朽ちゆく孤島と雨の魔女(3)

 物理的な距離からも真相からも二人を置いてけぼりにしたまま、ジュビアはカゴを持ち森を駆けていく。


「え? ま、待ちなさい!」


 追いかけようとするグレンダの腕を強く掴む。

 驚いて振り返ると、真剣な面持ちをしたアルネがグレンダの瞳越しに森緑を一望していた。


「気を付けて。嫌な感じがする」

「……ジュビアが嫌な女なのはいつものことです」

「いつもに増して様子がおかしい。あいつ、僕らを見付けてから少し気を急いているような感じがするんだ」


 彼には他人の感情の機微がどんなふうに映っているんだ、とグレンダは舌を巻く。

 自分が目まぐるしく起こる事柄や、ジュビアの刺激的な言動に気を取られた時、決まってアルネが立ち止まり俯瞰してくれる。

 普段はとかく自分の都合でばかり物を言う、公子様の傲慢さを隠さない人なのに。


「僕たちはもう行き着くところまで行き着いたんだ。ジュビアに付き合ってこっちまで焦ってやる必要はないんだよ」

「アルネ様……はい、分かりました」

「むしろ極限のんびり行ってやろう。あいつの方が足を緩めたくなるくらいに」


 大真面目にそんな意地悪を言うので、グレンダはつい吹き出してしまった。

 グレンダの表情が和らぐと、アルネもほっとしたように口角を緩める。


 二人はすでに背中も見えなくなっているジュビアが、向かった先を気配で探す。

 道中、ところどころで鳥や虫とは出会ったが、他に人が住み着いている様子はなく、どころか家屋の類も無さそうだった。

 ──ずっと昔から、無人の孤島なんだろうか。



「暮らせるかなあ」


 島の現状を眺めつつ、アルネがぼそりと。


「今思えばボムゥル領なんて、辺境とは言いつつちっとも田舎じゃないな。これ、本当に自給自足させられるやつだよね? 肉体労働しなきゃ駄目な感じ? できれば楽器も直したいんだけど……」

「アルネ様。まさかここで暮らすおつもりなんですか?」

「ん? ……え? だってきみの故郷だろう?」


 互いの認識の齟齬に顔を見合わせあって、


「今からよその国や大陸を渡ってどうするんだ。きみだってハナからそういう心づもりだったんじゃないのかい」

「え……で、ですが……その、私はただ、一度でもこの目で島の実在を明らかにできれば良かったので……」


 グレンダは申し訳なさそうに眉を下げた。

 亡命自体はアルネが言い出したことだが、途中から旅の目的が国の脱出から、グレンダの帰郷にすり替わりつつあったことは、自分でも薄々わかっていたことなのだ。


(そうだわ。私はたった今、私自身の目的を果たしたんだわ)


 思ったよりも随分と寂しい様相を呈していた故郷だが、かといって、ここから自力でどうこうしようなどという腹は最初から持ち合わせていない。

 グレンダはとっくに満足したのだ。積年抱えてきた目的を果たした今は、これまでのようにアルネの専属騎士として、粛々と己の務めにまっとうするのみ。


(……なら、私はどうしてジュビアを追っているの?)


 胸騒ぎがする。

 アルネも感じた嫌な予感が、グレンダの中でもふつふつと湧き上がってきた。魔女がなにかを企んでいることも、その野望の成就に、自分がなんらかの関わりを持っていることも彼女の素振りから明白だというのに。


 体が震えを起こし始めているのを自覚する。

 恐れていた。ジュビアに対してではない。

 森の奥で待ち受けている己の未知が、グレンダはたまらなく怖かったのだ。──そのパンドラの箱を開いた瞬間、アルネがどんな表情を自分へ向けてくるのかも。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 緑色がひたすら続いていく。


「……水音が聞こえるな」


 アルネの囁きにはっとし、耳を澄ませた。

 まもなくグレンダも川のせせらぎが感じ取れて、どうやら茂みを抜けた先に湖がありそうだと予感した。


 だが実際は違った。

 いや、湖そのものは確かにあった。立っているだけでも日差しの暑さに目眩がしそうな真夏で、地面だけが濡れていて、湖全体にはぴんと氷が張られていた。

 ──? 湖はその水を凍らせているから、水場としての機能を止めていたのだろうか。


「どうなってんだ、これは……」


 アルネも理解が追いついていないらしく、異様な光景に目を見張る。

 凍った水面から彫刻の芸術品を造り出すみたいに、ところどころが鋭く尖っている。


 やがてグレンダも発見する──湖の中心部らしき場所を。

 特段大きく氷が盛られたそこに、んでいたのは。











「ただいま戻りました──あなたのしもべと、最愛なる姫君様」






 麦わら帽子を凍りついた水面に置いたジュビアが、跪きこうべを垂れ、しんしんと告げた。

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