歪めるジュビアの、すぐ顔のそばでザン!! と刃が差し迫る。またも黒髪が少し切れて、
「どんな手練れでも、冷静さを欠けば動きは
怒りと、わずかな哀愁を漂わせた瞳でグレンダに見下ろされると、ジュビアはいっそう激昂した。
「私の勝ちよ、『雨の魔女』ジュビア」
「殺すの? 殺せるものなら殺してみなさい!」
癇癪を起こしたジュビアが、
「あたしを殺しても、雨を降らさなくても、火種はあちらこちらで蒔かれている! 蓋はもう開いたのよ! だから戦いは起きるわ。いえ、もう起きている。もっと血が流れるわ。今よりもずっといっぱい、たくさん人が死ぬのよ!」
言葉の刃をつらつらと。
「セルマ様は彼らの血を、命を食べて育つのよ。あなたもそう、彼らの犠牲で命を宿したご身分でしょう。だから止まらない、誰にも、あなたにも絶対に止められやしないわ。生まれながらに得た使命を果たさずして、あなたひとりの力でいったいなにができるというの!?」
グレンダは目を伏せたまま黙っていた。
自分や、もちろんジュビアを生かしておく限り、たとえ生かしておかなくとも一度起きた争いはそうそう鎮まらないだろう。
ジュビアが喚かずとも分かりきっている。分かっているけれども。
(なら、あの怪物を殺したらどうなる? この島は……いえ、私も……)
セルマが多くの生命を吸い上げることによって魔力を蓄え、この身に生命を与えたというのであれば、あれがどんなに醜悪な容貌をしていようとも、グレンダにとっては確かに神か、生みの親みたいな存在だ。
そんな存在を殺めてしまえば、まずこの島は確実に朽ち果て、やがて滅びゆくだろう。
そして、もしかすればグレンダ自身も。
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
膠着状態が続く中。
「──ひとりじゃないだろう?」
グレンダの背後から優しい声が降ってくる。
アルネはゆっくりとグレンダの剣を握る手を掴んで、柄から指を離させた。
「じゅうぶんだよグレンダ。その綺麗な手をこれ以上汚さないでおくれ」
「アルネ様……しかし」
「まず、ここに僕がいる。そして、あの国にも僕の仲間がたくさんいる。国を離れ、どんなに遠い孤島まで漂ってきたとしても、どんなに願ったって僕たちは孤独にならないし、なれやしない。まったく、僕もようやく気付いたよ。いくら土地からは逃げ出せても、人との繋がりからはそう簡単には逃れられないな」
その優しさは実は、グレンダにのみ向けられたものじゃなかった。
藍色の瞳に熱い炎をたぎらせたままだったジュビアの怒りを鎮めるように、
「……お前にもいつか、そんなふうに孤独を感じなくて済む日が訪れると良いが」
「なん、ですって」
「結局は僕もお前も、みんな同じ穴のむじなさ。それぞれが愛を抱いて、願いを持って、お前が言うところの『美しさ』というものを誰もが有している……もちろん『醜い』部分もいっぱいあるけどね」
春風よりも暖かな言葉をかけてから、アルネは湖へ歩き出す。
「でも、それが人間という生き物じゃないか。人によって大事なものが違うのはごく自然のこと……だから、ジュビアがこだわっているものを否定したいわけでも無いんだよ実は。島やこいつが無くなって困るのはグレンダも同じだろうからね」
アルネは再びセルマに近寄っていく。
それを忌々しげに見送るジュビアと、不安そうに見据えるグレンダ。
「綺麗事を。だったらどうすると言うの」
「そうだなあ。まあとりあえず、ジュビアはしばらく大陸は出禁かな。この島で少し頭を冷やしなさい。見張りはきみに任せるよ、グレンダ」
「アルネ様。……なにを、考えていらっしゃるのですか?」
グレンダはおそるおそるたずねると、アルネは柱の目前で立ち止まり、背中に提げていた荷物を下ろす。
少し表面が禿げてしまった弦楽器を携えつつ、
「別になんも? 僕、そういうの苦手だから。
とても残念で格好がつかない台詞を平然と言ってのける。
そんなアルネに脱力しながらも、グレンダは不思議と彼の佇まいに安堵した。──いいえ、この御方はそのくらい気楽であるからこそちょうど良い、と。
「だから、他の誰かに考えてもらうよ。きみでも、セイディでも、伯母さんとかタバサさんとか……ま、おじさんとかよその騎士団の連中でも構わない。とにかくより良い形でみんなが幸せになれる方法を、僕よかずっと力があって、頭が良くて、心の強い誰かに考えてもらう。とことん頼らせてもらおうじゃないか」
「それは……アルネ様、いったいいつ頃になるのでしょう? 私たち、こんな遠くまで逃げてきてしまったのですよ」
アルネはあごに木板を当てて微笑む。
誰よりも臆病で他人任せで、誰よりも優しい麗しのあるじ様。
新緑の湖上で、ヴィオラの旋律が鳴らされる。
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