朽ちゆく孤島と雨の魔女(2)

 長らく消息を途絶えさせていた海鳥たちは、砂浜までイカダで近づけば辺りを散らばってたむろしていた。


 島はまさしく緑──翡翠ひすい色の王国。

 前方の見渡す限りで木々が生い茂るも、中には古びているのか水や栄養が土地の隅まで行き渡らなかったのか、枯れている草花も少なくない。グレンダがタバサから借りたままのヒールでじゃりじゃりと砂を踏みしめると、いたるところに腐り落ちた果実や枯れ枝が転がっていた。


「さすが、地図にも無かった異邦の秘境だ。見慣れない植物も多いなあ」


 アルネはきょろきょろしながら、グレンダの数歩後ろを進んだ。


「きみはいつから、ここが自分の故郷だと思っていたんだい」

「……物心ついたときには、私はすでにクロンブラッドのとある孤児院で過ごしていました」


 グレンダは歩みを止めないまま、ぽつりぽつりと自身の境遇を語る。


「いつから、どういった経緯で孤児院に引き取られたのかまでは覚えていません。ですが……時々、不思議な夢を見たのです。体の小さな私が女性の腕に抱かれながら、森をさまよい、湖で水浴びし、動物たちと戯れる夢を」


 アルネには一度、スティルクの宿で打ち明けた内容でもあった。

 子どもの夢などしょせんは絵本のお伽噺、夢物語に過ぎない──。そう思っていた時期もあったけれど。


「ですが、最後に見た夢でようやく気がついたんです。これまでの夢が実は、私自身の赤子の頃の記憶だったのではないかと」

「……それはどんな?」

「何かの中に閉じ込められていました。牢などといった無機質な空間ではなく……それでいて、水中で呼吸しているような、とても心地よい気分に私は浸っていて……その内側からいつもの女性を、木々を、同じ景色を、随分と長いこと見つめていました」


 かくしてグレンダは幼児から少女へ、少女から大人の女性へと成長を続けていく。

 すくすくと育っていくうちに、やがて夢への疑念は確信へと姿を変えていった。──毎朝のように鏡越しで見る、己の顔をもって。


「似ている……いえ、んです。あの顔、髪質、目鼻立ち……緑色の目。私は大人になっていくにつれて、夢で見てきた女性の顔とますます同じ形になっていくんです」

「……母親、というわけか」

「おそらくは。この島も確かに……いえ間違いなく、あの夢に出てきた光景そのものです。……でも、なぜでしょう」


 少しずつ強めていた言葉尻を、途端にしぼませてグレンダは呟いた。

 長年思い求めてきた場所にようやく辿り着いたはずが、土地を踏み鳴らし景色を眺めていくうちに、その心境は晴れるばかりかむしろどんどん曇っていく。


「心なしか、夢で見るよりも寂しい場所ですね」

「きっと夢とうつつのギャップという奴だね。そういうこともあるさ」


 アルネは励ますように、両腕を背後から回し優しくグレンダを抱き留めた。

 森の中でしばらく足を止め、互いが感傷にひたっていると。



 ──ガサガサ。


「あら」


 茂みの音で慌ててアルネが腕を解くのと、その中からぬぅと知った顔が現れるのはほぼ同時だった。

 グレンダが履いているスカートと似たような青色をした無地のワンピースに、川遊びをする子どもみたいな麦わら帽子を深々と被り込んだジュビアが、


「もう来たのね。気がつかなかったわ。おかえりなさいグレンダ」


 籠いっぱいの木の実を抱えたまま、二人に真顔であいさつしてくる。

 どこから採ってきたのか、籠にはラフランスも入っていた。


「ちょうど良かった、一緒におやつ食べない?」

「……お前にそんな言葉を投げかけられる覚えは無いのよ」

「ほら見て、大収穫。あたしね、いろんな果物で一番ラフランスが好き」


 グレンダに湿っぽい目線を向けられようとお構いなしだ。

 むしろジュビアの次の発言に目の色を変えたのは、アルネのほうがずっと早かったかもしれない。


「昔、ママがいつも三時のおやつに食べさせてくれたの」

「……ママだと?」

「そうよ。あたしのママ。二十年前に『死の雨シーレライン』を発動させた人」


 しれっと衝撃的な事実を告げられ、グレンダは背筋を凍らせる。

 若干の殺気を感じ慌ててアルネを見上げたが、アルネはその雰囲気に反してやけに態度だけが落ち着き払っていた。


「へぇ、なるほどな。どうりで昔ボムゥルで見た奴と顔が瓜二つだったわけか。……そのママとやらは今どこに?」

「もう死んじゃったわ。でも全然悲しくない。だってママは最後まで、主君と交わした契約に則ってきちんとお務めを果たしたんだもの」

「主君……確か前もそんなことをほざいていたな。お前たち『雨の魔女』のご主人様ってのは、今はエスニアの玉座でふんぞり返っているのか?」


 ジュビアはきょとんと首を傾げる。

 自ら証言したエスニア出身だという話を聞いて、アルネが勝手にそう思い込んだのだと解釈するなり、


「──今から会わせてあげる」

「なに?」

「そのためにあなたたちを呼んだんだもの。あたしも、いっぱい頑張ったママに代わって務めを果たさないと」

「絶対に雨なんか降らせない!」


 グレンダは叫んだ。

 今にも剣を抜いて襲いかかってきそうな形相で、


「私が必ずお前を止める! むしろ、そのためにここまで出向いてきたのよ」

「……なにを言っているの?」


 そう言い放つと、ジュビアはぎょろりと藍色の目を光らせた。

 途端に雰囲気を変えた、二代目『雨の魔女』は宣言する。



「絶対に降らせるわ。あたしも、



 アルネははっとした。やはりジュビアは、考えなしに自分たちをここまで導いたわけじゃなかったのだ。

 水面下で長年企ててきたのだろう、大災害『死の雨シーレライン』。

 その二度目は、いやあるいは二十年前の一度目でさえも、初めから魔女たる自分ひとりの使命では無かったかのような口振りで──



「だから、もう寂しがらなくて良いのよグレンダ。この島が、本当の意味で甦るのはこれからだもの」

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