朽ちゆく孤島と雨の魔女(7)
「心配なんだろうグレンダ? ノウド公国や大陸のことが」
「あ、たり前でしょう。だって、私のせいで二十年前も──」
言いかけたグレンダの唇を、指先ひとつでそっと押し留める。
「あの国や、国の人たちを大事にできる人はさ。僕の他にもいっぱいいるから」
刹那、グレンダの中で走馬灯のように駆け巡っていく人々の顔。
ボムゥル領に残したカイラ、ヨニー。
まだ自分たちの背中を大地のどこかから追いかけているであろうセイディ。
己の
共に研鑽し
タバサや、各地で今も人々を護り続けている騎士団の勇士たち。
「だからさ。あくまでも僕は、僕が一番大事にしたいと思っているものにこだわらせてもらうよ」
「ふふ……ふふふ、ふふふふふふふふ……!」
整然と言い切ってのけるアルネに、魔女の微笑みが降り注ぐ。
くるくると、いたく嬉しそうに舞いながら擦り寄ってくる黒髪の女を睨むように、
「……勘違うなよ、ジュビア」
グレンダの肩を抱きながら冷たくあしらう。
「僕はグレンダを許したんであって、お前を許したなんて一言も言っていないぞ」
「ええ、ええ、それで良いのよ麗しい王子様」
アルネから邪険にされようと、ジュビアは踊るのを止めない。
「どうか、最後まで美しいひとつの愛をお貫きになってね。──他のすべてを犠牲にしようとも」
ぴたと立ち止まったジュビアが深々と頭を下げ、ふたりを先導するように湖上を示す。
グレンダは静かだった。アルネの温もりを受けたまま。
選択の時が──破滅までの
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
「さあ、行きましょう。おふたりの新しい愛の巣へ!」
ジュビアに差し出された手を、取ろうとしたかに見えた。
少しだけ名残惜しそうにアルネの温もりから離れたグレンダが、流れるように、目にも止まらぬ速さで拾い上げたのは。
「────あら」
一閃する。
グレンダが放った剣は、ジュビアの前髪をわずかにかすめる。とん、ととん、とステップしながら後退してく魔女に、グレンダは眉を下げて。
「相変わらず逃げ足の速い。私としたことが、またも斬りそびれてしまったわね」
「どういうつもり?」
魔女であるがゆえに、誰よりも悪意や敵意に敏感なジュビアは凄んだ。
さっきまでの友好的な態度が嘘みたいに、その形相はおぞましい。
「あなたが雨を降らすための舞台装置なら、あたしは装置を動かす役者。あたしを殺したらセルマ様も、この島も二度と甦らないわよ?」
「……そう」
「あなたの大事なふるさとでしょう? ずっと戻りたかった、帰りたかった場所のはず」
「ええ」
グレンダは数歩前へ進み出て、ゆらりと対峙する。
どれほどジュビアに睨まれようとも、森と同化した瞳の色は揺るがない。その瞳に、凛とした佇まいに、迷いなどひとかけらも残されていなかった。
「故郷へは確かに帰ってこれました。だから、そうね。その点に関してはあなたに感謝しないこともないわよ、ジュビア」
白銀の剣が木漏れ日に反射して光り輝く。
「でもねジュビア──過去に縛られた哀れな女。私にとって大事なのは今です。もう、この島に囚われていた頃の私じゃない。アルネ様の騎士として、ここに立っている今の私」
真夏の太陽が、次第にグレンダを
「アルネ様は私を選んでくださった。私を愛していると。これからも、この身に余る愛をお恵みくださると私の麗しきあるじ様は言ってくださった」
「ええそうね、良かったじゃない。なら選択の余地なんか──!」
「だから私も選ぶわ。彼がそうしたように、私も、私が心の底から愛したいと願ったものを、最後まで護りたいと胸に誓ったものを護ると決めた!」
そこに居たのは騎士だった。
罪と向き合い穢れを取り払い、この使命を剣と共にあらんとする騎士がひとり。
「アルネ様を愛しています。これまでも、これからもずっと彼を愛します。だから私は、アルネ様がずっと愛してきたものを、アルネ様や私を愛し、これまでの道程を支えてくれたすべての人たちを愛したい。アルネ様が私を護ってくださる限り、私はアルネ様と、アルネ様を取り囲むすべてを護りたい!」
女騎士グレンダの道はここに在り。
公国ならびに己が主君へ無償の愛をもって尽くすこと。
そこが
なによりも主君への忠誠と心身を守ること──ただしそれは、主君ひとりにのみ通じる理念にあらず。
「今を生きる私たちの愛を、すべての人々がこれから育むだろう新しい愛を阻むというのなら、私はあなたたちを許さない。あなたも、そこで眠る怪物も──たとえ私の母親であろうとも許さない!」
美しい。──と、アルネはひとり自惚れる。
今のグレンダはこの大地で、海で、空で、他のいかなる生命よりも美しい。
己が愛を貫いた瞬間、人とは、女性とはかくも美しくあれるものなのか。
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